🔮パープル式部一代記・第六十四話

 そして翌朝のことである。


 道長が、紫式部が貫徹突貫で仕上げた「改稿済みの物語」を手に帝のもとを訪れ、しみじみとした様子で、ようやく墨の乾いた紙の束に目を落としてネタバレしていたのは。


「先程、物語の続きを受け取ったばかりなのですが実に残念ですね……帝のお気に入り、明石の君がまさかの入水で儚くなるとは……」

「ええっ!?」

「いやいや、まだ、熟考してはいるらしいのですが、なにせ物語……なりゆきが分からぬ以上は口は挟めませんからねぇ……」

「いや、まだ考えているならば……いまからでも朕が藤……じゃなかった。紫式部を呼んで……えっと紫式部……本当はあだ名で官位なしの無印だから、正式に五位の地位をあげてもいいし……」


 そう、紫式部の式部は、賢子かたこのように、正式な自身の官位ではなく、父の為時ためとき式部丞しきぶのじょうであった由来からきたペンネーム的な「あだ名、あて名」なので、実は、道長のお抱え作家、身分的には官位なしのなのである。


 そんな風にあせっている帝に、道長は久しぶりに帝も恐怖する「黒く輝く笑顔」を見せていた。


「まあ、紫式部の官位なんてしょうもない話はまた今度……。そういえば御匣殿みくしげどのですけれど、これと同じように世をはかなんでお子と一緒に……でしたっけ? それとも……どうでしたかな……縁者がせぬのならば、わたくしが法要できるように……いたしましょうか?」

「えっ!? あっ! いやその……御匣殿みくしげどのは――あの、その……えっと物語! そ、そう! 本当につらい話だな……」


 変な汗をだらだら流している帝の耳元に、「恐怖の大王」そんな低い声が響く。


「まあでも……うちの彰子あきこが大人になっているのに帝に気づいていただけたら……物語も、いまは御匣殿みくしげどのも、救いはあるやもしれませんな……お分かりいただけます?」

「う……」

「あと、女院さまの置き土産、さかさものがたり、ご用意できますよ? うちの彰子あきこになったらね……」

「ううう……」


 帝は、彰子あきこが嫌いな訳ではないのだ。ただ、敦康あつやすが心配だったのである。


 慣例から考えても、常識的に考えても、敦康あつやすが次の東宮にならない訳はない。そうは思っていたが万が一にはと念には念を入れて、彰子あきこが分かってないのをよいことに、いわゆる「出雲大社」関係のことは避けてきた。


 しかし、それがなぜ発覚した!? 彰子あきこはそんな話を人様にするような性格ではなし……!?


『あのさを呼べばいいと思うよ』


 知っているようで、まったく知らない女の言葉が運命の歯車が大きく回るきっかけであったと帝は知らなかったのである。


 ***


「ゆかり! 話、もとに戻していいぞ! もう用は済んだ!」

「は……?」


 訳を知らない紫式部は必死に考え直していた話が無駄になったと、しばらく物語も書かずに青菜をむしゃむしゃ食べながら、ふすまを被ってむくれていたが、「こっちの方が大変だったんだよ! イワシの群れみたいに和泉式部の元カレが押し寄せてさぁ……」なんて言いながら伊勢大輔いせのたいふがやってきたので、「なにそれ詳しく……」なんて言ってすぐに食いつくと気持ちを切り替えていた。


 そしてそのあと、「ねえ、いまどんな気持ち……?」なんて、純粋に取材として保昌やすまさのところをたずねて、どやされて追い返されていたのである。


「母君……」

「ちょっと聞いただけなのに短気な男だったよ……あれは、すぐに捨てられるね……」

「母君……」


 人の気持ちをおもんばかれぬ女、だれからも恋文なんて、もらったことのない紫式部は、密かに和泉式部をねたみながらそんな悪口を叩いていた。


 ***


 約二年後、寛弘五年(1008年)の春、中宮・彰子あきこさまは、ようやく懐妊し、様々な思惑の入り乱れる中、再び土御門殿つちみかどどのへ、今度は出産のために帰ってくるのであるが、この時点では、彰子あきこさまは、「えっ!? 真実はそうだったのね……」なんて驚愕し、「お見舞い申しあげたてまつり――」なんて言いながら、からかいにやってきていた本物のラフレシア・妍子きよこに、鼻で笑われていた。


「姉君ってば根暗は治っても、頭の回転の遅さは変わってな……あいたっ!」


 妍子きよこはうしろから頭をはたかれていた。


「中宮さまに無礼を言わない!」

「あ、父君でしたか……は――い。あ、それより、うちのに一発、ヤキ入れてやって! お願い! 妍子きよこ一生のお願い!」

「お前、なん回、一生のお願いをする気なんだ……? 情報ネタやるから自分でやれ。お前はできる子だろ?」

情報ネタ……?」


 そうして、明石の君と、御匣殿みくしげどのは、ひとまず命をながらえ、中宮・彰子あきこさまは、大人の真相をひとつ知り、ラフレシア・妍子きよこは、道長に聞いた話を持って、嬉し気に東三条殿へ帰って行った。


 史実とは多少ずれるが、ラフレシア・妍子きよこに平謝りしていた敦明親王あつあきらしんのうの母、娍子すけこの妹が、和泉式部への熱愛が高じて、正妻を追い出したと言われている故・敦道親王あつみちしんのうで、やかたから追い出され、離婚の末に、姉の娍子すけこのところへ転がり込んでいたのである。


「超笑える話を聞いちゃってさ――! でもあれか、娍子すけこの妹じゃあ、和泉式部のあの美貌、くらっとくるかもね――! 甥が甥なら、叔母も叔母ってか!? 受けるわ――! ふはっ! ふははっ!」

「あのやろう……」

「しっ! お願いだから、大人しくしてて……ねっ!?」

「~~~~あっ! アイツ、当てつけやがって!」


 ラフレシア・妍子きよこは、生まれ持った、でっかいで、わざと和泉式部のウワサ話をしながら、これ見よがしに、例の事件を思わせる烏帽子を被って、ギラッギラの十二単で、東三条殿の中を練り歩いていたのである。受けた嫌がらせは十倍、いや、二十倍にして返す女であった。


 仲裁するべきであった夫、東宮は、正直言って、娘と変わらない年のラフレシア・妍子きよこをどうしたものかと悩んではいたが、「妍子きよこの父は道長だし……機嫌を損ねると、わたしの地位すら危うい……すまんな娍子すけこ! 許してくれっ!」そう思いながらも、「でも、敦明あつあきらが、もうちょっとなんとかなってくれていれば……」などと、現実の火災のドタバタだけでなく、家庭内も大火災が発生しそう……なんて思い、ひたすら娍子すけこから、妍子きよこの気を逸らすべく努力する毎日であった。


『ひょっとしたら、譲位される前に、気苦労でわたしが先に……それならいっそのこと、息子の敦明あつあきらをひと思いに呪詛……最悪、娍子すけこが産んでくれたスペアはいる……いや、しかし、最善策は妍子きよこが皇子を産んでくれる方が……でも、わたしの寿命が持つかどうか……』


 東宮はそんなことすら考えて、悩みの深い避難生活を送っていた。


***


 東三条殿で、そんな騒動が巻き起こっている頃、土御門殿つちみかどどのでは、騒ぎが起きていた。


 紫式部が起きてこないのである。


「いつものことだよ……」


 不規則な生活を送る女であったため、はじめはそんな感じで、「取りあえず、寝かせておけば?」なんて、放置されていたが、娘の賢子かたこが夜になっても、手もつけていない朝餉あさげに心配になり、そっと声をかけても起きてこない。


「母君!? 母君!」

「……賢子かたこか……すまんが水を……」


 起き上がって、そう言った瞬間、ぐらりと体を揺らした紫式部は、「こはっ!」そんな声にならない声を出して、倒れていたのである。


「母君!?」


 ひどい高熱であった。それは数日後には、まるでなかったかのように、紫式部は元気になって、青菜を食べていたが、心配になった賢子かたこが、中宮さまに相談をして、紫式部は、彰子あきこさまの計らいで、しばらく実家で、静養することになった。


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