🔮パープル式部一代記・第六十三話

 床下に潜んでいたふたり、紫式部と和泉式部は嚙みあわない会話を小声でしていると、どこからかやってきた女房の袴を捌く音が聞こえてじっと聞き耳を立てる。


 どうやら朝の膳を下げにきたらしい。入れ替わるように今度は男のものらしき足音が聞こえ、帝になにやらささやいてから、すぐにまたどこかへ足音は消えていた。


「これこれ! これを待っておった! 紫の上……朕の定子! 藤壺中宮! 朕の定子! 朧月夜の君! 朕の定子!」


『え?』


 床下のふたりは帝のセリフに怪訝な顔を見合わせる。それからしばらく様子をうかがって、なんとなく事情をつかんだふたりは、クモの巣を体のあちこちにひっかけながらその場を去って行った。


「「はっ、母君!?」」


 さすがに土御門殿つちみかどどのに用意されたつぼねの床には穴を開けていなかったので、人目を避けて素早く紫式部のつぼねへ戻ったふたりに、これまた、ふたりの娘は驚いていたが、「内裏でもやってた突撃取材……ここでも……」なんて、すぐに思い起こすと手早くクモの巣だらけの下働きのころもを脱がせ髪をきれいに梳くと、さささと身支度をあらためていた。

 なぜに和泉式部まで同行していたのかは分からなかったけれど……。


 そして、その日の夜もすっかり更けてからようやく政務が一段落した道長は、家族サービスを終えて目立たぬように紫式部のつぼねに姿をあらわしていた。


「で? 結果は? うちの彰子あきこなのは聞いたが、帝にもとか?」

「そうなんだよ……問題大あり……和泉式部と確かめてきた。あ、和泉式部は今日から突貫で彰子あきこさまに現実を叩き突きつけるとか言ってたよ……アイツは荒療治ができる女だな……あちこちの元カレに恋文こいぶみを送りまくっていた……」

「あ、それな、それは知ってる。保昌やすまさには見逃せと言いつけておいた。あとがめんどくせーからな」

「妻が産んだ別の男の子どもは自分の子ども……それがいまどきの平安男の甲斐性じゃないか……諦めてもらおう……」


 ふたりはと笑っていた。


 かわいそうな保昌やすまさは、「考えても仕方がない。もう酒飲んで寝よう」そう思い切るとさっさと自室にこもっていたのである。


 それから紫式部は珍しく「見てはならぬものを見てしまった……」こっそり外した床板の隙間から見た光景を思い出し、まあ、言わない訳も理由もないかと帝がありとあらゆる「物語」のお気に入りを、『最愛の定子さま』に脳内変換して読みふけっている。そんなことを道長に話していた。


「なるほど。うちの彰子あきこも大概だがアイツそんなことしてやがったか……どうりで物語に固執するはず……ふむ……」


 源氏物語で、彰子あきこのもとへ通わせるのには成功したが、その先、彰子あきこに出産適齢期がきてもなんの音沙汰もないと思えば……アイツ、御匣殿みくしげどので懲りて物語の女に逃げたか……」


「他の女御みたいに裏から圧をかけるのも無理だな……それとも御匣殿みくしげどのを使って脅すのか? 藤原原子ふじわらのもとこみたいにするよって?」

「あれは俺のせいじゃねぇよ……人聞きの悪い……なんでもかんでも俺のせいにするな。道隆の兄貴をうらんだヤツじゃね?」

「ふ――ん……(それって、結局、バカさまでは?)」


 藤原原子ふじわらのもとことは定子さまの妹にあたり、東宮の居貞親王いやさだしんのうの寵愛も深く、定子さまともよく似た妹であったが、ある日、体中から謎の大出血を起こして怪死をとげていた。


「まさか物語の登場人物を皆殺しにしろとかなしな!? 話が続かないっ!」

「いや、それは意味ないから……うん? 意味ある……かな?」

「おい、バカさま? 変なこと考えてるだろ? まさか物語の打ち切りとかっ!? それだけはっ! 頼む! それは止めてくれっ! なんでもするっ!」

「…………よし解決できるぞこれはっ!」

「なにがっ!?」


 あせる“ゆかり”を置き去りにして道長は文机に向かうと、書きかけの物語にバサバサと目を通しあちこちに墨を引いて塗りつぶしてから、「ここでこの部分にさ……」なんて、ごにょごにょと“ゆかり”に改稿を指示して、「なんでもするって言ったよな? 明日の朝までに絶対だからな!」と言うと機嫌よく姿を消していた。


「ちょっ! なに考えてんだよ! ここがこんなになっちゃったらあとの話をどうしろと!? 少しは人の話を聞け……あ……」


 道長の後姿に追いつこうと御簾をめくろうとしたそのときであった。

 陰になって群れなす和泉式部への求愛の順番待ちの大行列に、紫式部が気づいたのは……。


「凄いな……さすが女光源氏……それに比べて見れば、わたしときたら大作家になっても大口の後援者さまには逆らえぬか……まあ、火事のときの借りも返してなかったか……ちぇっ! 最近は徹夜も辛いのに……年だなぁ……」


 昔は三日三晩、目を血走らせて書いていたのに……紫式部はそんなことを思いながら、自分を心配して火桶や火鉢の様子をあちらこちらに置いて、綿の入った厚手のふすまをそっと肩にかけてから自分のつぼねに帰って行った賢子かたこにもこれくらい信者がいるのかと、ふと、賢子かたこにどっさり届いている恋文こいぶみもどき(まだ子どもの背伸びの範囲ばかり)を思い出し、小さくせき込んでから顔を洗って目を覚まし気を取り直して、一気呵成に物語の改稿を仕上げていた。


 顔を拭いた布はどこかに捨てていた。ついた小さな血のあとにも気づかず……。


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