🔮パープル式部一代記・第四十五話

 その翌日、「」こと脩子内親王ながこないしんのうを、お世話する「危険物取扱処きけんぶつとりあつかいどころ」には、「藤壺の中宮さまは難儀ななど“栗ご飯”にすればよい」そうおっしゃったそうな……そんな、とんでも変換なうわさが伝わり、「連れてゆかぬ方が……いやいや、あのの娘である中宮さまであれば厳しく育てられる。内親王のためにはその方が……」そんなこんなの大騒ぎが起こっていた。


 誤解は誤解を招きが藤壺に「お試し保育」へゆく日はすぐにやってくるが、なにせ、は、「藤壺」の話「帝」の話なんてなにひとつ聞いちゃいなかった。


***


〈 それからしばらくたった危険物取扱処きけんぶつとりあつかいどころ 〉


 藤壺へゆく当日の朝も早くから、少しでも、「」を見栄えよく。そう帝に命じられていた女房たちは、一生懸命に揃えた様々な品を準備していた。


 汗衫かざみと呼ばれる幼い内親王のために用意した装束は、『藤壺』をイメージした藤色を中心に、二十枚にせまる五衣いつつぎぬひとえに、はかま当帯あておびその他、すべて最高級品である。


 それに、帝直々に特注した衵扇あこめおうぎ


 ひとつひとつ、一枚一枚が裕福な公卿の姫君であっても、なかなか揃えられるような品ではなかった。


 だがしかしは起き抜けに、それらを目にした瞬間、駆け寄ると、上で飛びはねて踏みにじり、ぐちゃぐちゃにしていたのである。


「あっ!」


 衵扇あこめおうぎにいたっては、どこかにポイっと投げ出されてしまい、翁丸おいまるという犬にぶつけられる。


 この犬は実は、一条天皇のお気に入りのネコの命婦御許みょうぶのおもとをいじめた罰として、島流しになりそうなところを清少納言と定子さだこさまに助けられ寿命を全うした、そんな犬の子どもの子ども、つまり、「翁丸おいまる・三世」であった。


「キャン!」と吠えた翁丸おいまるは、お前が悪いとばかりに衵扇あこめおうぎに噛りつき、女房たちは大いに慌てていたがは、それを見て笑っていた。翁丸おいまるも自分のイタズラは、いつもが褒めるので得意げであった。


「なんで、みかどのむすめが、ないしんのうが、わざわざ、しんかのむすめであった、ちゅうぐうに、きをつかうわけ? え? わかんない! わかんな――い」

「~~~~」


 もう帝がいらっしゃるというのに……そんな風に、とんでもないことになってしまったので前出の下働きたちは、「あ――あ、やっぱりね」そんな顔をしていたが、とうとう奥の手というか、まことに遺憾ながらを、帝は送り込んできた。


 彼としても、「敦康親王あつやすしんのう」を人質のように道長の影響下に入れてしまう以上、なんとかかんとかも押し付けたかったのである。


 ざわついた空気が、「危険物取扱処きけんぶつとりあつかいどころ」を支配して、その後、とした静けさが広がってゆく。


「なに? なにがどうしたっていうの……え?」

がいらっしゃいました……」

「げっ……あいたっ!」


 そう、帝は、幼い頃は嫌で嫌で仕方なかった。そんな、しつけに自分の、帝の実母で国母にして、そしてなぜかまだピンピンしている藤原詮子ふじわらのあきこを、この日に備えて呼び寄せていたのであった。


「母……いや、女院さま、いきなりそこまで……」

「そうやって甘やかすから、この始末……なにか言い訳はございますか……」

「え……いや、その……ございません……」


 そう、は女院さまにその所業を見とがめられて、いきなり閉じた檜扇で頭をひっぱ叩かれていたのであった。


「にょいんさま、ひどい! わたしのこと、きらいな……いたっ!」


 また、はひっぱ叩かれる。


「口答えはゆるさん! それにちゃんと手加減はしておる。そなたは未来の帝ではないゆえである! 帝は、もっと厳しいしつけであった! それもこれも帝のため! 子の将来のためなら母は鬼になるのだ! そしていまのはそなたのためである! なさけなや! とにかくすぐに人前に出られる姿におなりなさい! ああ、時間がない! 朝のしつけはまた今度! これ、女房ども早う支度を! こんなことだろうと新しい内親王の着替えは、わたくしが持ってきておる!」

「はっ、はい!」


 着替えを受け取った女房たちがに近づいて、朝の支度を素早く整えている間、女院さまはぎっとした表情で彼女を睨み続けてさすがに委縮したは、しぶしぶといった表情ではあったが女院さまが用意したという、美しい汗衫かざみ姿になっていた。


 ふてくされている彼女に、帝は、オロオロしていたが女院さまは容赦なかった。「鉄は熱いうちに打て」そんな言葉を背中に背負っているような女である。帝といい彼女といい、「その間はないのか?」そんな極端な子育て論者であった。用意が整ったに、女院さまは声をかける。


脩子ながこ……これは、そなたを初孫としてする祖母としての忠告である」


『え? ……え?』


 帝との顔にはそんな変な表情が浮かんだが、女院さまは、気にもしなかった。


「よいか、中宮・彰子あきこはそなたの母と同じくわたしの姪、つまりは臣下であったことには変わりない。生まれながらにして内親王であるそなたと格が違う。そう言いたくなるのは分からぬでもない」

「…………」

「しかし、だがしかし彰子あきこの父である道長は、お前の母の父であった道隆みちたかよりも……」

「みちたかよりも……?」

「ず――っと、親切で有能で優しい帝を支える替えの効かぬ忠臣である。わたくしの大切な弟でもある。ゆえに、中宮・彰子あきこには、わたくしに接すると同じ態度をとるように……分かったな?」

「…………」


 女院さまは返事がないので、再び閉じた檜扇を高く振り上げる。


「返事はっ!?」

「はっ、はい……わ、わかりましたっ!」


 女院さま怖さにしかたなく返事をしているの横で、昔を思い出した帝も無言であった。そして、母、女院さまの「道長忠臣説」に母は騙されている……そうも思っていたが、言い争いをしている時間はなさそうである。


 先程からなん度も、「もう、時間一杯一杯ですよ!」そんな表情と態度で、控えている蔵人頭くろうどのとう藤原行成ふじわらのゆきなりからくる無言の催促に、帝はこの話はあとにしようと思い、「ま、今日は取りあえずお試し……遊びに行くだけだから……ね?」そんなことを言って、こちらは準備万端、まだ二歳で動き回りはするが、まあ、乳母がいれば大人しい、そんな敦康親王あつやすしんのうは、すでに乳母に抱き上げられて待機していたので、「じゃ、行ってみようか? もう、藤の花もつぼみが一杯かもね……」そんなことを言う帝につれられては、藤壺へと出発したのであった。


『もし、彰子あきこのところでも、もて余すようであらば、わたくしが育ててもよいぞ……』


 そう言い残して消えた母の女院さまを思い、「やはり母は鬼厳しい……なんとか彰子あきこも引き取ってもらわねば……」帝はそう思い、「帝のおなりで――す」「帝、お通りになりま――す」そんな先ぶれの声を耳にしつつ、のつむじに目をやっていたし、で、「にょいんさまに ひっぱたかれる まいにち……ぢごく……いやだ、いやだ……どうしようかな……」そんなぞっとする未来を考えながら、少しくらい今日は少し大人しくして、まあ様子を見てみるかと思いつつ、帝のうしろを乳母と歩いていた。


 翁丸おいまるが、ちょこちょこと庭を回って、あとをついてきているのには、誰も気づかなかった。


 初めて訪れた藤壺は、それは美しく、優しそうな、多分、中宮さまとやらがいた。母の代わりと聞いていたがこれでは姉である。は長女あるあるで、年上の兄妹に少し憧れていた。


 しかしながら、幼いは知らなかったのだ。


『進むも地獄退くも地獄……藤壺に住まうの……あの女の存在を……』


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