🔮パープル式部一代記・第四十二話

 帝は怒り心頭で清涼殿の中で、ぐっとこぶしを握っていた。


「なんてことをしてくれた……伊周これちか……定子さだこばかりか朕にまで大迷惑をかけおって……ああしかし、しかしながら彰子あきこは父親とは似ても似つかぬよい子だからなんとかなるか……も……? 無理……でも、出家だけは……それだけは……ええい出家させてはどうしようもなくなる! いたしかたなし!」


 そして、帝からの使者にして、状況をまったく訳のわかっていない藤原行成ふじわらのゆきなりが清涼殿と土御門殿つちみかどどのの間を、せっせと往復してから数日後に定子さだこさまの兄、伊周これちかは、帝の命でもなく史実よりかなり早く、理由は、あとで出てくるが、内裏へ出仕ができなくなっていた。


 また、そのときの道長といえば、大けがのをして御几帳台(天蓋付きベッド)に寝転がったまま、自分には大甘の姉に借りた、「さかさものがたりpart2、part3」を、「part1を知らないから少し厳しい……part1は、倫子みちこがどこかに隠しているのか……貸してくれるかな……しかし、この内親王は誰かモデルいるのかな? いたら会ってみたい……」などと言いながら、寝ころんだまま腕の傷に大げさな手当てをさせて、行成ゆきなりが使者として自分のところにきたとき以外は、元気溌剌、必死に「さかさものがたり」を読み込んでいた。


 そして、「もう、なんなの!? 今日は、なにひとつ仕事が進まないんだけど!? これで最後だって! って道長はその怪我はどうしたのかいい加減教えて!? 今度、落ち着いてからでもいいからさ……まあ、お大事にね……」そう言いながら行成ゆきなりが持ってきた、「敦康あつやすを藤壺で養育することを許可する」そんな帝のふみに目を通して、道長は行成ゆきなりが帰ったあと、と笑っていた。


「計算通り……なにせがくれた証拠(例の石の枕で気絶させられた犯人)は、こちらで確保している。今度こそさよならだ伊周これちか……」


 そんなこんなで定子さだこさまの兄、伊周これちかは、史実よりもなお早くまつりごとを司る内裏という名の舞台を降りることになる。


 なぜならば、彼が素知らぬ顔でこっそり人目を避けて土御門殿つちみかどどのへ、くだんの陰陽師、安倍晴明あべのはるあきを呼んで頼みごとをしていたから……。


 これが、伊周これちかが出仕できなくなった訳にようやく繋がる。


「はあ……なんとそんな呪い……やってみたことありませんが、まあ大丈夫です! わたくしですから! 」


 そして、道長の要望を聞いた安倍晴明あべのはるあきは、以前と違う謎のステップ(占いの所作)を庭で踏んでなにやら呪文を唱えていたかと思うと、「できました!」そんなことを言って、どっさり口止め料をもらい、「まいどあり!」そんな風に言うと機嫌よく帰っていた。


 ***


 安倍晴明あべのはるあきが、土御門殿つちみかどどのから帰っていた同じ頃、伊周これちかはすべてを賭けて、すべてを失ない呆然としていたが、なんとか素知らぬふりで打毬だきゅうをしていると、彼の騎乗していた馬の耳にが飛び込んで突然暴れだし、落馬した彼は生きてはいるものの、全く身動きもできず話すことすら簡単には、できなくなっていた。


 呪詛かとも思われたが、彼にも馬にでさえその痕跡はなく、人々は仏罰すらウワサする。が、なんのことない。道長は、「アブ」を安倍晴明あべのはるあきに操作させていたのである。


 その後、彼が住んでいたやかたからは、人影がぽつぽつと消えてゆき、やがて最後には廃屋のようになったとか……こうして彼は、史実より早々に政界から姿を消し、その後、自身では身動きひとつできぬ生き地獄……そんなときを過ごしてから、寛弘7年(1010年)にひっそりと亡くなる。


 少し遠い話ではあるが、その頃には彼のことを覚えている者は、ほぼ、いなかったという。


 ***


〈 時系列は、例のアブ事件から数日たった藤式部ふじしきぶつぼね 〉


「バカさま生きていたのか?」

「お前、もう少し心配したらどうだ?……見舞いのふみもないとは……俺が死んだら、お前とお前の家族がうち揃って、路頭に迷うの分かっているのか?」

「もう、大作家だから大丈夫かと思っていた……」


 藤式部ふじしきぶはそんなことを言いながらバカさま、もとい道長を見上げでいた。


「一冊こっきりで生きていける訳ないだろうが……写本からの上がりがなきゃ、無理に決まっているだろう? 親と娘と三人で少しくらい写本してもどうにもならんぞ? 書くだけでも限界近いくせに……紙の仕入れ先と販売先の交渉なんて、お前にできるのか?」

「むっ……また、しなびたに……嫌だ嫌だ……バカさま元気でよかったな。実にめでたい……」


 言われてみればと、藤式部ふじしきぶこと「ゆかり」は市場でに本を並べて、腹を空かせる自分の一家を想像し、暗闇色の眼をもっと暗くしていたので、道長は相変わらずのゆかりに苦笑していた。


「まあいい……そう言えば汝梛子ななしは元気か?」

「え? 汝梛子ななし? 元気だよ。しょっちゅう宰相さいしょうの君と一緒に遊びにきてはなんだかんだと……今日はいないけどね。明日は、おもしろい話が聞けそうで帰りが楽しみで楽しみで……あ、道長にはこれ、実は、お見舞いを用意してた……今日だれかに届けてもらおうかなと……ほんとすぐに立ち直ったな……驚いた……」

汝梛子ななしの話、それおもしろそうだからまた聞かせろよ。あ? 見舞い……見舞いってなんだこれ?」

「人生の必需品だ……ま、汝梛子ななしの話は、また今度な……」


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る