🔮パープル式部一代記・第四十一話

 少し本編から逸れたような話にはなるが、皇后・定子さまがになったあと、脩子内親王ながこないしんのう(4歳)」は、定子さまの妹である御匣殿みくしげどのに少しの間だけ後宮で育てられていた。


 しかし、その御匣殿みくしげどのは体が弱くすぐに危うい状態となってしまい、帝に穢れ(死)を近寄せてはならぬと、すぐさま内裏を出てしまい脩子内親王ながこないしんのうと、引き離されることとなる。


 そして、父である一条天皇が定子さだこさまを想うあまり、脩子内親王ながこないしんのうを溺愛というか、まあようは「絶対に𠮟ってはならない育児」を周囲に命じて、時々、顔を出してはなんだかんだと甘やかすだけ甘やかしていた。


 そんな訳で彼女は、あの思考が大混乱状態であった定子さまの「そたながであったなら」その言葉の呪縛なのか環境のせいなのか、寝ているとき以外は『かんしゃく玉』のような状態の子どもになっていた。


 彼女に仕えるになった、女官や女房たちは密かに、あるいは大っぴらに彼女のことを「」と呼んでいたし、彼女たちが住まう殿舎は、「危険物取扱処きけんぶつとりあつかいどころ」なんて他の殿舎の人々から気の毒がられていた。


「なんで!? なんで、きょうは、てんきがよくないわけっ!?」


 その日は、御几帳台から出ると目に入った曇り空がうっとおしいと、朝一発目のを起こし、洗顔用にと用意されていた角盥つのだらい(洗面器)を、あっという間に蹴りとばしていた。


「あっ……!」


 周囲の女房が止めようとしたときはすでに遅かった。磨き抜かれた床と美しい縁の施された畳は水浸しで……「早う、早うだれぞ片づけを!」


「今日のはなん連発だと思う……?」

「さあね……あたしらには関係ないよ……」


 下働きたちは女房たちがおろおろと、「いがぐり」の周りで騒いでいる中、そんなことを言いつつ床を掃除して、周囲の片付けを終えると姿を消す。


 自分たちは高貴な方々とでよかった。彼女たちは、ただそう思いながら、日々こんな後片付けに追われる始末である。


 掃除道具を片付けていたひとりが、ふと、よそで聞いたウワサを口にしていた。


「あのさ……ってば、敦康親王あつやすしんのう(2歳)と一緒に、今度、中宮・彰子あきこさまのおわす藤壺へ、帝がお連れにならっしゃるらしいでおじゃりますわよ?」

「なにその変な話し方?」

「いいからいいからここだけの話……と、敦康親王あつやすしんのう、どうやら帝が中宮・彰子あきこさまに、御養育をお願いしたいとかなんとかで……そのうちに行くかもってさ……」

「へっ!? 敦康親王あつやすしんのうはともかくは厳しくない? 中宮さまはまだ十四歳でおじゃろ?」

「それな! 厳しいよな――ただのならよかったのにね」


 は散々な言われようであった。


 しかしながらこと道長が、彰子あきこちゃんが万が一にも皇子を産めなかった場合の保険として、敦康親王あつやすしんのうを藤壺で囲い込むことを、あの日、ゆかりのつぼねで思いついていたことにより、この、の運命の歯車も外れて行ってしまうのである……。


 ***


 母のいなくなった敦康親王あつやすしんのうを、中宮の元で御養育させて欲しい。


 藤式部ふじしきぶつぼねで、検索、もとい、悪巧みをしていたあの日、あのあと道長はそう帝に奏上していたから。


 その話は道長のすげなく却下される。そう、彼のに……そしてそれが前出の事件にいたる、道長の計略のはじまりであった。


藤原伊周ふじわらのこれちかの終わりのはじまり……』


 ***


 亡き皇后の遺児である敦康親王あつやすしんのうとの血の繋がりを支えに、なんとかかんとか道長から権力の座を取り返そうとしていた、そんな、定子さまの実兄、藤原伊周ふじわらのこれちかと、その弟を孫可愛さに、まあ、もう反省しているのでは? そんなことを女院さまが言ったばかりに、その言葉を待っていた帝がすぐに反応して伊周これちかたち兄弟を呼び戻していたのを、彼はなんとかしたかったのである。


 ***


 伊周これちかは京に帰ってからは弟と一緒に、一生懸命に公卿たちにも頭低く腰低く「反省! もう反省! 猛省! 一からの出直しです!」などと言っていたが、やはり道長にとっては邪魔、それしかなかった。


 それに伊周これちか伊周これちかで、陰では道長を呪詛をしてみたり、土御門殿つちみかどどのの下働きを買収して牛車の輪に細工をしたり、内裏への通り道に死んだ動物の死骸を置いて、行き触れにさせて出仕の邪魔をしたりと、表向きは反省していたが、その実は道長の「目の上のたんこぶ」という行動しかしなかったのである。


 内裏の公卿たちは・道長と伊周これちかいろいろな思惑と共に迷ってはいたが、だいたいはこんな風な会話をしていた。


「あえて選べと言われれば……」

「う――ん伊周これちかはやめとくか……父親がいたときのアイツに比べたら道長の方がマシだし……」

「それにといえば……譲位した花山法皇に矢をぶっ放すようなやつだからな……」

「弟といいあれからまだ五年、どうもあの腰の引くさがかえって……あたらずさわらず……」


 そんな感じの評判であった。


 そしてその扱いは真実をついていた。そう、伊周これちかは本当の本音はなんにも変わっちゃいなかった。


 ゆえに、道長の狙い通りにその奏上は、伊周これちか低い怒りの沸点を吹き飛ばすには、「敦康親王あつやすしんのう」の話は十分な温度を持っていたのである。


敦康親王あつやすしんのう」の「藤壺で御養育」その話を耳にした伊周これちかは激怒のあまり精神崩壊を起こし……彼の「完全消去」を企んだ道長のてのひらの上で知らぬ間に、うかうかと踊らされることとなる。


 道長のてのひらの上に気づかず乗せられた伊周これちかは、彼は、自分のすべてを賭けてゲームにオールイン つまり手持ちを全てしていた。


 伊周これちかは、買収した内裏の者に宿直に配る白湯に眠り薬を入れさせ、やはり手配した暗殺者を内裏の中へ手引きすると、道長を襲撃したのであった。


 すべてを道長が予想した通り、いや、少し彼が手傷を少し負う程度くらいには、ほんの少しその予想を上回りはしていたが……


 そして、その襲撃をなんとか避け切った道長は、あえてそれら伊周これちかの行状を伏せたまま帝と交渉した結果が、先程の「敦康親王あつやすしんのう」の「藤壺で御養育」一旦流れた話の復帰に繋がる。


 帝は、退けたこの話を今度は許可せざるを得ない、あるいは道長に今度は自分から頼まねばならぬ、そんな状況に陥ってゆく。


「もう、と、敦康親王あつやすしんのうは……御出家されるしか……よろしかったら帝もご一緒に御出家なさいます? まあ、黙っていても構いませんが……あくまでもによっては……ですけれどね……」


 道長は、そんな圧をあの日こっそり土御門殿つちみかどどのへ帰り、物忌みと称して出仕を止めてから、「いててて……」なんて言いながらも土御門殿つちみかどどのから、毎日毎日すべての力を駆使して帝に圧をかけまくり、「としては、居貞親王おきさだしんのうが、いますぐ即位なさってもかまいませんっと! はっ! 駒(娘)はいくらでもいる、やりようはいくらでもあるからな……これでどうだっ!……とどめの一撃!」なんて、もはや脅迫状態のふみを出していた。


 伊周これちかと道長の行動によって帝は、窮地に立たされてゆく。


 いま現在の自分の東宮は「敦康親王あつやすしんのう」ではなく、自分と同じくである「居貞親王おきさだしんのう」である。


 そして当然ながら帝はそれを廃して、「敦康親王あつやすしんのう」をなんとか伊周これちからを引き立て、強力な後見として東宮にランクアップさせようと考えていたところに、この騒ぎだった。

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