🔮パープル式部一代記・第三十八話

「今度さ、定子さだこさまの御子、脩子内親王ながこないしんのうと、敦康親王あつやすしんのうが、藤壺にくるんだってさ――!」


 伊勢大輔いせのたいふが、藤式部ふじしきぶをガクガク揺さぶりながら告げていた、びっくり仰天ニュース『おいでませ藤壺へ! @脩子内親王ながこないしんのう敦康親王あつやすしんのう』計画を、実は、藤式部ふじしきぶは、どこか頭のすみっこで聞いた気がしていた。


「はて……?」


 それというのも道長が、他の女房が出払っている朝っぱら、宿直とのいあけに彼女のつぼねで寝こけていた彼女を無視して、つねに完備されている文机ふづくえの上にある紙に墨を擦ってから、うにゃうにゃと筆で落書きしつつ考え込んでいたからである。


「う――む、うちの彰子あきこ……帝とは、まあまあ仲良くやっているはいるけれど、まだ、子どもができるような年でもなし……他の女御にも牽制は一応必要……」

「バカさま、いま、わたしは寝ている時間だ……どこぞへと行け……」

「うるさいな真剣に悩んでいるんだ……勝手にやってるから気にするな……あの三人女御は、まあ大丈夫だとは思うけど、う――む……」


 なんて、定子さだこさまのときを彷彿とさせるご様子で、またまた、「敦康あつやす どうする? 敦康あつやす 姪の息子 敦康あつやす 放置 伊周これちか 帰ってきてる 伊周これちか 完全消去方 敦康あつやす 呪詛 伊周これちか 呪詛 伊周これちか 闇討ち……」


 そんな、ほぼ無意識なやり取りとひとりごとが、うるさかったからである。


 どうも道長は、あたり一帯を震撼させるような黒光りするひらめきが欲しくなると、地獄の根暗、暗黒色の藤式部ふじしきぶに活路を見いだすがごとく、無意識に勝手にボヤいては勝手に帰るクセがあった。


 地獄に仏ならぬを、彼女のうしろに見いだして、拝んでいるのかもしれない。


「わたしの青菜がなくなっている……やはりあれは夢ではなかった……」

「なんの話?」

「いや別に……」


 いつ起きるか、いつ寝ているのか、そんな藤式部ふじしきぶに付きあっているうちに、とうとう自律神経を崩したらしき緑子みどりこが、先日、渡殿わたどの(廊下)で、ばったりと倒れて、そのまま延々と寝てしまうという事件があり、藤式部ふじしきぶが、「別に朝餉あさげは、できたてでなくてもいいよ……」そうも言ったので、朝餉あさげは他の女房たちが食べている時間と同じ頃、そっとなにか罪人の食事を差し入れる……そんな呈で娘の汝梛子ななしが、「置き朝餉あさげ《あさげ》」をするようになっていた。


 そして、『夢だったかな?』そんなぼやけた記憶でしかなかった道長は、放置されて少ししなびつつある朝餉あさげを無意識につまみ食いしながら、検索、もとい、陰謀を企んでいたのであった。


 文机の上にはやはり見覚えのある文字と変な落書き……藤式部ふじしきぶ《ふじしきぶ》は、ぼそりと小声でつぶやいていた。


「あいつまた黒い戦いをつもりだな……」

「なに?」


 聞き損ねた伊勢大輔いせのたいふが聞き返してみたが返事はなく、どう見ても、「朝餉あさげに青菜が出し忘れられてひがんでいる女……」そんなご様子であったので、「なにさ、せっかく、びっくり仰天ニュース持ってきたのに青菜の心配かよ……」なんて彼女は言っていたが、ふと、嫌なことを思い出していた。


「あと、そのさ、びっくり仰天ニュースのお陰で、明日はがくるよが! ほら! あの面倒なのが!」

「え? だれ? あ、あの、あいつか……なんで……?」


 伊勢大輔いせのたいふは深いため息をつく。


「うち(藤壺)の女房たちは風紀の乱れ(服装)がひどすぎるって……脩子内親王ながこないしんのうと、敦康親王あつやすしんのうがいらっしゃるには、教育に悪いとかなんとか……突撃してくるらしいよ……」

「あ、あかいのがいるもんな……」


 藤壺の「追い剥ぎ」こと藤式部ふじしきぶは、自分は関係がなさそうに、「あれは、もの凄い迫力だから……」なんて、赤染衛門あかぞめえもんのことを頭に浮かべていたが、もちろん一番珍妙なのは藤式部ふじしきぶであり、制服とまではゆかずとも、「あそこ、藤壺は、ちょっといくらなんでもね……」などと、他の女御や女房、女官にいたるまでひそひそされていた。


 しかしながらそこは絶対権力者、「道長の娘にして、中宮・彰子あきこちゃん」の女房たちなので、あくまで周囲はひそひそするだけであり、中宮大夫ちゅうぐうだいぶ斉信たたのぶが、そこは、なんとかするべきであったのだが、彼は藤式部ふじしきぶの後始末だけで、毎日、ほぼ手一杯であったので、そのくらいはと知らんふりを決め込んでいたのである。


「若い頃ってさ、いつも言われてたじゃん…………なんてね? 帝や中宮さまがお咎めにならぬのなら、それが今様いまよう(流行)という感じじゃね?」

「はあ……」

「ほら、それより宴の準備、次の宴の準備! だれか行程表持ってきて!」


 そんな状態であったので、女房たちはいろいろと確執はあったが、わりあいに服装に関しては自由気ままにふるまっていた。


 が、そこが、内裏一番のうるさ方にして、名門、ど金持ちなので内裏の権力を鷲掴み・左大臣道長にも気を遣わない、そんなただ一人の男『あの親父』こと『小右記しょうゆうき』で名高い式典や礼儀作法にも詳しく、そして、超うるさい藤原実資ふじわらのさねすけ(天徳元年、957年生まれ、四十五歳)のお気に召さなかったのである。


 ***


〈 藤壺の母屋 〉


「え……藤原実資ふじわらのさねすけから、藤壺の女房の服装についてなにか申し入れが? 別に、ちゃんとしていると思うけれど……裳でしょ、唐衣でしょ…あと、その他……え? どこかだれかに問題でもあるかしら? 赤染衛門あかぞめえもん? ちゃんとしていると思うわ。だってあの生地! 遠目によさが分かるくらい、質がよくて艶光り……うちは後宮一のセンスよしな御殿よ! 内親王ないしんのうと、親王しんのうが、いまから、いらしても大丈夫!」

「中宮さま……大丈夫ですか……?」

「え? なにが?」


 そう、根暗は、ほぼ脱却しつつあるけれど、中宮・彰子あきこちゃんは、言い出せない訳でもなく心が広い訳でもなく、絶望的にセンスがなかった。


 彼女がいつも美しく身だしなみを整えられていたのは、いま思わず「大丈夫ですか……?」なんて口を滑らせた、例の「大納言・ドゥ・ポンパドゥール」こと、大納言の君(叔母、倫子みちこさま公認の道長の公妾)が、妹である小少将こしょうしょうの君と、毎日毎朝、必死になってあれこれと用意しているからである。


 落ちぶれ姫君とはいえ、このふたりの卓越したセンスのよさは倫子みちこの認めるところであり、「いやね、大納言の君を見ていたら、つい、初対面のときの倫子みちこを思い出して……つい……申し訳ない……いつでも、いまでも、ひと目見れば最高なのは倫子みちこなんだけど、忙しくて帰れないときについ……」なんて、殿、道長が言う言葉にコロッと転がされた妻、倫子みちこは、「もう、しかたのない殿ですこと!」なんて言って現実的に考えてもあの姉妹以外に、娘の彰子あきこちゃんの装いを、自分に代わって整えられるのは他にいないと、目をつぶっているのであった。


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