🔮パープル式部一代記・第三十六話

 定子さだこさまは心の闇を藤式部ふじしきぶに洗いざらいぶちまけていた。


「ほうほう……それはそれは、大変なことで……」

「そうよっ! だから、もう、こんなところにはいたくないし、清少納言とふたりでどこか遠くでのんびり暮らしたい訳!」


 そう言い切って肩で息をしている定子さだこさまに、クモの巣を被った女は、まるで悪魔のような言葉をささやいていた。


「本当に、……できなくもないですよ……」

「え……?」

「いますぐ決めてもらえればね……」

「……こ、子どもたちは?」


 定子さだこさまは、至極まっとうなことを口にしていたが、藤式部ふじしきぶはこう言っていた。


「親はなくとも子は育つ……帝の子が露頭に迷う訳……ないですよね?」

「あ、ま、まあ……」

「それに、うちの子も親は、全く側にいなかったですが、もう、とんでもなく素晴らしい評判の子に……」

「あ、汝梛子ななしとかいう……そ、そうね……いや、いない方が、脩子ながこも落ち着くかもしれない……」


 それから床の穴をしばらく見つめていた定子さだこさまは小さな声で、藤式部ふじしきぶに答えを出していた。


「わたくし、あなたに賭けてみる!」


 生まれながらに、ずっと巨大なカゴに閉じ込められたことも知らなかった、であった定子さだこさまはそう言うと、むにゃむにゃ……いたたた……と起き出した清少納言に言いつけて、下働きの服をふた揃い用意させて藤式部ふじしきぶのあとをついてゆく。そう、彼女たちは穴から職御曹司しきのみぞうしを出て行ったのであった。


「これ持っていてもらえます?」

「よくてよ!」


 定子さだこさまはを手に、そして清少納言は藤式部ふじしきぶの書き留めたいろいろが書いてある紙の束を持って、闇に紛れて藤壺の床下までついてゆくと、藤式部ふじしきぶは、「少しお待ちを……」そう言ってから、再び、定子さだこさまから、を受け取って少しウロウロしてから、どこかの床を押し上げる。


 彼女が顔を出したそこは、藤式部ふじしきぶつぼねであった。


藤式部ふじしきぶさま!」

「しっ! 静かに! 汝梛子ななしは?」

「寝ておりますわ……」


 出迎えた宰相さいしょうの君に、藤式部ふじしきぶは、「娘を自分のつぼねで寝かせてやってくれませぬか……?」そんな至極、当たり前の母の気遣い、そのようなことを言い、自分も眠くなっていた宰相さいしょうの君は、こころよく了承すると、もう、藤式部ふじしきぶの騒音? に慣れ切って、ちょっとやそっとじゃ起きやしない周囲のぐっすり眠っている女房たちのつぼねの間を縫って姿を消していた。


 それから少しの間、なにかゴソゴソしていた藤式部ふじしきぶは、「巨大な書物入れ」と化している衣櫃ころもびつとは違い、同じ大きさだけれど少ししか装束が入っていない方に、ふたりを入れて蓋をしていた。


「よっこいしょ……これでよし……」


 ***


〈 翌朝の藤壺 〉


「これで全部ですね?」

「そうそう……じゃ、少しばかり行って参ります……」

「旅日記、楽しみに待っているわ――」

汝梛子ななし、いい子でな……」

「はい! お便り楽しみに待っております!」


 そう、藤式部ふじしきぶは、「世の中の様々なところを知ってみたい」そんな、中宮・彰子あきこちゃんをはじめとした世の高貴な姫君たちからの熱心な依頼を受けて、『藤式部ふじしきぶ旅日記・寺詣り・東北編』の取材のために、取りあえず越後で、単身赴任している、父の藤原為時ふじわらのためとき越後守えちごのかみ)をたずねる予定が前々から決まっていたのであった。越後の寺から順に京へと下りながら取材の予定である。


「もう出てきてもいいですよ」

「ようやく太陽が見られるのね……」

「大変な目にあった……」


 ようやく越後にある小さくて綺麗な家の中で、そんな会話をしていたのは、深夜だけ例の衣櫃ころもびつから出てきては食事をしたりしていた、例のふたりであった。


「さむっ!」


 清少納言は、いきなりそんなことを言っていたが、藤式部ふじしきぶは、「あのさ……冬はこんなもんじゃないからね……」そう言うと実に陰湿な笑みをにたりと浮かべ、話を続けていた。


「一応、書類上は父の近い親戚になっております……」そう言って、「鬼の代筆屋」の腕を活かして用意した、どこから見ても正式な書類を定子さまに渡すと、「父に会ってから、わたしは帰りますので……」そう言い、「いろいろな取次はこれからはお前が、ひとりで頑張れよ……これ、不用心だから餞別に……」彼女は、清少納言にはそう言うと手斧ちょうなと呼ばれるを渡して、なにもかも揃ったこじんまりした家に、ふたりを残して去って行った。


「よいところでございますね……」

「ほんとうに……ひなびたところだけれど、よいところだわ……」


 季節は夏、越後の極寒地獄を、まだふたりは知らず、冬がくるころには、「冬はつとめて、炭櫃火桶すみびつひおけの火を絶やすべからず!」そんなことを言いながら、ぴったりと火の側に貼りついていたが、ようやくストレスから解消されたのがよかったのか、定子さまは元気な赤子を母子共に無事に健康な状態で、命を落とすこともなく出産していた。


 それは、京の誰に知られることもなく、たまに藤式部ふじしきぶの父、藤原為時ふじわらのためとき越後守えちごのかみを継続中)に、「なんでも言っていいよ……わたしの友だちだって言ってあるから……」そう彼女が言っていたのも大きい。


 その言葉通り、「まさか、娘に友人が! 訳あって京を離れたと……なにかと、わたしが気遣いを!」そう思った為時ためとき(善人)が越後を離れるまでなにかと、ふたりを気遣ってくれた上に、どきどきどこからか、「雪の怖さを思い知ったか……」そんなふみと共に清少納言宛に様々な仕送りが届いていたので、ふたりは、史実とは異なり、手斧ちょうなと呼ばれるを横に置いて寝起きしつつ、平安の世であったためか、その先は現代ほど長くはなかったが、越後で平和な生涯を終えたのであった。


 なお、生まれた子は女の子で、自分が内親王であることも知らず、まだそのときは越後守えちごのかみであった藤原為時ふじわらのためとき(善人)の紹介で、身分的には受領ではあるが、とても自分を大切にしてくれる人と巡りあい、子はできなかったが、仲むつまじく幸せな生涯を送ったという。

 


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