🔮パープル式部一代記・第三十五話

 頭にクモの巣を絡めたままの藤式部ふじしきぶは、ようやく墨が擦りあがったのか、横に置いてあった紙を取りあげ、ふたりの前で筆をかまえていた。


 肩を寄せあい手を取りあってガタガタ震えていたふたりであったが、それでもさすが、「ドヤ少納言」と呼ばれたりもする気の強い女、清少納言は、これがあのしょうもない物語の作者! 皇后・定子さだこさまをお守りせねばと、定子さだこさまを庇うように、ずいっと間に割って入り、いささかうわずってはいたが、キッと藤式部ふじしきぶを睨みつけながら声を出していた。


「な、なんの取材な訳!? こっ、皇后さまに、この無礼! 許されぬしょ……」

「邪魔……この世間知らずの豪雪知らずめ。お前に用はないよ……」

「え? ご、豪雪……なんの話?」

「越前をなめるなよ……あやまれ……」

「???」


 陰湿な藤式部ふじしきぶは、まだ、「冬はつとめて……」の「枕草子・冬編」を根に持っていたのである。自分に言われた訳でもないのに……。


『ただの一個人の感想です』


 枕草子に、そのがなかったばかりにこの始末……クモの巣を荒らしながら入り込んだ床下でふたりの話す声をじっと聴いていた藤式部ふじしきぶは、だいたいのことと人物を把握して、わざわざ持ってきた……なぜか持っている手斧ちょうなと呼ばれるで床板をはぐって顔を出していたのである。


 そして、筆と紙を置くと、ガバリと出てきた穴を再び覗き込んで、そのを取り出していた。


 ***


「俺の手斧ちょうな知らない? どこ行ったのかな?」


 これはこの間、藤式部ふじしきぶが、ようやく汝梛子ななしとの初顔あわせをしたときに、ちっちゃい彼女の家の近くで、ちょうど隣が修繕中であった家の周りを大工がウロウロしながら言っていた言葉であった。


 彼女は、「おや? おやおやおや? なにか落ちている……これは、御仏みほとけからの授かりもの……」そんなことを言って休憩中の大工の目を盗んで、「これはよきもの……」そう思い、藤壺に持ち帰っていた。


「そ、そなた、もしや左大臣の刺客か!? だっ! だれぞ……!!」

「うるさい……すぐに、おいとましますって言っているのに……くらえ、越前の恨み……」


『ゴンっ!』


 そんな、小さな鈍い音がしてすぐに清少納言は、の方で気絶させられていた。


 定子さだこさまは、「ああ、わたくしの人生はここまで……」そう思い、ぎゅっとまぶたを閉じて固まっていたが、いつまでもなにも起きないので、ひょっとしていまのは、わたくしの見たまぼろし……そんなことを思いながら、そおっと目を開けていた。


「まだいる……」


 そう、藤式部ふじしきぶは、を横に置いて、また筆と紙を持って目の前に座っていたのであった。


 ふたりの間には、気絶して床でのびている清少納言……


「一体、左大臣が、わたくしに、なにを……」


 定子さだこさまは思い切ってそう尋ねてみたが、目の前の物の怪、もとい、藤式部ふじしきぶとやらいう不気味な女は、にたりと笑って口を開いていた。


「あ、ではありますが、今回はまったく、作家、一個人として伺っております……」

「そうなの……?」

「はい……まったく関係なしです。なにせ、現場百篇げんばひゃっぺんあちらこちらで聞き込みをせねば、そうそう、血の通った物語は生み出せぬ物でございまして……」


「あなた……この調子で、あちらこちらの床板を剥がして回っているの?」

「いえ、これは今回初挑戦、皇后さまが初の御体験でございます……」


 そんな「初の御体験」なんでいらない……定子さだこさまはそう思ったが、にじり寄ってくる藤式部ふじしきぶは、とにかく不気味で恐ろしかったし、もう、床下でアレコレ聞いていたと言うのなら、いまさら隠す必要もないかと開き直って、自分を崇拝する清少納言には言えなかった心の闇を、藤式部ふじしきぶに、洗いざらいぶちまけていた。


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