🔮パープル式部一代記・第二十六話

「この子! この子が藤式部ふじしきぶさまの御子!?」


 そんなことを言われていた汝梛子ななし四歳は、母の藤式部ふじしきぶとの出会いの興奮も冷めやらぬ中、「間にあわない……決められた時間に届けるのは絶対に無理……」そんなことを言って目を血走らせている母に、「それでは、わたくしめが先に行って時間を稼いでおきます!」そう言うと、母から推薦状? を書いてもらい、すぐさま家を飛び出して東三条邸ひがしさんじょうどのまでたどりついたのである。


「たぶん俺の子……」


 そんな父、藤原宣孝ふじわらののぶたかから、いきなり藤式部ふじしきぶに預けられた汝梛子ななしは、もう四歳であった。


 「たぶん俺の子……」


 そんな状態で藤式部ふじしきぶ預けられた、あやふやな子ではあったが、やはり本当に宣孝のぶたかの子ではあったらしく、「逆行に強く、世渡り上手で、いつでもモテ期の盛り上げ上手!」そんな宣孝のぶたかの才能を一手に引き受けたような汝梛子ななしは実に愛らしく聡い子であった。


 宰相さいしょうの君は、「これは、藤式部ふじしきぶさまと親しくなるチャンス!」そう思ったかどうかは分からないが、嬉々として、「ちょうど女童めわらの小さくなった汗衫かざみがあるのでお着替えなさい。きっと藤式部ふじしきぶさまも喜ばれるわ」そう言うとそっと中へと連れて入る。


 そして、前出の山吹子やまぶきこのお下がりではあるが、そこは女院さまのお気に入りの山吹子やまぶきこのお下がり、とても豪華で上品な小さな汗衫かざみの一式を用意させて、みずから着替えさせると女院さまに、「実はいま……」と、汝梛子ななしのことを話していた。


「え? 先に藤式部ふじしきぶの娘がきてる!? 原稿が時間に間にあわないから繋ぎに……って、新作!? 続きが読める訳!? 娘、愛想よくて行儀もいい!? 本当にあの藤式部ふじしきぶの子!? 怖い物見たさだったのに!」なんて驚いていたが、差し出されたふみに浮かぶ誰も迫れぬ美しい筆の跡は、確かに藤式部ふじしきぶのものであったので納得するしかなく、まあ暇つぶしに……なんて、女院さまは目通りをゆるした藤式部ふじしきぶの子、汝梛子ななしのことを、すぐに気に入っていた。


 そうこうして、汝梛子ななしの母、藤式部ふじしきぶが、帝と女院さまの感動の対面よりかなりあと、ずるずると袴をひこずりながら、よれぼろで到着する頃にはすっかり汝梛子ななしは、そこにいたすべての人々の「お気に入り」になっていた。


「さすが宣孝のぶたかの子……本当に、宣孝のぶたかの血をひいていたのか……」


 藤式部ふじしきぶはそうつぶやいたという。


藤式部ふじしきぶちょっと相談! お前の娘の汝梛子ななし、絶対に将来うちから五節の舞姫に出してくれ! 頼む! でもさ本当にお前の子? 似てないな!」


 そんなことを言いながら道長は笑いつつ、こっそり彼女に無遠慮に言い放っていた。


「五節の舞姫……いいよ別に。汝梛子ななしは、夫の子には間違いないよ……わたしは産んだ覚えがないんだけどね……」

「ちょっと待て……男が自分の子かどうか分からない。それは分かる。が、お前、お前が産んだ覚えがないって、なにそれ!?」

「…………いいんだよ別に」


***


「殿!? 藤式部ふじしきぶと一体なにを話し込んでいらっしゃったの!?」


 倫子みちこは、妻二号、明子あきことの小競りあいにイラついていたのか、険のある目つきで道長を見ていたが、なんにもやましいことのない道長は、藤式部ふじしきぶの事情は伏せたまま素直に答える。


「あ、倫子みちこ、うん、いや、藤式部ふじしきぶの娘を将来、うちから出す五節の舞姫に絶対なってくれって予約をいれてた! 苦労したよ! いまから舞を教え込んでくれる誰かを早めに手配してくれる?」


 話が通じないから結局は紙の束と墨で交渉したと道長は言いながらため息をつく。倫子みちこは、あの藤式部ふじしきぶ相手によく瞬時に話をまとめたと、やはり殿は、わたしの見込んだ御方……そんな風に夫を見直して横に座り直していた。


「あらまあ、お気のお早いこと……でも、本当に愛らしいからいまのうちに押さえた殿のご判断、お見事ですわ……汝梛子ななしとやらいう娘は、父親に似てよろしゅうございましたわね」

「それな、ほんとに思うわ――うちは、中宮・彰子あきこさまをはじめ、みな、母親似でよかったと思うけどね」

「あらまあ殿ったら! そんなに褒めてもなにも出ませんよ? 殿に似てもイケメンですのに、もう殿ったらご謙遜!」


 倫子みちこをそんな風に褒めまくる道長に、彼女の機嫌はすっかり持ち直し、倫子みちこ汝梛子ななしを呼んで、きゃっきゃとかわいがっていた。


 そんな訳で、父親はともかく母親とは血がつながっていない、そんな汝梛子ななしではあったが、五節の舞姫の予約代わりにと、無職街道まっしぐらであった、祖父、藤原為時ふじわらのためときは、道長の無理やりな差配でまたもや無職を脱出し、今度は、「越後国えちごのくに越後守えちごのかみ」となって、単身赴任の旅に出ることになったのである。


「越前より寒いってさ……これ、餞別……」

「さよなら御祖父君……」


 藤式部ふじしきぶ汝梛子ななしと一緒に、父へ宗の本と炭の束を、山ほど渡して彼が京を離れてゆくのを見送っていたという。

 

 学者バカ一代、帝にすら褒められるほどの才能に満ちあふれながら、世渡りが下手すぎる男、藤原為時ふじわらのためときは、娘と孫? には恵まれていたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る