🔮パープル式部一代記・第二十一話


 さて、話は少しそれるが、なぜこれほどに帝が藤壺での読書にこだわるのか? それは図らずも蔵人頭くろうどのとう(意訳:帝の秘書)の藤原行成ふじわらのゆきなりのせいでもあった。


 道長のツレ(ご友人)でもあり、平安時代の書道家TOP3に選ばれるほどの美文字、歴史的に見れば、日本独自の書道スタイルを作った人物であり、その真面目な働きぶりや忠誠心で一条天皇の信頼も厚かったし、彼自身も道長との友情は大切にしつつ、ここ一番というとき以外は、生真面目に帝のために働いていた。


 そうに……


行成ゆきなりさま……写本室より、例の「物語」の新作が帝へと……」

「……こっちに貸して」


 女官が恐る恐る彼に、「源氏物語」の新作の写本を手渡すと、彼は、いま取り組んでいた仕事を放りだして文机に向かい、鋭い目つきで、「物語を一字一句、見落とさぬようにと内容に目を光らせていた。


 別に、先に読もうとしている訳ではない。「帝に相応しくない表現」がないかどうか検閲していたのである。


「だ――! 今回の展開! なにこれっ!? え? ああ、ここは神聖な帝には見せられない! ここも、そこも、この章は全削除!」

「…………」


 結果、いつも帝に届く「源氏物語」は、あちこち墨で黒塗りされたよく分からない塗りつぶしの方が多い、そんな、なぞの物語なのであった。


「新作でございます……」

「そう……」


 帝は行成ゆきなり御簾内みすうちへと、かしこまって届けた美しく装丁された「源氏物語」にちらりと目を向け、だれもいなくなったのを見計らって物語の表紙を開いては大きなため息をついて、本を手に孫庇に出ると、光にかざしてみたり灯りに透かしてみたりして駄目だと諦めると、「豪華装丁版」を、そのあたりに置いてなんだかんだと必要な仕事を済ませ、定子のところへ行こうと心には思うけれど、足は言うことを聞かず、結果、彼は、ぶらりぶらりと、「モノホンお宝、作者直筆、無修正源氏物語」が置いてある藤壺へと向かうのであった。


 彼は、神聖な帝でありなのであった。


行成ゆきなり……悪い男ではないのだが……」

「そうでございますか……」


 そんなこんなで帝は、まだまだ幼くて自分とどうのこうのなんて、それこそ物語よりも想像がついていないらしき天然系美少女(帝目線)、中宮・彰子あきこちゃんと並んで、黒塗りのない物語を読みながら、「これはどういった意味……はて?」なんて言っている彰子あきこちゃんが読んでいる部分に目をやると、「まだ、彰子あきこには早いということだよ」そんなことを言い、笑っていた。


 その言葉に少し口を尖らす彼女を眺めながら、「ああ、妹がいればきっとこんな感じ……」ひとりっ子の帝はそんな風に思い、「ははっ!」と笑いながらすぐ近くにいつもいる突拍子もない十二単じゅうにひとえ姿の藤式部ふじしきぶに、こっそりと自分がいま読んでいる部分、「愛情と情念の凄まじさ」について、本人に問いかける。


 すると、実にジメジメしたとても作者をとは思えぬ陰気で根暗そうな藤式部ふじしきぶは、「表だっては、ただの恥さらしとも言えましょう。しかしそれはそのでき事と巡りあい、そして過ごした年月が、お互いを引き寄せあうも決してひとつにはならぬ……ひとつの愛がもたらした、決してひとつにはなれぬ。運命という名の悲恋が奥底に流れているということかと……そうではないでしょうか……」などと、やはり地獄から聞こえてきた恐ろしきお告げ……そんな声色ではあるがさすが作者である。


 そんな風に、大切に育てた作品の裏側を見通した、実に、気の利いた返事が返ってくるので、「なるほど……悲しき恋の運命……言われてみれば。なるほど実に奥深い……中宮が、なん度も読み返す訳である……」帝はそんな風につぶやくと、再び物語を読みふけるのであった。


 やがて、中宮大夫ちゅうぐうだいぶといって、なんかんだかんだと、藤壺のお世話係をしている道長のツレ(ご友人)その弐、モテモテイケメン、との評判も高い藤原斉信ふじわらのたたのぶが顔を出し、「あの――そろそろ、お帰りになった方が……御曹司みぞうしにゆく輿こしの準備できておりますと連絡が……」そんな声をかけていたが物語に全集中していた帝は、それからかなりたってから、「また明日くる……」なんて名残惜しげに彰子あきこちゃんに言って、その場を去ろうとしたところ、「持ち出し厳禁……」などと、彰子あきこちゃんに懐に隠した物語を取り返されて、「おや、いつの間にか……」などと、ごまかしながら姿を消すのであった。


 いちいち輿こしに乗っての御曹司みぞうしへの訪れ、「定子は大切だけどちょっと大変……」帝は、そんなこと思いながら、輿こしに揺られていた。


***


「お前、ナイスな働きだな?」

「なんの話? えっ……な、なにそれっ!?」

「ふふふ、中宮さまから特別にと下賜たまわったのである! どやっ!」


 そんな会話をしていたのは退勤後、斉信たたのぶのやかたで、うだうだと酒を酌み交わしながら長話をしていた行成ゆきなり斉信たたのぶであったが、「俺は、無修正しか読まん!」斉信たたのぶは唖然とする行成ゆきなりへ、そう宣言すると、「ほれっ!」そんな風に、道長に頼んで中宮さまに下賜たまわった最新版にして、筆者直筆、完全版無修正バージョンを、ずいずいっと見せびらかしていた。


「お前、そんなヤツだったのか!?」

「初めからそうだが? まだ、出回っていない物だぞ。中宮大夫ちゅうぐうだいぶになれてよかった!」

「~~~~」


 酒の入った斉信たたのぶの話はまだまだ続く。


「こんどさ和泉式部にふみ送ってみよーぜ! マジで凄いぞアレは! 毎日毎日、山積みの恋文が藤壺に……俺、中宮大夫ちゅうぐうだいぶだから藤壺にしょっちゅう行くから知っているんだけどさ……おもしろそうな、おなごだろ?」

「~~~~」


 斉信たたのぶに大いに呆れた行成ゆきなりは、相手をするのを止めて牛車に乗り込むと、自分のやかたへ帰って行った。


「あいつ、清少納言はどうするんだろ?」


 え? はるか昔の元カノにいたような? はて? きっと聞けばそんな返事が返っていたに違いない。行成ゆきなりは、そう確信していた。


***


〈 翌朝の藤壺 〉


「紙、余っていませんか?」

「うわ驚いた! 出たな物の怪!……じゃなかった、藤式部ふじしきぶか……一気に二日酔いが覚めた!」

「よかったですね……藤壺中の紙を使い切ってしまい……」

「ああ、そう……」


 そんな、軽やかがいささか過ぎる中宮大夫ちゅうぐうだいぶ斉信たたのぶであったが、やはり藤式部ふじしきぶは、苦手であった。

中宮さまにご挨拶……そう思って藤壺に近づいた途端これである。


「あ、えっと紙ね……ちょ、ちょっとだけ待ってて! すぐに持ってこさせるから……ああ、驚いた……って、そこ! 曹司の壁に筆でメモるのは止めなさい!」

「忘れちゃいそうで……昨夜から、ふつふつと、なにか降りてきて忘れちゃう……道長さまお待ちかねの新作……」

「あ――もう、誰かおらぬか!? 誰ぞ、すぐに紙持ってまいれ! いますぐ! 超特急!」


 中宮大夫ちゅうぐうだいぶ斉信たたのぶは新作を手に入れやすい環境ではあったが、彼は彼なりに、やはり藤式部ふじしきぶには振り回されていた。


「壁をすぐに塗り直さないと……とにかく壁は禁止!」

「では……そのしゃくを借りていいですか……」

「はい?」


***


斉信たたのぶしゃくはどうした?」

行成ゆきなりか……しゃくは道長が地獄の鬼に持ち逃げされたよ……」

「???」


 藤式部ふじしきぶは紙が到着するまで、手当たり次第に通りかかった殿上人の杓を、「ちょっと、拝借……」なんて言ってメモ代わりにするために、根こそぎ持ち去ったのであった。


 杓は、もともとその日の行事のアレコレを裏に貼ってある「カンペ」である。その日の殿上人たちは、あちらこちらで仕事に支障を起こしていたという。


「今日の段取り忘れちゃった……」


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