🔮パープル式部一代記・第二十二話

 その日も藤式部ふじしきぶは、「声掛け厳禁ただいま絶賛執筆中」そんな札を魔除けのように几帳にぶら下げると墨擦り係? の緑子みどりこと一緒に自分のつぼねに立てこもっていたが、そこは可動式のパーテーションならぬ几帳での間仕切りなので、出入りしようと思えばできる環境ではある。


 が、これまでの悪行三昧の恩恵か? 彼女のつぼねに好んで立ち入ろうとする者はおらず、藤式部ふじしきぶは、「女院さまからの預かり物ですって!」そんな風に、「てんこもり」に届けられた和泉式部いずみしきぶに関する例の「取り調べ調書」を彰子あきこちゃんが神事で忙しいことをこれ幸いに、朝餉あさげを食べてからすぐに突貫工事とでもいうように読み込んでいたが、やがて日の光が空高く登る頃ぐるりと首を回すと、床に倒れ込んでいた。


 緑子みどりこが不思議そうに声をかける。あんなに楽しそうにお待ちかねでいらっしゃったのに……。


「ふじしきぶさま?」

「ちょっと昼寝するから、休んできてもいいよ……」

「はあ……」


 緑子みどりこは、少し怪訝な顔をしたまま自分のちっちゃなつぼねに下がってゆくと人影が見える。


 ひえっ!


 緑子みどりこはそう思うと音を立てぬようにと、気をつけながら後ずさりしていた。なにせ自分は、「藤式部ふじしきぶ」担当の女童めわらなのだ。


 すべての苦情は彼女に押し寄せていたのである。「きっと、きょうも、なにかの、くじょうにちがいない……」そう思った彼女は親しい女童めわらが、「いつでも にげて きて いいから!」そんなことを言ってくれていた、やはりちっちゃなつぼねに隠れようと思い、そちらに向かった直後であった。


 小さくてきゃしゃな手を、いきなりつかまれたのは……


「ひえっ! ひとさらい!」

「ち、違いますっ!」

「え……?」


 腕をつかんだ人物は、「名儒」と称された夫を持ち道長の正妻、倫子みちこに請われて出仕したはよいが、「わたくし用事があるからあとは中宮さまに聞いてね! 早く女院さまのところに急いで折り返さなきゃ! ではよしなに!」「えっ!?」そんな風に藤壺の近くで置いてけぼりをくらい、生憎、「神事」とやらで人が出払った藤壺の中で右往左往したあげく人の気配を探していた、のちに「女房三十六歌仙のひとり」にも選ばれる「赤染衛門あかぞめえもん」(たぶん父親は赤染時用らしい)その人であった。


 緑子みどりこはその才女である赤染衛門あかぞめえもんに捕まっていたのである。


「あ……このひと、まっかっか……」


 変な人に耐性のある? 緑子みどりこは気絶もせずに赤染衛門あかぞめえもんの温和な顔でも優雅な顔立ちでもなく、上から下までありとあらゆる赤でコーディネート、裳まで、ぎっしりと赤地に金の刺しゅうを施した、まさに「レッド染衛門」そんな彼女の姿を凝視していた。


「今日から女房として出仕した赤染衛門あかぞめえもんと言うのだけれど、どなたもいらっしゃらなくて……」

「あ、きょっ、きょうは、ちゅうぐうさまは、たいせつなしんじで、あすまで かえって いらっしゃいません」

「あらそう……暦を読み間違えたのかしら? あらあら、ふふふ……」


 ふんわりとそう笑う赤染衛門あかぞめえもんに思わず緑子みどりこもにっこりしてしまったが、ずっとこうしている訳にもいかない。「女童めわらの監視だけでは、ちょっとかなり怖い……」そんな中宮大夫ちゅうぐうだいぶ斉信たたのぶの言葉で、伊勢大輔いせのたいふという、こちらものちに、「女房三十六歌仙のひとり」に選出される藤式部ふじしきぶいわく、「あの女房は、少しは、言葉が通じるね……」彼女にしては、というような言葉で評されたがゆえに斉信たたのぶに、「絶対になにがあっても目を離すな! 最悪、検非違使を呼べ!」そんなことを言われてこちらは、「春夏秋冬」を問わず、「春! 春こそはすべてを制する!」なんて、上から下まで常に、「桜コーデ」に身を包んでいる伊勢大輔いせのたいふつぼねへと案内することにした。


「え!? 新しい女房……明日って聞いていたけれ……あ! あなたがウワサに高い赤染衛門あかぞめえもんさま! 藤壺へ!」

「おいでま……せ?」


「いま、ふじつぼで、はやっている、あいさつです……」

「あらまあ……」


 緑子みどりこの耳打ちに少し笑っていた赤染衛門あかぞめえもんは、「よく、わたくしが赤染衛門あかぞめえもんとお分かりに……」などと、やはりおっとりした口調で言いつつ初対面のあいさつをしていた。(だって、まっかっか……緑子は内心そう思ったが黙っていた。)


つぼねのご用意はあるのですが、まだ中宮さまへのご挨拶のあとでないと……あ、そうだ!」


 歌はすばらしいのに現物は雑だと評判の、臨時でここのつぼねにつめていた伊勢大輔いせのたいふは、がっと、右手にあった几帳を取り外す。丸見えになった隣のつぼねで眠こけていた藤式部ふじしきぶは驚きのあまり、御簾内みすうちから外の渡殿わたどの(廊下)へ転げだしていたが彼女は気にもせずに、「まあ、今日のところは、ふたつ繋げたこの臨時のつぼねで、おくつろぎ下さいませませ!」そんなことを言っていた。


「うわっ! なにこれ!?」


 御簾の向こうからは、渡殿わたどの(廊下)に転げて出てきた藤式部ふじしきぶに驚いた官吏たちの声が飛び交っていた。


伊勢大輔いせのたいふ……お前……」

「おいでませ藤壺へ!」

「なにが、おいでませだ、この大馬鹿娘……」

「まあまあ、せっかくの、お客さまですよ!」


 常人ならば腰が抜けてもおかしくない……そんな転がった拍子に身の丈程ある髪で、ばさりと顔は雑に覆われ、その隙間から血走った暗黒色の瞳で見つめてくる藤式部ふじしきぶにもめげず、伊勢大輔いせのたいふはコロコロ笑っていたが、藤式部ふじしきぶはやがて彼女のうしろに目が痛くなるような十二単じゅうにひとえを着た知らない女を見つけていた。


「誰?」

赤染衛門あかぞめえもんと申します……」


 そのまんまだな……。


 真っ赤に染め上げられた、あらゆる赤が重なる十二単じゅうにひとえを着こんだ新しい女房に、藤式部ふじしきぶはそんな感想を抱きながら、「結構、腹の座った女のようだ……」そう思ってから数刻後、伊勢大輔いせのたいふが特別にと取り寄せていた「唐菓子」に手を出しながら歌を詠みあいつつ、彼女への感想を口にする。


「よくそんな目の痛くなるような十二単じゅうにひとえを着てられるね……」

「うふふ、これなら誰にも思いまして……」

「…………?」


 藤壺にはときおり、「追い剥ぎ」が出るそうな……


 そのウワサは内裏に上がってもいない赤染衛門あかぞめえもんにまで届いていた。


「ふ――ん、そんな物騒な事件が藤壺で起きてるんだ……」


 藤式部ふじしきぶは、とぼけているのか自覚がないのか、そんなことを言っていた。

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