🔮パープル式部一代記・第二十〇話

 その日、帝はいつものごとくにやってきていたのだが、いつになくしんみりした気持ちになって人払いをしてから彰子あきこちゃん相手に、「昔、そなたの父である左大臣にも東三条邸ひがしさんじょうどので、いろいろとよく遊んでもらった」そんな思い出話をつらつらとしていたが、「こんど一緒に、お見舞いがてら東三条邸ひがしさんじょうどのへ参ろうか? 朕はそなたよりも東三条邸ひがしさんじょうどのに詳しいのだ!」そのような話さえ、持ち出していた。


東三条邸ひがしさんじょうどの……わたくしも行ってみとうございます。女院さまには幼き頃よりかわいがっていただきました。お寂しいお気持ちをお慰めしとうございます……」

「じゃあ決まり! 大内裏を出てすぐだから!」


 そう言って帝は帰って行った。


「う――む、高貴な方の思い出話……涙を誘うには鉄板ネタ……これは使える……」

「あら、まだいたの?」

「お邪魔しておりました……」


 藤式部ふじしきぶは帝の姿が消えると屏風の端から、ひょっこりヌルリと顔を出していたのである。


「いいのよ、藤式部ふじしきぶは出入り自由だから。さあ、新作の続きを読もうっと! お出かけも楽しみ! 女院さまは母君と違って彰子あきこを見ても、ため息をつかない方だったのよ!」

「それはそれは楽しみでございますね……では、これで……」


 屏風の陰で帝の話をこっそり聞いていた藤式部ふじしきぶは、そんな風に彰子あきこちゃんにあいさつ? を済ませると、早く帰ってメモを取ろうと他人の袴をズルズルと引きずりながら屏風の陰から這い出て、自分のつぼねに帰ってゆく。


 それから彼女は、さかさかと創作用のに、いろいろと書き留めてから収納して楽な姿になろうと思い、緑子みどりこに手伝いを頼もうと視線で彼女を探す。


「あれ? 緑子みどりこがいない……? しかたない……いや、むしろ好都合か? いまのうちに仕上げるか!」


 そう口にした彼女は深く深呼吸すると、かっと目を見開いて、いま着ている十二単じゅうにひとえが、すべて人様の借り物であるのも忘れ、やはり墨をまき散らしながら仕上がった紙の墨が乾くか乾かないか? そんな勢いで追加発注された、を仕上げるべくひたすら筆を走らせる。


 横では、様子を見にやってきた左大臣の道長が、「自動墨擦り機」とでも言うように必死で墨を擦っては、空になったすずりを、たっぷり墨ができ上がっているすずりと、素早くなん度もなん度も交換していた。巻き込まれ事故、いや、とんだ巻き込まれであった。


「お前の姉のためだ。頑張れ道長……」

「お前、俺が左大臣なの覚えているか? 左大臣の意味分かってる?」

「……ソレとコレになにか関係あるか?」

「……もういいよ……女院さまのためだしな……」


 作業は夜を徹して行われ、道長は墨を擦りながら、内裏での暗黒闘争の愚痴を藤式部ふじしきぶに垂れこぼしていたが、彼女は、聞いているのかいないのか、そんな返事を返しながらも右手を動かし続けていた。


 早朝、大内裏の開門と同時に眠たそうな左大臣が帰って行くのを、みな不思議そうに見ていた。


「あら? 殿は昨日は宿直とのいでいらしたかしら?」

「いやそれが女院さまのことでちょっとね……」

「どうかなさいましたの?」

「う――ん、あとでね。あとで説明するから、ちょっと、ちょっと先に寝かせて……」


 翌朝の土御門殿つちみかどどのでは、そんな夫婦の会話がなされ、「あれは他に通っていた訳でもなさそうね……」妻の倫子みちこはそんなことを言いながら殿の装束についた「墨」を見つけ、「よほど仕事が、忙しかったに違いない」そう思うと、「まだ幼い子どもたちを決して殿に近づけないように」と、乳母たちに言いつけていたので、道長は、「墨を擦り過ぎて右手が痛い……」そんなことを思いながら、仕事をすっぽかして、まるで、藤式部ふじしきぶと同じように昼まで寝こけていた。


 女のところに通っていた訳ではない。鬼に捕まっていたのである。


***


〈 藤式部ふじしきぶと道長が必死で働いて? いる頃 〉


「いい話を聞いたわね――それからそれから? 女院さまは、おかみをお守りするのに、まだどんなご活躍を!?」

「けっして、ごじまんなさらぬ、そんなかたですので、ここだけのおはなしですが……」

「女院さま最高にいい女ぶり! さすが女院さま……」


 緑子みどりこは、感受性が豊か過ぎる和泉式部いずみしきぶや、その他大勢に捕まっていた。その後も次々に山吹子やまぶきこが繰り広げる「にょいんさま」の素晴らしき逸話を他の女童めわらや女房たちと一緒に、美しくも長い重なった袖で目元から流れる涙を押さえながら、朝まで山吹子やまぶきこが女院さまから手土産にと持たされた菓子を前にして完徹でじっと聞き入っていたのである。翌朝の藤壺は、やや、様子がおかしかった。


「眠いわね……つい、聞き込んじゃった……」

「でも、おもしろ……いや、感動したよね……」


 そんなことを言いながら女房たちは働いていたのである。


***


「けいさんどおり……」


 その翌日の夜、山吹子やまぶきこは取りあえずこのあたりにと、すっかり打ち解けた和泉式部いずみしきぶが自分のつぼねの側近く用意した、自分用のちっちゃなつぼねで、にたりと笑っていた。


 案の定、彼女の元にはふみだけでは情熱を伝えきれない公達が、御簾や格子ごしに、切ない愛をかたっていたが、彼女はメモひと取らなかった。


『丸暗記』


 それはまだこの国に文字がない時代、伝えられた内容を記録する方法のひとつであり、山吹子やまぶきこの特に秀でた才であった。


 それからしばらくしてなにごともなく東三条邸ひがしさんじょうどのへと帰った、「山吹子やまぶきこ」は、丸一日中かけて頭の中に叩き込んできた和泉式部の「アレコレ」を、壊れた録音機のように話し続け、なにやら急に息子の一条天皇から気遣いのふみがやたらと届くようになった女院さまは、「ちょっと待って追いつかないわ!」そんなことを言いながら山吹子やまぶきこが話す、和泉式部いずみしきぶの行動や思考パターンを事細かに紙に書き込でいた。


 それから数日後のことである。女院さまは分厚い紙の束をようやく道長に託してから例のお約束のブツ、「さかさものがたりpart2」を交換で受け取ると山吹子やまぶきこに中へは誰も通さぬようにと言いつけてから、のめり込むように物語を読みふけっていた。


「計算通り……それにしても、ご降嫁した内親王が、ご出家なさったというのに……あらまあそんな……今度のお相手は……でも出家しているのに? あ……でもそういや、うちの息子の妃にもそんなのがいるか……あるある話になってゆくのかしら? え? わたしにもチャンスが? いやいやないない。うちの道長よりもイケメンなんていやしないのよ! でも、おもしろいわ~~」


 そんなことを言いながら物語をニタニタと読みふけっていた女院さまは、遠くの騒ぎにひょいと顔を上げていた。


「わたくしにも続編を読む機会を是非! このふみ、絶対に渡しておいてね!」


 それは、夫の道長から物語の続きの存在を聞きつけた義妹の倫子みちこの起こしていた騒ぎで、追い出しを受けながら言い募っていた言葉であった。


 倫子みちこ山吹子やまぶきこに、「さかさものがたりpart2」の貸出歎願のふみを渡してから、娘の中宮・彰子あきこちゃんの元へと向かって行ったのである。


倫子みちこね――貸してもいいけど読むの遅いしな……どうしよう……」


 女院さまは、そう言いながら再び物語を読みふける。


「さかさものがたりpart2」では、奔放に奔放を重ねていたがついに出家した女主人公が男に身をやつしてひっそりと暮らしていたが、恋愛性別フリーダム平安時代であったため、まだ押し寄せる求愛に辟易しながら暮らしていたが、ある日、偶然出会ったとある高貴な政争に疲れ切った公卿に女だと知られて、またもや愛を告白されていた。それだけは流されずに拒絶するも、彼のために毎日かかさず御仏に祈りを捧げていると、すべてを捨てた公卿に気がつけばどこかへと連れ去られていた。最後に彼の背中の上でこうささやきながら……。


「わたくしをどこへでも連れ去って……か……幸せになってね! 切ない! ホントに切ない! この感動エロ小説を読めて人生に悔いなし! 希代の作家ね! あのときたら、ほんとに人の心を打つのがうまいんだから!」


 女院さまは自分に置き換えて感動のあまり思わず物語の書いてある紙束を、ひしと、抱きしめていた。源氏物語もよいけれど、なにせ回ってくるのが遅いのである。


***


〈 定子さまがいる職御曹司しきのみぞうし 〉


「え……? 帝がお出かけ……中宮・彰子あきこと一緒に……?」

「た、ただのウワサかと……」


 定子さまは、すっと畳から立ち上がると、帝から賜った櫛を無言で握りしめてそのままへし折っていた。


「こ、皇后さまっ!」

「櫛なんて持ち腐れ……どうせ短い髪ですもの――」


 なにか感じたのか赤子である親王が、火をつけられたように泣き出していた。


***


「すべてはあの物語のせいよ……」


 少納言こと清少納言は、定子さまを精一杯お慰めしてから、あの地獄の根暗女をなんとかできないかと思いながら爪をといでいた。まさに雌伏、そんな状態であった。


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