🔮パープル式部一代記・伍話

 山吹子やまぶきこが、顔を隠した袖の下で、「さて、どうやって、あのおなごにとりいったものか?」そんなことを考えていた時である。


 帝の先ぶれの声が藤壺に響く。


「帝のお渡りにごさいま――す」


 げっ! あの男がまた来た。


 その日も勝手に、まわりのつぼねからかき集めた? 珍妙な十二単の藤式部ふじしきぶから、嬉し気に物語の新作を、父、道長を出し抜き、受け取ってから、嬉々として読みふけっていた彰子あきこちゃんは、畳の上で、暗い光を目に浮かべたが、これは、しかたなしと、女房たちが整えた、お出迎えの極上の畳に座った帝に、声をかける。


藤壺へ……」

「え……?」


 帝は、その変な挨拶に少し驚いたが、なにせ十二歳、まだまだ子ども、どこかで聞いた言葉を、使ってみたかったのだろうと思い、鷹揚に頷くと、やはり彼女の横には、闇をまとったような、珍妙な恰好の、「藤式部ふじしきぶ」がいたので、相乗効果で、「ちょっと変わってるけど、まあ、でも、どこを探しても見つからないくらいの美少女だよね」彰子あきこちゃんに、そんな感想を持っていた。


 そして、なにか違和感を感じていた。「なんだろう?」そう思いながら、周囲を見渡すと、見たこともない女房と、見たことのない女童めわらがひとり……。


「あれは?」


 彰子あきこちゃんに、そうたずねてみると、「新しい女房の和泉式部いずみしきぶと、女院さまからお預かりした女童めわらにございます」

「えっ!?」


 天然系美少女(帝視線)の中宮はそう言った。なんでも、女院さまが、お気に入りの女童めわら山吹子やまぶきこなる者は、「わびしい、わたしとの暮らしゆえ、少しは同世代の女童めわらや、華やかな内裏の空気を、少しは味わってきなさいと、女院さまのおはからいで、行儀見習いという呈で、預かったのでございます」そう中宮は言う。


 帝は、なんとはなしに、女童めわらを呼ぶと、「女院さまは、お元気でいらっしゃるか?」まあ、元気に決まっているケドね。そんなことを思いながら、彼女にたずねてみると、しばらくじっと床を見つめていた女童めわらは、なにか深く考え込んでいたが、やがて、ぽたぽたと涙を流しながら、「おかみが、おかぜをめしたと、うわさで、うかがってから、にょいんさまは、しょうじんけっさいをして、しゃきょうにいそしんでいらっしゃいます」そう言うのであった。


「……お風邪を引いていらしたのですか?」

「え? うん、ちょっとだけ。もう元気……あ、あそこのあれが、有名な和泉式部いずみしきぶね……」


 帝は中宮の問いにそう答え、どうでもいいようなことを、口にしながら、じっと畳の目を数え、いたたまれない思いをしていた。


 実を言えば、それは表向きの口実で、定子と内親王、そして生まれたばかりの親王と一緒に、親子四人水入らず、のんびりと過ごしていただけなのだ。


 そして、口うるさいだけであった、「女院さま」母を思い出す。


 思えば不幸な人である。入内した、父、円融天皇には、女御にあるまじき、粗末でわびしい扱いしか受けず、次の花山天皇のあとすぐに、七歳で即位した自分を、実の父である藤原兼家らの横暴から、体を貼って必死に守り抜き、結果、出過ぎた女と、内裏中から陰口を叩かれても、一歩も引かず、ただひたすらに朕を、周囲の風から守ってくれていたのだ。


 あの厳しい母が、内裏を出てからというもの、清々しささえ感じていたが、いまでも朕のことを思い、陰でこうして支えてくれていると聞くと、やはりという思いが頭を過る。


 あの、厳しさは、やがて帝となる息子への愛情、うっとおしい程の出しゃばり具合は、息子を溺愛するあまりの行動だったのであろう。


 親となった帝には、母の愛を受け入れる「うつわ」というものが、確かに心内に出来上がっていたのである。


山吹子やまぶきことやら、よう伝えてくれた。女院さまには、朕から直接に心配せぬようにと、ふみをだそう。そなたにも褒美になにかあとで、つかわすゆえに。心配するな……このことは、女院さまには知らせぬ……」

「あ、ありがとうございます……にょいんさまは、なによりも、およろこびなると、そうおもいます!」


 勢い込んで、そう答える女童めわらに、少し自分の幼い頃の面影を感じた帝は、ぐっと葉を食いしばっていた。自分に、追い出されるように、内裏を出た母に、申し訳がないと、今日いま初めて、心からそう思ったのである。


 国家の頂点でありながら、個人的には、実に不肖の息子である。

 母にとっては、愛を一心に込めて育てようと、母なりに、いや、弟の道長以外を、すべて敵に回しても奮闘して育てた、たったひとりの子供であったというに……。


 きっと、この女童めわらに朕の面影を見て、慈しんでいるのであろう……


「…………」


 やけにしんみりした帝は、人払いをさせると、彰子あきこちゃん相手に、例の和歌がベタベタ貼ってある屏風を後ろに、なにやら話し込んでいた。


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