🔮パープル式部一代記・四話

〈 東三条邸 〉


 以前、東三条邸から、偶然タイミングよく、藤式部ふじしきぶが取り憑いていた? 土御門殿つちみかどどのへ遊びに来ていた、藤原詮子ふじわらのあきこ、史上初の『女院』となった 詮子あきこさま、つまり女院さまは、夫、円融天皇の時代は、「なきに劣りて生ける身の憂き」(意訳:死んじゃった方がまし! そんな状態で生きていくのって辛いわ――!)といった歌を詠んでいたこともあったが、息子である一条天皇が即位すると、彼がまだ幼かったことから、長きに渡り、「女帝」として、内裏に君臨していた。


 女御から皇太后、そして史上初の『女院』へ! これぞまさに最高の出世魚! この時代の女が望めうる限りの「最高位」へと、彼女は、まさかまさかの大逆転で、たどり着いたのではあったが、一条天皇が育つにつれ、彼が自我を持ちはじめ、を寵愛するようになると、次第に疎まれてはいたものの、「そんなのわたしの知ったことではない!」とばかりに、相変わらず勢いよく生きていた。


 そして、東三条邸に勤める、彼女のお気に入りの女童めわら、「山吹子やまぶきこ」は、頭の回転が良く、その上、なぜか、幼い頃の一条天皇を思い出させる顔立ちであったので、女院さまは、たいてい彼女を連れ歩くくらいの可愛がりようであった。


山吹子やまぶきこ、今日からわたくしは、帝の御健康を祈り、写経に入ります。東三条邸には、道長以外、誰も通さぬように……」

「はい、にょいんさま!」


 一条天皇が、「くしゃみ」をしたそうな。

 そう伝え聞いた女院さまは、そんなことを言うと、ちょうど藤式部ふじしきぶが、和泉式部いずみしきぶ釵子さいしを投げつけられて、道長と悪だくみをしていた翌日、東三条邸の御簾内で、黙々と文机に向かっていたのである。


 そんな話を数日後に聞いた、こちらも女院さまのお気に入りで、自慢のイケメン弟、左大臣の道長は、東三条邸へゆくと、「姉上、大げさ! 一条天皇は、元気に、我が娘にして、中宮・彰子あきこさまのところで、物語の取り合い……もとい、語り合いをしていますよ?」なんて言っていた。


「あらそうなの? 慌てちゃったわ!」


  女院さまは、そう言って高価な筆を、ポイっと投げる。それを見ていた山吹子やまぶきこは、他のどの女房よりも素早く動いて、すかさず筆をキャッチすると、きちんと手入れをして、啞然としている側仕えの女房たちに、少し下げずむような視線を送ってから、丁寧に元の場所へ戻していた。


「ほう……これはこれは、なかなかに気の利く女童めわら……」

「でしょう? この子は、なかなかの業物わざものよ……」


 道長は、藤式部ふじしきぶの使っている女童めわら、あの日、ふたりの視線に固まったまま、泣いていた緑子みどりこと、彼女を比べていたのである。


「その子、ちょっと借りてもいいですか?」

「え……?」

「いやね、ほら、例の物語の件で、ちょっと困りごとがありまして……」

「何事!? まさか、また、彰子あきこが、新作を全部燃やしたとか言わないでね? 楽しみにしているんだから!」

「いえいえ、そんなことは……実は、かくかくしかじかで……」


 道長はそんな風に、女院さまへ、くだんの事件の説明をし、「わたしが言って聞かせよう!」そんなことを、女院さまは言おうかとも思ったが、「そういえば、の外伝書いてもらおう……」そう思い直し、頼みごとを聞いてもらう代わりに、山吹子やまぶきこをしばらく、名目上は、女房見習いとして、藤壺へ貸し出すことにしたのである。


山吹子やまぶきこ、あなたならきっと出来ると信じているわ……」

「はい、にょいんさま!」


 数日後、藤壺では、はにかんだ表情に、緊張を隠しきれぬ仕草で、女院さま直々に選んだ、愛らしい汗衫姿かざみすがたで、幼さを前面に押し出した「山吹子やまぶきこ」が、中宮・彰子あきこさまをはじめ、藤壺の女房たちに、たどたどしく懸命に挨拶をしていた。


「まあ、ほんとうに愛らしいこと……さすがは女院さま、お気に入りの女童めわら……」


 みなは、そんな風に言いながら、ひと目で「山吹子やまぶきこ」のとりこになっていた。


 ただひとり、和泉式部いずみしきぶを除いては……。同じように、女童めわらのころより内裏に出仕していた彼女は、あまりに愛らし山吹子やまぶきこに、どこか妖しいものを感じていたのである。


『あのおなご、なかなかに鋭いので気をつけよ……』


 山吹子やまぶきこは、心の中で左大臣の言葉を思い出し、新作を仕上げて、ようやくやって来た、こと「藤式部ふじしきぶ」を目にしたとたん、恐ろしそうな悲鳴を上げて、袖で顔を覆いながら、自分を疑った様子で見ている和泉式部いずみしきぶに、どうやって取り入ろうかと、考えを巡らせていた。




 

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