🔮パープル式部一代記・弐話

 結果、定子さまは相変わらず、内裏の外、そこを囲む大内裏の内側にある、「あそこってさ、鬼が出たことがあるんだって……」「こわっ! でもまあ、本物の鬼は、道長さ……おっと!」なんて言われるような、御曹司と呼ばれる場所で、ひたすら帝の通いを待つ状況のままだった。


「中宮さま、お気を確かに! 中宮さまよりも素晴らしき存在は、この世におりませぬ! これはきっと、藤壺の女御、いや、道長の陰謀!」

「静かになさい……そんな大声で……誰が聞いているか分かりませんよ……」

「は、申し訳ありません……」


 定子さまの前で、恐縮しているのは、この時代には、「えっ! びっくりした! 超くせ毛!」そんなことを言われる悔しさをバネに、ここまでのし上がった、歴史に残る才女、「クリアー少納言」もとい、「清少納言」こと、裏では、いつもいつも、「ドヤ顔」がうざいと、藤壺に住み着いた「」と称される藤式部ふじしきぶならぬ、「根暗式部ねくらしきぶ」とは正反対のあだ名、「」と言われたり、言われなかったりする、「才能も凄いが態度もでかい!」と評判が高い、清少納言であった。


 清少納言は、それでも、天女とあがめる定子さまを、精一杯お慰めしてから、彼女の御前を下がると、すんと態度を変えて、袴さばきも荒々しく、捨てゼリフ? をはいて、どこかへ去って行った。


「なんなのよ、この源氏物語って! ただの☓☓☓☓じゃない! ふんっ!」


 あとには、数人の人影。


「おお怖い怖い……のこと、は知ってるのかな?」

「どうだろうね?……聞いてみたい気もするけど……」

「え? なになに?」

に一度目をつけられたら、呪詛レベルで、一生が終わっちゃうらしいのよ(地獄の取り調べ)藤壺でも、それで何人か犠牲が出たって……」

「こわっ! それも怖いわ――でも、知りたいな――、直接対決見てみたい!」

「頂上決戦!! あ、でも、和泉式部とか、伊勢大輔いせのたいふもどうなんだろうね?」

「さあね……みんな、とんでも系な人だから……」


 定子さまの数少ない、しかしながらも実に洗練された、趣味の良い装いの女房たちは、陰でそんなウワサをしていた。


「女って怖いよ?」

「今更なに言ってんの?」


 そんな会話をしていたのは、道長のツレ、もといご友人である、人づてに、そんなウワサを聞いた、公卿たちであった。


「なあ聞いた? 明日の朝、土御門殿つちみかどどので、売り切れ御免、先着先行販売で、豪華装丁版、筆者直筆記名つきの“源氏物語”が発売だって……ここだけの話な……」

「え? 明日って、定子さまの皇后になる儀式の日……露骨にぶつけてくるな。でも絶対に欲しい……明日は行き触れ(かいつまむとなにか使者や動物の死骸など、穢れに出会い、出勤を取りやめることです)の予感がする……」

「俺もそんな予感がする……本人しか売ってくれないなら、しかたないよね……」

「家人じゃ売ってくれないんだってさ……」


***


〈 藤壺 〉


「はっくしょっ! おっと!……あ、緑子みどりこよくやったわ……」

「げんこう だいいち……」

「そうそう……持ち逃げは例え何人であろうとも許されざる所業……」


 なにも知らないこと、藤式部ふじしきぶは、急にくしゃみをして、原稿をダメにしそうになっていたが、緑子が素早く目の前の紙を抜き取ったので、安心して、また筆を取り直し、藤壺を訪れた道長は、なにも知らない彰子あきこちゃんに、中宮の話はもういいと言われ、物語の続き持ち逃げの件で、詰められていたのである。一応の話が終わると、親子はソワソワして、藤式部ふじしきぶつぼねに押しかけて、彼女の文机を覗き込んでいた。


「続きまだかしら……ちょっと覗いて……あらまあ、今度のお相手ときたら、わたくしよりも年下って……あり? それありかしらっ!? 育てるの? え? どうしたい訳!?」

「気が散るので、自分の広々した母屋で座っていて下さい……」

彰子あきこさま、邪魔をしては進みませんよ?」

「父君だって邪魔をしています!」


緑子みどりこ……ちょっと、あなたのつぼねを貸して……」

「え? ちっちゃいですよ?」

「うるさくて進まない……」


 藤壺は今日も暗く、そして騒がしい時間が流れていた……。彰子あきこちゃんも中宮になるのではあったが、儀式は、定子さまが皇后にランクアップした次の日の予定であった。


「道長、なにかをやらかしているな……妙に上機嫌だった……」


 その日、藤式部ふじしきぶは、「これひょうばんらしいですよ」そんなことを言いながら、緑子が持って来た「枕の草子」を、夜更けにパラパラと読んでいた。


「春はあけぼの……夏は夜……秋は夕暮……雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるはいとをかし……ふんふん、なかなかに美し素晴らしい内容……学がある……それでそれで? 冬はつとめて……の降りたるはいふべきにもあらず……」


 周囲のつぼねにいる女房たちは、まぶしさを諦めて、最近は顔にもなにか布をかけて、眠っていたが、急に藤式部ふじしきぶが叫んだので、びっくりして飛び起きていた。そして、また藤式部ふじしきぶの発作か……と、やれやれと眠りにつていた。


「越前のを、なめるなよ――!」


 藤式部ふじしきぶは、そんなことを叫んでいた。兄、惟規のぶのり@ゆかりの命をうばった寒さを、彼女は執念深く憎んでいたのである。


 そんな訳で、ふたりは知らぬ間に、お互いの作品に憎悪を募らせていた。


***


〈 翌朝の土御門殿つちみかどどの正門前 〉


 朝も明けきれぬ頃から、公卿たちやウワサを聞きつけた貴族たちが駆け付け、正門前には、大行列ができていて、道長は、「定子さま、かわいそう……」なんて言っていたが、予想外にも、本は早々に売り切れてしまったので、定子さまの儀式には、すべての公卿や貴族が間に合っていた。


「道長、大丈夫か?」

「…………」


 藤壺にある藤式部ふじしきぶつぼねでは、目論見が外れて、真っ白になった道長が、やる気なく板の上に転がっていた。視線の先には例の本。


「ゆかり、枕の草子とか読むんだ、意外……」

「読んでないよ……そんな時間ないから……よかったら、暇つぶしに読んでていいよ……つまんない本だけどね……」


 そう言われた道長は、「読んでるじゃん」とか思いながら、ぱらぱらと、枕の草子をめくって読んでいたが、ゴロがいいので、口ずさんでいると、しきりに女童めわら緑子みどりこが、仕草で合図を送っている。


「どうした?」

「あの、こえにだすと、ふじしきぶさまの ほっさが……」

「発作?」

「えちごの ゆきが どうのこうので……」

「???」


***


「許すまじ……」


 緑子みどりこの言った通り、藤式部ふじしきぶは発作が起きたのか、手に持つ筆が、ぐしゃりと曲がり、書きかけの原稿には、真っ黒な筆の跡がずるずると、引かれ出したので、道長は大慌てで、原稿の救出に起き上がっていた。

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