🔮パープル式部一代記・第十六話

 結果、定子さまは相変わらず内裏の外であり、そこを囲む官庁街である大内裏の内側にある、「あそこってさ、鬼が出たことがあるんだって……」「こわっ! でもまあ、本物の鬼は、道長さ……おっと!」なんて言われるような職御曹司しきのみぞうしと呼ばれる場所で、ひたすら帝の通いを待つ状況のままだった。


「中宮さま、お気を確かに! 中宮さまよりも素晴らしき存在は、この世におりませぬ! これはきっと藤壺の女御、いや左大臣の陰謀!」

「静かになさい……そんな大声で……誰が聞いているか分かりませんよ……」

「は、申し訳ありません……」


 定子さまの前で恐縮しているのは、この時代にはありえないほどにでクルクルカーリーな髪の女で、「えっ! びっくりした! 超くせ毛!」そんなことを言われる悔しさをバネに、ここまでのし上がった、いまではつけ毛で、なんとかごまかしている。そんな苦労もある歴史に残る才女、「クリアー少納言」もとい、「清少納言」こと、裏ではいつもいつも、「ドヤ顔」がうざいと藤壺に住み着いた、「」と称される藤式部ふじしきぶならぬ、「根暗式部ねくらしきぶ」とは正反対のあだ名、「」と言われたり言われなかったりする、「才能も凄いが態度もでかい!」と評判が高い清少納言であった。


 清少納言は、それでも天女とあがめる定子さまを精一杯お慰めしてから、彼女の御前を下がると、すんと態度を変えて袴さばきも荒々しく捨てゼリフ? をはいてどこかへ去って行った。


「なんなのよこの源氏物語って! ただの☓☓☓☓じゃない! ふんっ!」


 あとには数人の人影が残りヒソヒソなにかを話し合っていた。


「おお怖い怖い……のこと、は知ってるのかな?」

「どうだろうね?……聞いてみたい気もするけど……」

「え? なになに?」

に一度目をつけられたら呪詛じゅそレベルで一生が終わっちゃうらしいのよ! 地獄の取り調べにあうんだって! 藤壺でも、それでなん人か犠牲が出たってさ……」

「こわっ! それも怖いわ――でも、知りたいな――、直接対決を見てみたい!」

「頂上決戦!! あ、でも、和泉式部とか伊勢大輔いせのたいふもどうなんだろうね?」

「さあね……みんな、とんでも系な人だから……」


 定子さまの数少ない、しかしながらも実に洗練された趣味のよい装いの女房たちは、実は陰でそんなウワサをしていた。


「女って怖いよ?」

「今更なに言ってんの?」


 そんな会話をしていたのは、道長のツレ……もといご友人たち、人づてにそんなウワサを聞いた公卿たちであった。


「なあ聞いた? 明日の朝、土御門殿つちみかどどので売り切れ御免の先着先行販売でさ、豪華装丁版の筆者直筆記名つきで“源氏物語”が発売だって……ここだけの話な……」

「え? 明日ってば定子さまの皇后になる儀式の日……露骨にぶつけてくるな。でも絶対に欲しい……明日は行き触れ(かいつまむとなにか使者や動物の死骸など、けがれに出会い出勤を取りやめることです)の予感がする……」

「俺もそんな予感がする……本人しか売ってくれないならしかたないよね……」

「家人じゃ売ってくれないんだってさ……」


***


〈 藤壺 〉


「はっくしょっ! おっと!……あ、緑子みどりこよくやったわ……」

「げんこう だいいち……」

「そうそう……持ち逃げは例えなん人であろうとも許されざる所業……」


 なにも知らないこと藤式部ふじしきぶは急にくしゃみをして、原稿をダメにしそうになっていたが、緑子が素早く目の前の紙を抜き取ったので、安心してまた筆を取り直し、藤壺を訪れた道長は、なにも知らない彰子あきこちゃんに、中宮の話はもういいと言われ、物語の続き持ち逃げの件で詰められていたのである。一応の話が終わると、親子はソワソワして藤式部ふじしきぶつぼねに押しかけて彼女の文机を覗き込んでいた。


「続きまだかしら……ちょっとだけでも……あらまあ今度のお相手ときたら、わたくしよりも年下って……あり? それありなのかしらっ!? 育てるの? え? どうしたい訳!?」

「気が散るので、自分の広々した母屋で座っていて下さい……」

彰子あきこさま、邪魔をしては進みませんよ?」

「父君だって邪魔をしています!」


緑子みどりこ……ちょっと、あなたのつぼねを貸して……」

「え? ちっちゃいですよ?」

「うるさくて進まない……」


 藤壺は今日も暗く、そして騒がしい時間が流れていた……。彰子あきこちゃんも中宮になるのではあったが、儀式は定子さまが皇后にランクアップした次の日の予定であった。


「道長、なにかをやらかしているな……妙に上機嫌だった……」


 その日、藤式部ふじしきぶは、「これひょうばんらしいですよ」そんなことを言いながら緑子が持ってきた「枕の草子」を夜更けにパラパラと読んでいた。


「春はあけぼの……夏は夜……秋は夕暮……雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるはいとをかし……ふんふん、なかなかに美し素晴らしい内容……学がある……それでそれで? 冬はつとめて……の降りたるはいふべきにもあらず……」


 周囲のつぼねにいる女房たちは、まぶしさを諦めて最近は顔にもなにか布をかけて、なんとか眠っていたが、急に藤式部ふじしきぶが叫んだのでびっくりして飛び起きていた。そして、また藤式部ふじしきぶの発作か……と、やれやれと眠りにつていた。


「越前のをなめるなよ――!」


 藤式部ふじしきぶはそんなことを叫んでいたのである。兄、惟規のぶのり@ゆかりの命をうばった寒さを彼女は執念深く憎んでいたのである。


 そんな訳で、ふたりは知らぬ間にお互いの作品に憎悪を募らせていた。


***


〈 翌朝の土御門殿つちみかどどの正門前 〉


 朝も明けきれぬ頃から公卿たちやウワサを聞きつけた貴族たちが駆け付け、正門前には、すでに夜も明けきらぬころから大行列ができていた。道長は、「定子さま、かわいそう……」なんて言っていたが、予想外にも本は早々に売り切れてしまったので、定子さまの儀式には、すべての公卿や貴族が間にあっていた。


「道長、大丈夫か?」

「…………」


 藤壺にある藤式部ふじしきぶつぼねでは、目論見が外れてしまい真っ白になった道長が、やる気なく板の上に転がっていた。視線の先には例の本。


「ゆかり、枕の草子とか読むんだな……意外……」

「読んでないよ……そんな時間ないから……よかったら暇つぶしに読んでていいよ……つまんない本だけどね……」


 そう言われた道長は、「読んでるじゃん」とか思いながら、ぱらぱらと枕の草子をめくって読んでいたが、ゴロがいいので口ずさんでいると、しきりに女童めわら緑子みどりこが仕草で合図を送っている。


「どうした?」

「あの、こえにだすと、ふじしきぶさまの ほっさが……」

「発作?」

「えちごの ゆきが どうのこうので……」

「???」


***


「許すまじ……」


 緑子みどりこの言った通り、藤式部ふじしきぶは発作が起きたのか、手に持つ筆がぐしゃりと曲がり、書きかけの原稿には、真っ黒な筆の跡がずるずると引かれ出したので、道長は大慌てで原稿の救出に起き上がっていた。

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