第二章

🔮パープル式部一代記・壱話

「最近、帝がいらっしゃらない……」


 そう言って、脇息にもたれ、ため息をつくさまも麗しい女がひとりいた。

 一条天皇の最愛の妃、中宮、藤原定子ふじわらのさだこ、貞元壱年(976年生まれ)であった。定子さだこさま、二十四歳である。


 関係はあるようなないような感じではあるが、一条天皇は、天元参年(980年生まれ)の二十歳であるため、年上女房ならぬ、四歳年上の中宮であった。


「やっぱり、年には勝てないのかしら……それとも親兄弟に駆けられた苦労が顔に……そうかもしれないわ、髪も切っちゃったし……もうすぐ中宮でもなくなるし……皇后か……よけいに年を感じちゃうわね……」


 彼女はそんなことを言いながら、女房が差し出した鏡をのぞき込んでいた。

 親兄弟の死や不始末で、発作的に思わず髪を切って、出家してしまったものの、帝の寵愛は揺らがず、今現在は、清涼殿からほど遠い、中宮職の御曹司で暮らし、出家はしているが、エア出家とでもいうように、帝の愛のパワーに包まれて、貴族たちからの、そしりもなんのその? 出家後に生まれた内親王に続き、去年ついに、一条天皇の第一皇子、敦康親王を出産していた。


 幸と不幸の「スペシャルミルフィーユ@藤原中関白家風味」仕立て……そんな才色兼備な地位も名誉もあったはずなのに、「なぜこうなった?」実家は全焼してしまい、帰ろうにも帰る家すらもない。不幸と不遇に取り囲まれた、帝の寵愛高い定子さだこさまであった。


 ちなみに、彰子あきこちゃんが、なぜで、中宮になれたのかといえば、父、道長が、藤式部ふじしきぶがまだ「ゆかり」であったとき、土御門殿つちみかどどののやかたの中へ、むりくり作った、ゆかりの一時待機、簡易宿直室まで足を運び、「物語の進みはどう?」なんて言いながらも、文机に向かうゆかりのうしろで、グチグチ、グチグチと、愚痴を垂れこぼしていたからである。


 道長は、「定子じゃま、定子どうする、定子に、帝が首ったけ、一応姪っこ、定子呪詛……」などと、どこかで、なにか検索をかけているが如く、うんうんうるさく唸って、ゆかりの怒りを買ってしまい、「うるさい……執筆の邪魔するならをくらえ……」なんて、顔に墨が入ったすずりを投げつけられ、真っ黒の墨まみれになった瞬間に、「そうか! 閃いた! それな! それにする! ゆかり、いい考えだ! 神罰な! さすが鬼! 鬼のゆかり! ! ははっ! 自分で自分の首を締めたな兄君! あは! あははは……! もらった!」なんて、狂気としか思えない大笑いをして、はしゃぎまくり、さすがのゆかりも少しだけ驚いて、すぐに殴りかかれる体制で、文鎮を握り締めながら、ややうしろに下がり、「大丈夫か道長? いや、大丈夫でもなさそうだから、早くどこかへ行け……」と、唸るような低い声を出して、筆を進めるのを止めていたが、しばらくして、我に返ったらしい道長は、「あ、ごめん、執筆頑張って! お邪魔さま!」と言うと、駆けつけた家人や女房たちに、「大丈夫! いまちょっと、ゆかりの話が、にはいっちゃっただけ! 解散、解散!」「殿!?」


 なんて、やり取りの末、翌朝の内裏では、神妙な顔をして、「皇后が行なうべき神事を行なう妃がいないので、うちの彰子あきこが女御になったら、是非、すぐにでも繰り上げて中宮に……」なんて言い出し、帝が、「えっ!? ちょっと待て!? 定子は朕の大切な……」と反論をし出すと、「分かっています。わたしだって鬼じゃないんですよ? だって、大切な姪ですよ? でもね、大切なのは分かっておりますが、出家していらっしゃいますから、神事が……できないでしょう?」「…………」「大丈夫ですよ、定子さまにおかれましては、中宮からランクアップ! 皇后へと繰り上がってもらいますので! あ、内裏へは戻せませんけどね? そりゃそうでしょ? していますから……」「~~~~」なんて、帝も反対できない、の話を持ち出し、彰子あきこちゃんを中宮に据え、ランクアップ皇后として、表向きは、定子さまを丁重に取り扱っていたのである。


 四后並立とは、道長の亡き兄が、娘の定子のランクアップのために、無理を通して、中宮と皇后を分けた制度であったが、これを、今度は、弟の道長が利用しようとしているのだった。


 ゆかりも「代筆の鬼」ではあったが、道長のそれは、社会に与える影響が大き過ぎる、いただけないレベルの「鬼の政治屋」、周囲を圧で引きずり回して、恐れられていた、父にも劣らぬ鬼であった。


『世界でひとつだけ。大切なのは自分のたったひとつの命』


 ゆかりも幼少期から、貧乏暇なし、まさに命がけの鬼になるような、そんな無意識の根暗人生であったが、道長は、道長で、幼少期から、生き残りのチキンレースの世界に、どっぷり首まで浸かり、なんとかかんとか、つま先立ちではあるが、ありとあらゆる手をつくし、人生を勝ち上がっていたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る