🔮パープル式部一代記・第十四話

〈 引き継き、藤式部ふじしきぶつぼね 〉


「それは、よかったですね……あと、腕の痛みが酷いので、少しは書き溜めてあるのですけれど、物語の続きの執筆は、しばらく休みます……」


 そんな、藤式部ふじしきぶの言葉に、ふたりは、いたわりの言葉をかけて、典薬頭てんやくのかみを呼び、すぐに治療をさせると言ってから、つぼねから出てゆく。

 

 夫婦は、帝の申し出で、後宮に無理やりつくらせた、写本専門の部署に寄って、写本で疲れ切った、美しい筆の跡だと推薦を受けて、ここに缶詰になっている女房たちに、激をとばしてから、やかたへ帰ろうと、豪勢な牛車に乗り込んでいた。


「殿? それは一体……?」


 道長は、牛車の中で、ふところからおもむろに、紙の束を取り出していたのである。


「出来立てほやほや……さっき、藤式部ふじしきぶつぼねで、乾かしているのを、こっそり持ち出してきた……あ、ちょっと乾いてなかったみたい……ひっついているのを、そおっと剥がして……おっ、成功!」

「さすが殿ですわ! 早く! 早く続きを!」


 その頃、藤式部ふじしきぶつぼねでは、緑子みどりこ藤式部ふじしきぶが、必死になって、行方不明になった、まだ未完成の、物語の続きをさがしていたが、もちろん見つかるはずもなかった。


緑子みどりこ、探すのはもういい……そういえば、あいつは、そんなだった……」

藤式部ふじしきぶさま?」

「女御さまに訳を話すから、すぐに、土御門殿つちみかどどのへ使いに行って欲しい……」

「はい?」


 もちろん、新作の持ち出し話を聞いた彰子あきこは激怒して、検非違使の別当(長官)を呼び出すと、緑子みどりこを、すぐに後宮から使いに出していた。


「きゃ――!」


 緑子みどりこは、検非違使の馬に、一緒に騎乗させられて、必死に振り落とされまいと、土御門殿つちみかどどのにつくまで、馬の首に、つかまっていた。


「あたまが ぐらぐらする……」

「だいじょうぶ?」

「みどりこちゃん かわいそう あんなひとの とうばんに なったばかりに……」

「あ、わたし きのう えらいひとに いただいた かし みどりこちゃんにあげる」


 後宮に戻った緑子は、同じように、藤壺の女御、彰子あきこに仕えている女童めわらたちに、ひどく同情されていた。


 そして、緑子が寝込んでいる間、藤式部ふじしきぶは、すっかり治ったにもかかわらず、腕が痛いと言い続け、積みっぱなしだった漢籍の本を、むさぼるように読み続けていたので、夜も煌々と灯りがもれだして、つぼねの周囲の大部屋に住む女房たちも、大迷惑をこうむっていた。


「今日も寝不足だわ――」

藤式部ふじしきぶの檜扇、隠しちゃおうか?」

「そんな嫌がらせ、気にする訳ないでしょ?」

「なにか良い嫌がらせはないかしら……」


 彼女たちは、本を抱きしめて寝こけている藤式部ふじしきぶを、几帳をめくって、こっそり覗きながら、そんな話をしていた。


 それから、かなり立って、万寿2年(1025年)、実は、血のつながらない、娘の汝梛子ななしが、『大弐三位』として、後の後冷泉天皇の乳母となった時点で、かなりの年月がたっていたが、紫式部と呼ばれるようになっていた『ゆかり』は、相変わらずであったらしい。


 が、まだ、汝梛子ななしは、よちよち歩きであり、それは、遠い話である。


 そして、寛仁3年(1019年)出家した道長との付き合いは、相変わらずであったらしいが、『光る君』の本当の正体は、彼にも分からないままであったという。


 まあ、とりあえず、藤式部ふじしきぶこと、自分の感情も分からないのに、読む人の心を打たずにはいられない、他人を取り調べ……もとい、許可、無許可の取材をかさね、将来的には、大傑作、世界に冠たる王朝絵巻物語、『源氏物語』を、紫式部として、完成させるはずの、ゆかりは、懐かしい、道長との出会いを夢に見ながら、自分のつぼねで、深い眠りについていた。


『その紙と墨を置いてゆけ……』


 道長は、ゆかりに会ったその時、彼女に心まで置いていってしまったのかもしれない……。


 そんなことを、臨終の間際に思ったとか、思わなかったとか……。


【 パープル式部一代記 第一部・了 】


追記:この場を借りて、「パープル式部」という、素敵な字名? を、ご教授くださった、洋の東西を問わず、読み出したら止まらない、素晴らしい歴史小説の数々を、絶え間なく生み出されている四谷軒さま https://kakuyomu.jp/users/gyro に、深く御礼申し上げます。あなたの読みたいが、ここに必ずあります。是非ご一読を!


かしこ

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