🔮パープル式部一代記・第十三話

 『さかさものがたり』は、とにかく内容が濃かった。


 なお、こちらは、絶大な人気を誇りながらも、写しを他人に頼めぬ「とてもとても、彰子あきこには見せられないわ」そんな風に、物語に食いつきながらも、倫子みちこが口にしたような内容であったため、「読んだらすぐに返すこと」そんな、地下で売買する、なにか、「秘宝的」な扱いであったため、現存はしていない。ウソかホントか、すべては「やぶの中」である。


 そんな訳で? 道長夫婦は、お互いに、それぞれの「お気に入り作家」として、藤式部ふじしきぶを扱っていた。


「迷惑……宗から届いた新作の漢籍の本も読めずに、積みっぱなしだし……積読つんどくは地獄ゆきなのに……」

「おかえりなさいませ……だいじょうぶですか……? つんどく?」

「大丈夫……じゃないかもね……積読つんどくは、また今度教えてあげる……」

「お、お気をたしかに~~~~」


 土御門殿つちみかどどのから帰る牛車の中で、頂き物の反物やら何やらで、押しつぶされそうになっていた、なんだか少し萎びた藤式部ふじしきぶは、後宮で自分を出迎えてくれた、専属の女童めわら、「緑子みどりこ」に、そう言ってから、女御さま、彰子あきこちゃんへの挨拶を、半分朦朧としたまま済ませ、「仮名変換」された『源氏物語』(まだ続いているので、続編は後日と記載済)を、差し出してから、なにもかも、あちらこちらに、脱ぎ散らかしながら、自分のつぼねに戻ってゆき、できとうに腰のあたりを紐でくくった単衣ひとえ一枚で、緑子みどりこが、なんとか用意してきた膳から、むしゃむしゃと、味もわからないままに、すべてを食べつくして、書き込み過ぎて、痛む右手を、水を張った桶に突っ込んだまま、つぼねの中で、こんこんと眠りについていた。腱鞘炎である。


***


「ちょっと、この袴だれの袴!?」

「うちの几帳には裳が引っかかっているわ……」

「すみません、すみません、藤式部ふじしきぶさまが、あの、その……」


 しきりに頭を下げながら、緑子が、藤式部ふじしきぶの装束を拾い集めていると、「げっ、とうとう帰って来た……」「平和な日々よ、さようなら……」「帝のお渡りにございま――す」「ちょっ! みなさま、片づけを! 緑子みどりこだけでは間に合いません!」「あ――渡殿に、墨の箱が転がってる!」「帝のご到着に、ございま――す」「ひえっ!」


 そんな感じで、静かなのは、藤式部ふじしきぶだけで、あとはもう大騒ぎであった。やがて帝が藤壷で、仮名になっても、相変わらず天から舞い降りたように、美しい筆の跡で書かれた、情緒あふれる「源氏物語」を、先に新作から読んでいる彰子あきこの横で、帝は、物語の初めから、全集中で、驚異的な早さで、読みふけってから、彰子あきこに話しかけていた。

 

「よい物語であるが、彰子あきこには、まだまだ早い……朕が預かっておこう」

「では、わたくしが大きくなるまで、箱に封印いたします……」

「……朕がいるときであらば、保護者同伴ということで、だから……朕が、とりあえず預かっておこう……」

「藤壺からは持ち出すなら、また、燃やします……あと、しつこいと、父に言いつけますよ?」

「…………」


***


 物語読みたさではあるが、生まれてから、なにひとつ、自分の意思を言えた、そんなためしのなかった彰子あきこは、自分でも気づかぬままに、帝が相手でも、自己主張のできる性格になっていた。


 そして内裏では、最近、帝が藤壺に入り浸っているという話が、じわじわと広がっていた。


***


藤式部ふじしきぶのおかげで、うちの彰子あきこが、あの根暗な彰子あきこが、帝の話し相手ができるようになって、近頃はしょっちゅうお渡りもあるとか……」


 後日そんなことを、道長夫婦は、まだ、ヨレボロの藤式部ふじしきぶの迷惑は、彼女の最大の支援者なので、もちろん顧みず、つぼねを訪れて、勝手に涙ぐんでいたが、それから時が流れゆくうちに、養子(定子の産んだ皇子)を抱え、自分の皇子すらも産んだ彰子あきこが、まさかまさかの大迫力で、道長ですら恐れを抱く存在にまで成長することには、まだ誰も気づいていなかった。


 いまのところは、「少し明るくなって、声も聞き取れるくらいに張りが出て、よかったわね」そんな印象だった。


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