🔮パープル式部一代記・第十二話

「せ、僭越ながら、かっ、漢籍は通常の博士に御簾越しでの学びにして……い、いかかでしょうか、物語を、すべて“仮名”にて、藤式部ふじしきぶに書き直してもらう……そういう訳には、まいりませんでしょうか?」


 冷や汗が止まらない……そもそも、やんごとなき身分である姫君の自分が、なぜこうも根暗姉妹とでもいうような、このふたりに人生を振り回されねばならぬのか……女房は、そんなことを、ぐるぐる考えていたが、意外にも彰子あきこには受けたようで、「それいいわね……宿下がりは、仮名の物語が出来てからになさい……じゃ、そういうことで……」そんな風に珍しく、弱々しいが、明るい声を出していた。その時であった。彰子あきこにとっては、いやな先触れが聞こえたのは。


「み、帝のお渡りでございます……」

「え……?」


 あのやろう……わたしよりも先に物語を読むつもりね……原本は父君が持っているはず……。そう思った彰子あきこちゃんの行動は素早かった。本を燃やしたのである。


「あら残念、炭と間違えて、燃やしてしまったわ……」


 根が暗くて思い詰めやすい、そんな彰子あきこちゃんは、先に読まれてなるものか、それくらいならいっそ全部まとめて……なんて思いつめ、火鉢よりも大きくて、それは豪華で大きな炭櫃すびつに、本の束を、すべて投げ込んで、燃やしてしまったのである。


 やってきて、唖然としている帝には、「実家に原本がありますので、作者に取りにゆかせて写本をさせます……」そう言って、こちらも珍しく唖然としていた、ゆかり、否、藤式部ふじしきぶには、「次は仮名でよろしく……」などと、こっそり、彼女に向かって桧扇の裏で、と笑って命じていた。


「それにしても、藤壷の女御は、あんなにきれいな娘だったかな? 突拍子もないけど、根暗でもなさそう……」

「はい? おかみ……どうかなさいましたか?」


 がっかりして清涼殿に帰った帝は、蔵人少将に、そんなことをつぶやいていた。


 道長の狙った、「ゆかりを横に置いて置け」作戦の効果は、本日の藤式部ふじしきぶの奇妙な十二単姿や、本が燃えた絶望の映る、いつもより増して陰鬱いんうつで、塞ぎ込んだ、どろどろした雰囲気もあいまって、抜群の威力を発揮していたのである。


 そんな、藤式部ふじしきぶはといえば、じめじめした小声で悪態をつきながら、内裏を出る支度を終えていた。


「親子して手のかかる……仮名で書き直せと? まったく……あ、もう土御門殿つちみかどどのついた? 意外と早かった……では、おじゃまします……」

「女御さまからの使者……ひえっ!? 出たな妖怪!!」

「しっ! 藤式部ふじしきぶさまよ!……女御さまの、大のお気に入りなんだから……」


 そんなこんなで、藤式部ふじしきぶは、土御門殿つちみかどどのへ、彰子あきこちゃん差し回しの牛車で乗り入れると、愚痴と悪態をたれこぼしながら、道長から取り上げた「原本」を横に、しみじみと「仮名変換」作業にいそしんでいたが、なにせ壁などほとんどない寝殿造り、そこいらじゅうで繰り広げられている「アレコレ」は、結局、格好のネタ集め場になっていた。


「ネタが多すぎて、書き留めがおいつかない……嬉しい悲鳴って、これね……」


 そして、百〇八号になり損ねた? 女房のお陰で、「仮名変換」された物語は、写本専門の部署が後宮に出来るほどに、すぐにも爆発的なヒットを飛ばすことになるが、酔っぱらいの道長が告白してしまった、女絡みの話のせいで、女御の母、倫子みちこから、「逆さ物語をぜひとも!」なんて、頼まれた藤式部ふじしきぶは、嬉しさ半分、辛さ半分な気持ちを、いつもの陰気な顔に隠し、土御門殿つちみかどどので、コツコツと無許可の取材と、執筆を並行で進めていた。


 物語の名のご紹介が遅れてしまったけれど、物語の名前は、『源氏物語』である。


 ちなみに、倫子みちこから頼まれた作品は、『さかさものがたり』と名付けられ、内容的には、「臣下に降嫁した内親王が、莫大な富と地位を持つ夫に、早くに先立たれるも、その美貌と教養で、もう、あちらこちらの公達から「篠突しのつく雨のごとく」恋文を送られて、甥である帝との間にも、なんだかんだで、どうのこうの……」そんな、本来の物語とは、真逆のお話であったが、これは、密かに女君の間で、そして道長の姉で、東三条邸から、偶然、遊びに来ていた、藤原詮子ふじわらのあきこにも大絶賛された。


「女院さま、まだ、読んでいますので……」

倫子みちこは、読むのが遅いわねっ!」


***


「うるさい……」


 目の前で、争われては、たまったものではない……藤式部ふじしきぶは、「これ以上、邪魔をすると、続きは書きませんよ……」そんな脅しをかけて、今度は、「土御門殿つちみかどどの」の蔵へと、しばらく立てこもっていた。


***


 翌朝の土御門殿つちみかどどの」の蔵の前では、一騒ぎが起きていた。


「ひえっ! 蔵が荒らされているっ! えっ? 藤式部ふじしきぶさまが、物を放り出して、立てこもって、執筆中?」


 警備侍たちは、とっちらかった蔵の前で、藤式部ふじしきぶが時々上げる奇声に、びくつきながら、片付けをしていた。

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