🔮パープル式部一代記・第九話

 長保元年(999年)年のはじめに裳着もぎ(成人式)を終えると同時に一条天皇、帝から従三位に叙せられていた彰子あきこは、その年の暮れも近づく十一月に帝の後宮に入り、すぐに女御にょうごの宣下を受けていた。


 実の母である倫子みちこからは、「根暗な彰子あきこ」と呼ばれていたが、まだ十二歳であったことから、「藤式部ふじしきぶ@ゆかり」は高貴な身分の側仕えに紛れ込んで後宮に上がったあとは、彰子あきこがゆかりになついているのを見た道長から「追加料金で家庭教師も頼む! 帝は漢詩とか大好きでさ――定子みたいにウチのはそんな教育していなかったから……漢籍を教えてやってくれる? 急いでなるべく早く!」「追加料金……どのくらい……? 道長に似ていたら教えるのは厳しいかも……ここから逃げだしたりされたら……」「いや、彰子あきこはちゃんと座って聞いていられる子だから!」「……じゃあ、取りあえずお試し期間と言うことで……」そんなやり取りの末、藤式部ふじしきぶ@ゆかりは彰子あきこの家庭教師も引き受けていた。


「やれやれ……物語に集中したいのに……」


 そんな愚痴をぼそりとつぶやいた藤式部ふじしきぶ@ゆかりは、周囲の出自がよい大勢の女房たちに、ひそひそと「受領ごときの未亡人が、上臈じょうろう(意訳:セレブ)ぶって……」なんて言われていたが、やはりマイペースで陰気な顔でつぼねにこもり女御となった彰子あきこちゃんの家庭教師以外は、チクチクとした嫌味も聞いているヒマが惜しいとばかりに延々と文机ふづくえに向かっていた。


 なんなら、個室とはいえ基本的に几帳なんかの移動式の仕切りの大部屋暮らしなので、真夜中みなが寝静まった頃に、「降りてきた――!!」なんて叫び声を上げて煌々こうこうとなん台もの切灯台きりとうだいと呼ばれる手元用の灯りをつけて、押し寄せる苦情も注意もなんのその、「道長さまが早く書けと言うので……」なんて、言い返せない言葉を口にして朝までせっせと物語を書いて、みなが朝早くから自分のせいで寝不足なのを、必至に我慢してあれこれと女房本来の仕事をしているにも関わらず、「わたしの仕事じゃないので……」そんな感じでひとり昼過ぎまで眠こけていた。


朝餉あさげ……」

「は、はいっ……」

 

 藤式部ふじしきぶの世話係の女童めわらは身づくろいを後回しにして、朝餉あさげを昼頃に食べている彼女のまるで後宮の女房らしくない姿に目を丸くしていたが、「藤式部ふじしきぶはいいのよ」なんて、女御さまがおっしゃるので、「そういうものなのか」といつしか慣れてゆく。


 とうとうそんなある日のことである。藤式部ふじしきぶ@ゆかりは同じ藤壺で女御に仕える女房のひとりに、自分のつぼねまで押しかけられていた。


「これみよがしに漢籍などそらんじるなんて慎みのないにも程がある。そんな風だから未亡人などという不幸な身になったのよ……」


 なんて言葉からはじまり、ねちねちと長い嫌味を言われていた藤式部ふじしきぶ@ゆかりは、地獄の極卒の吐いた息、そんな重苦しいため息をつくと筆を手にしたまま口を開く。相手なんてしたくなかったが今日は彰子あきこちゃんの家庭教師の日なので、ただでさえ書く時間が少なくてイラついていたのである。


「ふ――ん、じゃあいまそちらさまはお幸せなんですね……なによりなにより……で、道長さまとはどんな風なご様子で? よろしければひとつご教授……」


 そう言うと、最近すっかり道長と疎遠になってしまったらしき、「愛人百〇八号」的な女房に正面から向かい合うと紙と筆を持ち上げて、こうなったら「ネタのひとつでも拾うか」そう思い、長い髪が邪魔なので額に〆ていた鉢巻のような布を取り、ばさりと顔に落ちた長い黒髪の隙間から、例のをぎらつかせ、「では、きっかけと出会いから……さあ、さあさあさあ……」なんて、ずりずりと袴を引きずりながら女房に迫る。


 その恐ろしい形相に思わず腰が抜けて、つぼねの中から逃げることすらできなくなった女房を、沸き上がって火がついてしまった探求心で藤式部ふじしきぶ@ゆかりが更に詰めに詰めていると、「あ、あの……女御さまの学びの時間が……」そんな女童めわらの声がしたので、「では、また、今宵……」と言ってと笑うと、藤式部ふじしきぶは、自分のつぼねをあとにしていた。

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