🔮パープル式部一代記・第六話

 道長は寝殿に帰り、イライラと畳の上で、なにか考え事をしていた。


 そんな夫を見つけた、華やかな装束を身にまとい、側仕えの女房たちを引き連れた、北の方、『源倫子みなもとのみちこ』が、心配げな様子で、彼に声をかけたが答えはなく、才女であり気の利く正妻、倫子みちこは、みなに視線で合図すると、その場をそっと下がっていた。


 それから夜になって、寝入った彼の横で、イケメンにも程がある、そんな夫の顔を、「やっぱり男は顔よね……」なんて、小声でささやきながら、夫の顔を愛でていると、彼は、苦しそうな表情で、寝言を言い出した。


「むにゃむにゃ……惟規のぶのりに申し訳が立たぬ……」


「また、まつりごとのお話かしら?」


 倫子みちこは、そんなことを思っていたが、道長は、夢の中で、を着た惟規のぶのりが、やはりあの頃と同じように、追いはぎめいた「代筆屋」をしている夢を見ていたのである。


「……変な夢を見たな……」

「殿、いかがなされましたか?」

「あ、うん、昔の友人の夢を見ていた……もう、この世にはおらぬがな……」

「まあ、それは、悲しい夢でございますね……え? 変な夢?」

「うん、変な夢……ひょっとしたら、お告げかもしれない」

「お告げ……?」

「ほら、お前、彰子あきこのことだよ……とんでもない根暗だと言っておるが、世の中は広い……みなが知らぬ、深淵の根暗さは存在するのだ……もしかしたら……彰子あきこ、なんとかなるかもな」

「???」


 夢の話は、変ではあるが、道長の読みは、あながち外れては、いなかった。


 そしてその年は、長保元年(999年)、ふたりの間に生まれた「帝の寵愛どころか、根暗過ぎて、なにをどうしたらいいか、まったく分からない……」母親も戸惑う陰気な長女、彰子あきこの入内が迫っていたのである。


***


〈 内裏 〉


「今日は、道長は、行き触れで休みだって!」

「やった! 平和な一日!」

「帰りにうちに寄って、歌会でもする?」

「いいねいいね!」


 内裏で、道長がそうウワサされていた、その日、彼は、豪華な牛車に随身、供人をひき連れて、ちっちゃなちっちゃな、ゆかりの家を訪ねると、周囲の人だかりも気にせずに、家の回りにある粗末な塀を、ぶち壊し、物置小屋を探し出させると、やはり物置小屋の扉も、ぶち壊していた。


惟規のぶのり……?」


 物置小屋の中には、明け方まで、書き物をしていたのか、すっかり寝込んでいたらしき、惟規のぶのりの妹がおり、当たり前だが、彼に瓜ふたつであった。


 小さな母屋からは、赤子の泣く声が響いている。


惟規のぶのり……」


 目を開けた女は、顔を見られた恥ずかしさで、袖で顔を覆うでもなく、道長の言葉に応えていた。


「ゆかりですよ……いまはね……」


 彼女の、にたりと笑う顔を、他の人間は、不気味にしか思わなかったが、その顔に、懐かしささえ感じる程に、耐性のある道長は、「こいつ惟規のぶのりだ」そう、直感的に分かってしまっていた。


「やっぱり……生きていたのか、久しいな……」

「殿も相変わらず、お元気そうで……人の家をなにしてくれているんだか……頭の中も相変わらずそうですが……」

「はは……子ども、いるんだって?」

ですけどね……」

「あ?」


「名無しちゃん」どころか、「負の遺産」呼ばわりされた、乳母に連れられて、側まで来ていた赤子は、更に泣き声を上げていたが、それは、惟規のぶのり、いや、ゆかりの暗黒色の不気味な笑顔を、間近で見たからに違いないと、道長は思った。


「お前、実は若かったんだな……」

「その件に関しては……色々と事情が……」


 今は亡き惟規のぶのりは、天延2年(974年)年生まれ、四歳も年をごまかしていたのである。


「気づかなかった道長、やっぱり“バカさま”だったよね」

「…………」


 時は、長保元年(999年)であった。


 天元元年(978年)生まれのゆかり、二十一歳。康保3年(966年)生まれの道長、三十三歳、壊された物置小屋の前で、ふたりは感動もへったくれもない、そんな再会を果たしていた。

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