🔮パープル式部一代記・第四話

 ゆかりが、の代筆屋をして、夜明け前に家に帰ると、相変わらず「宣孝のぶたかの子ども」そんな赤子は、幼いゆえの神聖さか? ゆかりの気配を感じただけで、泣きわめいていたので、もともと赤子なんて、はじめから眼中にないゆかりは、陰鬱な表情で、ぽっかりと開いた黒く塗りつぶされたようなまなこを、静かに血走らせながら、赤子をじっとねめつける。


「なぜ手に入れた墨と紙を売って、このうるさくて小さい生き物を、わたしが育てねばならぬのか……早く書かぬと、物語を忘れてしまうというのに……やはり、物置にでも放り込んで……」


 彼女は、赤子を見下ろしながら、そんな言葉を、ぼそりとつぶやき、乳母は、首でも絞められては大変と、赤子をひっしと抱きしめて、物陰まで避難してから、なんとか勇気を振り絞って、声を上げていた。


「お、お方さま! そのような地獄へ落ちる言葉はおやめくださいっ! わたくしめのお給料は、も、もう少し下げていただいてもようございますから!! ねっ!? ねっ!?」

「…………」

「あ、わ、わたくしも! ちょっぴりなら、減らして下さっても、ようございますよ?」

「おい、ゆかり! 父も臨時収入があったから! ほらっ! お前の好きな萎びた青菜!今回は、その紙と墨は売らずに、自分のために使いなさい! 頼むから検非違使が踏み込んで来るような、そんな問題は起こしてくれるなっ! ほら、この赤子のものであった、金の粒も、そなたの食べる物に、使ってしまったではないか!?」

「父君も食べていたじゃないですか……それに、萎びた青菜は、好きで食べているのではありません……でもまあ、じゃあ、そういうことで、の面倒は、父君が見てください……」


『ガラガラがっしゃん! ガガガガガ……!!』

『ガラガラがっしゃん! ガガガガガ……!!』

『ガラガラがっしゃん! ガガガガガ……!!』


「えっ!?」


 赤子を物置に閉じ込めるのを止めたゆかりは、鬼気迫る勢いで、物置小屋の中にあった品を、すべて外に放り出して、ボロけた切灯台きりとうだいと呼ばれる手元用の灯りと、やはり、木を組んだだけの文机、そして、なぜか豪華で大きな硯やら筆、そして、追いはぎ? をして手に入れた墨が入った、当時の文房具セットともいえる、妙に大きくて、これまた豪華な螺鈿の施された、漆塗りの黒い箱と、客? から巻き上げた中から、料金として、取り置いてある紙を、昔のように風呂敷に包んで背負い、ぴしゃりと戸を閉めて、物置小屋の中に、引きこもってしまっていた。


 そして彼女は、夜になると、そこから出て、「代筆屋」の仕事を探して来ては、やはりまた物置小屋へと戻っていた。


 しかしながら、「代筆屋」の仕事は案外忙しく、物語はまったく思うようには進まなかった。「わ、忘れてしまう……あの「バカさま」に、わたしの才能を見せつけやる、そんな、わたしの唯一の生き甲斐が……」ゆかりは、なんとか忘れないようにと、亡き夫がよこしたR18のふみの裏へ、ところどころ、大切な箇所だけを書きつけては、「代筆屋」の仕事に励んでいた。


 ゆかりは、かなり「おかしな子」であったので、大人になっても、「バカさま」とのつながりを、「友情」だと理解は出来ていなかったが、彼以外に才能を見せつける相手も、いなかったのである。


「お食事は、なくなっていますから、大丈夫かと……」


 そんなことを言ったのは、毎日、物置小屋の前へ、質素な膳を運んでいる、昔からいる、ゆかりの奇行には、いささか耐性のある下働きの女であった。


 父は、他の子どもたちにも、ふみを出して、支援を頼んでみたが、貧乏神かなにかのように、避けられていたので、赤子の昼間の世話は乳母に任せ、まだ「名無しの赤子」を横に置いて、こっそり、母屋に置いてある、ゆかりの紙を持ち出すと、昔のツテをたどり、あちらこちらで、臨時の学問を教える仕事を再開しようと、就職活動に励むことにした。


「いつまでも“名無し”と言う訳には、赤子の名前は、なんにしようかな……のぶこ? ゆかこ? 賢子けんし? やっぱり漢字かなぁ?」


 ゆかりに経済的に頼りっきりになっていた、越前での稼ぎをすべて本に変えてしまっていた「学者バカ」の父は、名無しの赤子に、ようやく名を付けようとしていたが、凝り性であったため、名づけは難航する。

 

 赤子はのちに『大弐三位』と呼ばれ、大出世を遂げるはずであるが、いまのところは、「名無しちゃん」と呼ばれ、なんとか、ゆかりの「魔の手?」から逃れ、乳母や周囲の哀れみと愛情で、生きながらえていた。


***


〈 その日の深夜 〉


「わたしの正体は、分かっているな? さあ、早く紙と墨を出せ……ちっ! 検非違使か! 石つぶてをくらえ! え? 提出書類の清書をして欲しい? 量は多いし、お前、かなりの悪筆だな……値ははるぞ……」


「鬼の代筆屋」は、ますます繁盛していた。

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