🔮パープル式部一代記・第弐話

※時代的に、まだ、『今昔物語集』は、なかったような気もするのですが、あった世界線です。


***


 寛和弐年(986年)夏、惟規のぶのり@ゆかりは、絶望した表情で、すずりを抱え、震えたまま床にへたり込んでいた。


「す……墨がなくなった……」


 そう、父のフリーで、不安定な収入では、とてもとても、毎日毎日、大量に書き散らしている彼女の墨まで、ほいほい購入できるはずは、なかったのである。


 まあ、それくらいは分かっていたので、彼女は、「落穂拾い」ならぬ、「ちびけた墨拾い」そんな様子で、父や、亡き母、思いつく限りの血のつながりのある親戚中に、素晴らしい筆の跡で、「なんとか勉学を続けるために、余った墨があれば送って欲しい」そんな意味を含んだ、和歌を詠み、もったいないので、細く切った紙に、素晴らしいふみを書いて、送りまくり、ちびけた墨をかき集め、なんとかかんとか、やり過ごしていた。


 しかしながら、そんなに裕福な親族も、あまりいないので、(いても、貧しい親戚が、裕福な親戚に、知らん顔をされるのは世の常である)そう潤沢に墨が集まる訳もなく、親戚筋には珍しく、我が家に色々と優しくて、その上、裕福な藤原宣孝ふじわらののぶたかが送ってくれた墨のセットを、ついに最後の一本、最後のひとかけらまで使い切ってしまったのである。


「…………」


 父が教えに行っている、アホで地位と名誉と金だけしかない、公卿の息子たちは、「奈良のどこそこの墨は色艶もよく……」「筆はどこそこの……」そんな会話をしていると言うのに……。


 そんな妄想すら頭を駆け巡り、彼女のねたそねみが、体中からあふれ出し、さながらそれはまるで呪詛の様相を呈し、家をうすい紫色の光が包み込みだし、家庭教師に出かけている父以外、ぼろ家に残っている者たちは、一同、恐れおののいていた。


「金持ち貴族の子弟なぞ……能無しばかりのくせに……あいつらなんて、その辺の泥水で十分だというのに……おのれ口惜しや、口惜しや~~」

「ゆか……いや、兄君、市場でなにかと、えっと、墨を交換してみては?」

「兄……いや、ゆかり、いたの? 交換って、墨と交換できるような高価な品なんて……え? それは……」


 おびえながらも、ゆかり@惟規のぶのりは、妹に、『今昔物語集』の「わらしべ長者」の部分を開いて差し出し、恐る恐る様子をうかがっていた。


「ああ、これ、ちっちゃいときに見たような……ふ――ん、わらしべが、あーなって、こうなって、最後には田畑に……うまいことやったな……」

「でしょ? そこらへんに、くらいなら落ちているし、だから、試してみたらどうかな?」

「たまには頭を使うのね……そうか、元手はかからないし……一度、試してみるか……」


 物々交換も当たり前の時代、ゆかりは、その辺に落ちていた「わら」を一本持って、出かけてみることにした。


***


「のぶ……いえ、ゆかりさま! 素晴らしい機転です!」

「そう? とりあえず、呪いの爆弾低気圧は、どこかへ消えてよかった……ちょっと昼寝してくる……」

「爆弾低気圧……?」


 下女には、なんの意味かはわからなかったが、とりあえず、今日もまた「顔がうつるくらい、うすいおかゆ」を作ろうと、姿を消していた。


***


 案の定というか、目利きが行き交う市場では、ゆかりは、まったく相手をしてもらえなかった。

 

 そんな訳で、「なるべく、なのを探そう……」ゆかりは、そうつぶやきながら、夕方もちかくなったので、おバカな公達が、夜遊びに出てくるのを見張るべく、朱雀大路のあたりをうろついていると、「遊び歩いている場合ですかっ! もう、こんなに溜めてしまっては、間に合いませんよ!? 今日から夜なべして、なんとか写経を完成させねば、一体なにを言われるか……殿さま――!」そんな悲痛な叫びを聞き、そちらを、のぞいてみると、声の持ち主らしき、大荷物の従者を従えて、かなり大きなやかたから出て来た、金持ちそうな貴族を見つけたのである。


『身ぐるみ剥いでしまえば、結構な実入りに……だが、体格負け……なにか他の方法を……なに、写経とな? 写経をさぼっているということか……そうだ……』


 彼女は、地獄の極卒も裸足で逃げ出す……そんな、暗黒色の、にたりとした笑みを浮かべ、すすすと、殿さまならぬ、「バカさま」に近づく。


 目を合わすなり、まるで鬼と出会ったように、腰を抜かしている相手を無視して、「このわらしべと、お前の紙と墨を交換しろ……さすれば、写経など、すぐに仕上げてやろう……」そう言ってみた。


「え? なに? なんの話!?」「いいから交換しろ……交換……交換……祟られたくなかったら、交換しろ……」などと、彼女は、強引過ぎる交渉で、超高級品っぽい紙の束と、墨がつまった箱が入った大荷物、つまり、ふろしき包みを、従者から、よこせとばかりに取り上げて、自分のわらしべと交換して、また、陰気な声を出していた。


「なにかお前の書いたものはあるか? ふみか、どれどれ恋文か、幾つもあるとは……つまらない内容だが、まあ、これで十分だろう。三日後に、同じだけの紙の束と、墨がつまった箱を持って、同じ場所にこい。さすれば写経と交換してやる……」


 ゆかりは、そう言うと、腰の抜けた「バカさま」と従者をあとに、荷物を担いで、ひたひたと足音だけを残し、暗闇の中へと消えて行った。


 その「わらしべ」が目印だと言い残して……


「バカさま」の名は、藤原道長ふじわらのみちなが、御年二十歳であった。


***


〈 三日後 〉


「殿さま、大丈夫でしょうか……?」

「どうかな……騙されたのかもな……まあ、それなら、写経は盗まれたということで……えっ!? うわっ!」


 真っ暗な道沿いにある大垣の影から、まるでなにか小さな怨霊のような、先日の不気味な童が、ふたりの前にゆらりと現れたかと思うと、渡したよりも小さな風呂敷包みを差し出してきたのである。


「バカさま」が中身を改めてみると、そこには確かに自分の筆跡で、完璧な写経が仕上がっていた。


「交換……」

「あ、ああ、そうだった、そうだった! おい、例の物を!」

「はいっ!」


 道長に促された従者は、やはり真新しい高級紙と、沢山の墨が入った包みを差し出す。

 すると童の姿は、ふつりと消えていた……ように思えたが、なんのことはない、月明かりのない中を、大荷物を背負って、ずるりずるりと、不気味な背中を見せて、どこかへ消えていったのである。


「人だったのか……なんなんだろうな、あいつ?」

「はあ……なんでしょうね?」


***


 それから十年の時はたち、長徳弐年(996年)、ついに、ゆかりの父は、無職の身を脱出したが、その陰には、この出会いがもたらした力が、かなり働いていたことを、父の為時ためときは知らない……。


***


「ほれ、お前の父親、ちゃんと就職させただろ? だからさ惟規のぶのり、俺の家人になってくれよ? な?」

「大学寮も出ていませんから……それに、執政になっても、相変わらずですね……十年たっても、しょうもない恋文しか書けないなんて……」

「うるさいな……あ、大学寮なんか、執政の権限で出たことにするから! な!? な!? あとさ、元服、まだしないんだったら、俺が後見人さがしてやるよ? いいかげん、その歳で変だろう?」

「元服はどうでもいいけど……数年後、道長の気持ちが、まだ変わっていなかったら、家人のことは考えてみる……」

「え……?」

「父に同行するので、しばらく会えない……」

「そっか……体に気をつけてな……」


 十年の間、長い付き合いの間に、ふたりの間には、なんとか友情ともいえる関係が成立するようになり、そんな会話がされていた。


 越前守となり転勤が決まった父である為時ためときは、置いて行くには怖すぎると、惟規のぶのり@ゆかりと、ゆかり@惟規のぶのりの複雑なふたりをつれて、越前に旅立つことにしたのである。


 ゆかりは、自分の正体を知らない道長から、大量の墨と素晴らしい硯を、選別だと貰い、越前へと旅立っていた。


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