5-2 町中が美味しい匂いに包まれる
「そうそう。ついでにもう一つだけ教えてやるか」
「なに?」
今度はどんなサプライズだろうか。お父さんの言葉に耳をかたむける。
「実は今回のこと――そうミノルが絵が描けないってことな。実はあれ、ミノルのところの学級委員が教えてくれたんだ。ほら、女の子でメガネをかけた」
えっ? 学級委員? 意外な名前が、お父さんの口から聞こえてきた。
「学級委員って、瀬尾さんが?」
「そうそう、瀬尾さんって言ったな。お姉ちゃんのクラスまでわざわざ来て、教えてくれたらしいぞ」
ほんとに驚いた。まさか瀬尾さんが……。いやまあたしかに、おせっかいな彼女らしいんだけどさ。でもいつものとはちょっと違う。うまく説明できないけれど、今回のおせっかいは不思議といやな感じはしなかった。
(間違っていないことは、正しいこと)。
いつかの疑問が、少しだけ解けたような気がした。
「お父さん」
「なんだ?」
「明日、学校に行ったらさ。瀬尾さんにお礼を言うよ。ありがとうって」
「だな。そうしろ」
そう言うとお父さんは、ぼくの頭をクシャクシャ撫でた。「良い子じゃないか。瀬尾さん」なんて冷やかしてもきた。そんなんじゃないのにさ。本当に困ったお父さんだ。
どこかの家の換気扇から夕ご飯が流れてくる。町中が、美味しい匂いに包まれる。あの家はシチューかな、いやカレーかな。まあどっちでもいいか。だってそれは、どこまでも幸せな香りなんだから。ぐぅとお腹が鳴ったぼくとお父さんは、「家まで競争だ」と、お姉ちゃんの後を追ってかけだした。
家につくと、お母さんとたくさんの料理が出迎えてくれた。
「みんな手を洗ってらっしゃい」
お腹がすいていたぼくたちは、われ先にと洗面台へ向かった。おしくらまんじゅうをするように、親子三人が身体をくっつけあい手を洗う。「くすぐったいよ」なんて言いながら。
テーブルには、家族みんなの大好物が並んでいた。コーンがたくさん入ったポテトサラダ。あまじょっぱい切昆布の炒め煮。半熟目玉焼きがのったハンバーグ。ショウガとニンニクがたっぷり効いた鶏の唐揚げ。混ぜご飯のおむすび。豆腐とインゲンのお味噌汁。そしてデザートには、お母さん特製のミカンゼリー。家族みんなの誕生日みたいだ。
テーブルにみっちり並べられた料理に、ぼくはみんなが初めてマスクを被った日のことを思い出した。あの日も確かこんな風に、お腹いっぱいになるまで食べた記憶がある。でも今日はちょっと違っている。不安を飲みこむような食事なんかじゃ決してない。他愛ないおしゃべりと、美味しい食事を噛みしめることができている今のぼくたちは、それぞれが少しだけ強くなったんだと思う。
でもぼくは、もっともっと、強くならなきゃいけない。
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