3-4 お気に入りの技はプランチャ・スイシーダ

「お父さんを倒したら、起きてやる」

 どんなに頼み込んでも起きないお父さんに、「じゃあどうすればいいの」と聞くと、いきなり宣戦布告をされてしまった。

「倒すって?」

「どんな技をかけてもいいから倒すのさ。ギブって言ったら、お父さんの負け。絶対に起きる」

「ギブしなかったら?」

「しなかったらか。うーんそうだなぁ……。起きないんだから、今日のお出かけは無しだ」

 それじゃあ約束が違う。今日はみんなで山に登って。その途中でカブトムシを発見して。頂上まで行ったら、イクラのおむすびとウインナーを食べるんだから。

「だったら、お父さんをギブさせるんだな」

 と、ゲームのラスボスみたいなことを言って、すっぽりとフトンを被ってしまった。こうなってしまったら、意地でも起きないつもりなんだろう。仕方ない。やるしかない。ぼくはかくごを決めて、助っ人を呼ぶことにした。


「いやよ!」

 お姉ちゃんがピシャリと言う。うぅ冷たい。

「お姉ちゃんだって楽しみにしてたじゃん。そんなに出かけたくないの」

「わたしは弱いものイジメはしない主義なのよね。お父さんが相手じゃ、わたしの血が騒がないもの」

 でもそれじゃ困るのだ。山に登るのだ。

「だったら、あんたがギブさせるのね。わたしがセコンドに入って、いろいろアドバイスしてあげるから」

「でも……どうすれば……」

「何言ってんの、あんた。わたしと一緒に、さんざんプロレスを見てきたじゃない」

 確かにぼくたちは、お父さんが録画した昔のビデオを、テープがすり切れるぐらい見ている。特に覆面レスラーの試合は、勝敗から決まり手までぜんぶ覚えている。

 最初のころはお父さんに無理やり見せられていたけれど、二人ともいつしか夢中になって見ていた。きっとお姉ちゃんは、純粋に格闘技が好きだったのだと思う。でもぼくは少し違う。弱っちいぼくは、彼らの強さにあこがれ、尊敬していた。

「あんたもお父さんを倒せるくらい、強くならなきゃね」

 お姉ちゃんは簡単そうに言うけれど、とても難しそうだ。


 お父さんとの戦いは、日曜日の朝の恒例となった。

 普段は少し頼りないお父さんだけど、立派な大人だ。弱い弱いとお姉ちゃんは言うけれど、お父さんはかなりしぶとかった。何度も何度も、ぼくはお父さんにプロレスの技をかけ続けた。

 お気に入りでよく使っていた技は、『プランチャ・スイシーダ』だ。ロープの上からジャンプをして、相手に向かって体当たりをする。メキシコのプロレス“ルチャリブレ”のとび技で、ミル・マスカラスもよく使っていた。


 子ども用の小さな椅子を部屋から持ってきて、その上からお父さんに向かってダイブする。なんだか、本当にプロレスラーになったような気持ちになってゾクゾクした。たいていは、この技でお父さんはギブしてくれる。決着がつく頃には、二人とも汗だくになっていた。

「今のは良かったぞ。マスカラスも真っ青だな」

 ぼくはもう小学三年生だ。子供だけど、子供じゃない。お父さんがわざと負けてくれているのも知っているし、なんでこんなことをしているのかも気づいている。確かにこれは“プロレスごっこ”にしか過ぎないかもしれない。でも気持ちが大事なのだ。いじめっ子の向こう側にいる、困難に立ち向かう勇気が。


「じゃあ今日は約束どおり海に行くか。水中メガネ忘れるなよ」

 そう言うとお父さんは、勢いよく起き上がる。その背中はとても広くて大きくて、思わずぼくは飛びのった。お父さんのぬくもりが、ぼくのお腹をじんわりさせる。

「なんだ? まだプロレスし足りないのか」

「ねえお父さん。またゴルフとか、釣りとか始めてもいいよ。昔のダチさんと、遊びにいってもいいよ」

「どうした急に」

「別になんとなく。もうぼくは大丈夫だからさ」

 お父さんの背中が一段と温かくなった。そんな気がした。

「よーし。じゃあ、ミノルがお父さんより強くなったら考えようかな」

 ごめんお父さん。まだまだ先になりそうかも。でもいつか、きっと。

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