3-1 憂うつな月曜日

「ミノル、戦いの時間よ」

 青く透きとおった空がどこまでも続く、よく晴れた日曜日の朝。お母さんはぼくにそう告げる。その言葉を聞いたぼくは、お姉ちゃんを見る。お姉ちゃんは、全てを「了解した」と言わんばかりに、小さくうなずく。その合図をゴングに、ぼくはお父さんを倒しにいく。わが家の日曜日は、戦いから始まる。


 お父さんは、プロレス以外にも、たくさんの趣味を持っていた。釣りとかゴルフとか、草野球とか。あんまり上手じゃなかったけれど、ジャズバンドなんかも組んでいた。一体いつ休んでいるんだろうかと心配しちゃうほどに。日曜になれば、“昔のダチ”っていう人たちと、いつもどこかに出かけていた。

 でも、今のお父さんはほとんど趣味がない。昔のダチって人たちとも、あまり出かけなくなった。タイガーマスクを被ったあの日から、あれだけ夢中になっていた趣味を、きっぱりとやめてしまったのだ。

「無理やり誘われただけだったしな。ちょうど良かったんだよ」

 そうは言うけれど、なんだか申しわけなかった。ぼくのせいでお父さんが、好きなことを諦めるのはやっぱりいやだ。でもお父さんは、「今の趣味はミノルだから」と、ぼくの頭をポンと叩きながら言った。


 その言葉どおり、休みになるとお父さんは、色んな場所にぼくたちを連れていってくれた。

「お父さんさ。一度プラネタリウムに行きたかったんだよ」

「水族館でクラゲ展がやってるってよ」

「今日は公園でサッカーやるか」

 お父さんが行きたい場所、やりたいことが中心だったけれど、家族みんなでお出かけするのは楽しかった。その他にも、遊園地にも行ったし、雨の日には家で餃子パーティーをした。皮から手作りして、中に入れる具もいろいろ工夫して。お姉ちゃんが作ったブルーベリージャムの餃子は、意外に美味しくてちょっぴり悔しかった。

 小学一年生の頃から現在まで、絵日記に描ききれないほどの思い出を、ぼくたち家族はつくった。ずっと日曜日が続けばいいのに。鮭のような色の美味しい夕焼けを眺めながら、じきにやって来る夜を少しだけ憎んだ。


 家族の時間が楽しいほど、月曜日は憂うつだった。 憂うつって言葉は、図書館で借りた『あしながおじさん』で知った。まだ孤児院に居たジュディが、評議員さんがやって来る日を「憂うつな水曜日」としたように、「憂うつな月曜日」ってタイトルで、ぼくはいくらでも作文が書けると思う。原因は、自分でもわかっている。学校で騒動になっている、とある問題のせいだ。


「ウチのクラスは全員、学校に着ていく服に、名札をつけたらどうでしょうか」

 三年生になってすぐの学級会で、委員長の瀬尾さんがクラスのみんなに提案をした。

 ぼくたちの学校では、三年生、五年生に上がる時にクラス替えをする。もちろんぼくも例外ではなくて、一、二年生の時に仲良くなった友だちともバラバラになってしまった。クラスを見わたすと、知らない人がたくさんいた。またイチからあだ名をつけなきゃな。そう思って座席表とにらめっこしていた矢先での、彼女の提案だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る