2-2 ぼくはみんなにあだ名をつけてみる

 クラスメイトにあだ名をつけることを教えてくれたのも、お母さんだ。

 三年生に上がってクラス替えがあったせいか、ますますぼくは学校になじめなくなっていた。とうぜん、友達もゼロだ。

 担任のヨウコ先生は、一番はじめの学級会で、ぼくの病気について説明してくれた。春休みに先生とお父さんお母さんが話しあって、みんなに伝えようと決めたらしい。できるだけわかりやすく話してくれたけれど、本当に理解できた生徒は一人もいなかったと思う。だってぼく自身がこの病気についてよくわかってないんだもの。仕方がない。

 みんな最初は不思議そうに、遠くからぼくがどんな人間かを探っていた。中には気をつかって話かけてくれる子もいた。でもぼくが心を閉ざしていることがわかると、その子たちもやがて離れていった。


 だってぼくは、誰かと仲良くなったとしても、次の日にその子を見つけることができない。その子が「おはよう」とか、「昨日は楽しかったよ」と声をかけてくれることを願うだけ。もしできることがあるならば、その子の名前を大声で呼び続けるぐらいだ。「〇〇ちゃん、どこにいるの?」って。

 それに見つかったとしてもだ。その子が昨日遊んだ子かどうか、本当のところはわからない。だって顔を覚えられないのだから。

 幼稚でらんぼうな男の子。気味悪がって近づかない女の子。顔が見えない何だかよくわからない人たちは、本当に必要なんだろうか。ぼくをよく思ってない人と、仲良くして何になるんだろうか。ぼんやりとだったけれど、そんなことを考えるようになっていた。


 その話をすると、お母さんは泣きながらぼくの体をギュッと抱きしめた。

「ミノルはみんなのことを、何だかわからないと言うわね」

「うん」

「でもあなたは、みんなをわかろうとする努力はしてる? 仲良くなろうとしてる?」

 返事をすることも、首をふることも出来なかった。

「それではみんなだって、あなたのことを何だかわからない人って思うんじゃないかしら」

 ああそうか。何だかわからないものは、ぼくだったんだ。みんなじゃない。

「わからないものは、やっぱり怖いのよ」

 お母さんの吐く息がぼくの耳をくすぐる。首すじに水滴がぽつんと落ちる。それは首をつたい、ぼくの胸をひんやりと冷やした。


「ねえミノル。みんなにあだ名をつけてみたらどうかしら」

 抱きしめられた腕がほどかれ、お互いに見つめあう形になった。お母さんの顔がすぐ近くにある。えべっさんのマスクは、どんな時も笑っている。

「あだ名?」

「そう。みんなの顔を覚えるかわりに、あだ名をつけてみるの。見た目でもなんでもいいわ。その子にしかない特徴があるでしょ」


 ぼくは前の席の浜くんのことを思いだす。顔はわからないけれど、彼の後頭部には小さくて丸い十円ハゲがあって、授業中ずっと気になっていた。そのことを告げると、お母さんは「仕方ないわねえ」と、ふふっと小さく笑った。

「十円ハゲはあんまりね。でもいいわ。浜くんはもう“顔みたいな何か”じゃなくて、“十円ハゲくん”ってことを、あなたは知ってるんだから。明日からはその子の良いところを探してごらんなさい。なんでもいいわ。足がとても速い? すばらしいじゃない。給食を残さず食べることだって、すてきなことよ」

「ほんとになんでもいいの?」

「そう、なんでも。大切なのはわかろうと努力することよ」

 とりあえずやってみよう。そう思った。お母さんを泣かせたくないし、ぼく自身が何だかわからない人になってしまうのは、やっぱりいやだ。

「でもねミノル。まちがってもその子に、十円ハゲなんて言っちゃだめよ」

 お母さんが優しい口調で忠告してくる。せっかくのあだ名が発表できなくて、ちょっとだけガッカリだ。


 次の日からぼくは、心の中でみんなにあだ名をつけ始めた。

「小指なが男」に「もじゃ子」、「いつでも短パン」。バカになんてしていない。悪口でもない。一人ひとりをじっと見ていると、色んな発見があった。乱暴者だとみんなに言われているヒロシくんが、飼育係をサボらず頑張っていること。おしゃべりな小川さんのおかげで、みんなが楽しく授業をうけられていること。あだ名をつけるのは思ったよりも楽しくて、目の前の世界がどんどん広がっていった。

 次に、勇気をだしてみんなに話しかけてみた。お母さんに「そうしなさい」って言われたからじゃない。みんなにあだ名をつけていく内に、ちょっぴり話をしてみたいと思ったからだ。そんな気持ちになるなんて、ぼく自身思ってもみなかった。

 はじめは向こうもびっくりしていたけれど、ちょっとずつ会話が続くようになった。もちろん気味悪がる人もいたけど、それは仕方ないと思う。でもぼくは密かに思ってる。今は無理でも、いつか仲良くなれるんじゃないかって。その時までは、もっともっとみんなにあだ名をつけていこうと思う。


 あだ名のことを先生に教えてあげたら、とても感心していた。先生っていうのは学校の先生じゃなくて、病気のことを教えてくれたお医者さんの方の先生だ。月に一度、ぼくは都会の病院に行って、先生に診てもらっている。といっても大したことはしていない。知らない人の顔と名まえが書かれたカードをそろえる神経衰弱みたいなゲームをして、あとはおしゃべりしているだけ。とっても気楽なものだ。

「じゃあ、わたしにはなんてあだ名をつけてくれるかな」

 もちろん、決まってる。ぼくは先生の腰あたりを指さした。

「ポッケ」

 ポケットがこんもりしているから、ポッケ。なんの捻りもないんだけどね。でも少しとぼけた先生にピッタリだと思う。名づけたぼくを、ぼくはほめてあげたい。

「ポッケ? ああなるほどね」

 先生は愉快そうに笑い、こんもりとしたポケットをポンと叩いた。

「じゃあ、君が来るときには、お菓子をたくさん用意しておかなきゃな」

 そう言って、いつものアメだかガムだかグミだかわからないお菓子を、ポケットから取り出した。

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