1-3 お姉ちゃんはミル・マスカラス

「じゃあここで、みなさんに大発表があります」

 食後のココアを飲んで一息ついているとき、お姉ちゃんが勢いよく手をあげ立ちあがった。そして「ちょっとまってて」と、隣の部屋で何やらゴソゴソしはじめた。

「もういいよ。だれか開けて」

 お父さんが部屋のフスマを引くと、そこには小さな覆面レスラーが立っていた。見ると、お父さんのコレクションであるプロレスの覆面マスクを被っている。でも、大人用だからブカブカで、全然似あっていない。頭だけがやけに大きくて、オバケの子供みたいだ。

「何してんの、お姉ちゃん」

「何してるって。見ればわかるでしょ」

 ぜんぜんわからないよ、お姉ちゃん。お父さんとお母さんの方を見ると、口を開けてぽかんとしている。そりゃそうだ。そんなぼくたちにかまわず、お姉ちゃんはじぶんの顔を指さして言った。

「だからさ、これ何に見える?」

「プロレスのマスクでしょ」

「当たり。じゃあ私がかぶってるマスクの名前は?」

 もちろん知っている。真っ白なマスクに、黒い翼。額のところには、Mの文字。プロレス好きな人なら、きっとだれもが知っている。日本で一番有名な覆面レスラー、ミル・マスカラスだ。


 メキシコ生まれのスーパーヒーローだったミル・マスカラス。ぼくが生まれるずっとずっと昔、お父さんがまだ小学生だったころに、日本中の人たちを熱狂させていたらしい。一番の特ちょうは、なんといっても“覆面マスク”。顔がすっぽり入る白いマスクに、目と鼻と口の穴がぽかりと空いていて。その穴を囲むように、真っ黒な翼が描かれている。そしておでこにはアルファベットのMの文字。


 ぱっと見た感じは、ドラマとかでよく見る銀行強盗のマスクみたい。でもマスカラスが被ると、ぜんぜんそんなことはなくて。白いマスクは、筋肉ムキムキの大きな身体にとても似合っていた。得意の『空中殺法』をくり出す姿は、とても力強くて、美しくて、気高くて。子供たちみんなの憧れの的だった。それが、ミル・マスカラス。

 そう教えてくれたのは、プロレスマニアのお父さんだ。家中に選手のサインやポスターなんかのグッズが溢れ、録画した昔の試合の映像を「これ面白いから」と子供たちに毎日のように見せてくる。それほどの熱狂的ファン。

 あまりにも好きすぎて、若いころにはプロレスラーを目指したこともあったらしい。でも、スクワットが五十回しかできなくて入団テストに落ちたんだと、お母さんがこっそり教えてくれた。

 そんなお父さんのおかげかせいか、ぼくもお姉ちゃんも、ほとんどの覆面レスラーは頭に入っていた。


「そっ、あんた好きでしょ。マスカラス」

 マスクを被ったお姉ちゃんは、偉そうにふんぞり返っている。

「そりゃ好きだけど。急にどうしたのさ」

 あんまりお腹がいっぱいで、おかしくなっちゃったんだろうか。

「ほんとニブいわね。あんたが覚えられないのは、現実にいる人の顔だけなんでしょ」

「そうなのかな」と、ぼくは首をかしげた。意識したことがないから、よくわからない。

「そうよ。だってあんた。マンガが面白いって言ってたじゃない。好きなキャラ教えてくれたじゃない。それにさ、覆面レスラーの顔は分かるんでしょ」

 ぼくがこくりとうなずくと、お姉ちゃんはマスクの穴から見える鼻を、とくいそうにふくらませた。

「それでピンときたのよね。わたしたちの顔を覚えられなくても、マスクを被れば誰かわかるんじゃないかって。だからさ、これからあんたがどんなに迷子になったとしても、わたしがマスカラスなら見つけられるでしょ」

 お姉ちゃんはぼくの肩を思いきり叩いた。叩かれたところが、ジンジンと熱くなる。

「今日からわたしはミル・マスカラスよ。そこんとこ、よろしく」

 そう言うとお姉ちゃんは、「これは二人の分」と、隣の部屋から二枚のマスクを持ってくる。そして、お父さんには虎の顔をした『タイガーマスク』を。お母さんには七福神のエビスさまの顔をした『えべっさん』のマスクを渡した。

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