1-2 よく分からないものを丸ごと飲みこんだ
病院から帰る車の中で、お母さんは小さく泣いていた。家に着くまでの二時間、ずっと。運転しているお父さんの隣で、鼻をずびずび鳴らしている。お母さんのそんな姿を見るのは初めてで、ぼくは見ないように後ろの席でずっと下を向いていた。横に座っているお姉ちゃんは、窓に顔をむけて外を見ている。じっと何かを考えているみたいだった。
「ミノル。あんたに貸したマンガさ。どこまで読んだ」
びゅんびゅんと流れる景色が、こうそく道路の高いカベばかりになったころ、お姉ちゃんがポツリとたずねてきた。
「まだ半分ぐらいかな」
お姉ちゃんが貸してくれたのは、主人公とその仲間たちがお宝をさがして旅する内容のマンガだ。何十冊もあるから、ずっと借りっぱなしになっている。
「おもしろい?」
「うん、おもしろい」
「そっか……ちなみに一番好きなキャラは?」
ぼくは砂ばくの国の王女さまの名前をあげた。するとお姉ちゃんは、「なんかあんたっぽい」とだけ言い、また黙りこんでしまった。何だかバカにされた気がしたけれど、「やっぱり返して」と言われたら嫌なので、ぼくも黙っていることにした。
途中に寄ったサービスエリアで、お父さんはやけにはしゃいでいた。
「ミノル、ここのソフトクリームはすごく美味しいぞ」
「お母さんはコーヒーでいいか。冷たいの? やっぱり温かいほうがいいな」
「じゃあ、お姉ちゃんは荷物もちな」
お母さんも誘われたけど、だまって首を横にふるだけだった。なんだかほっとけなかったぼくは、いっしょに車の中に残ることにした。といってもなにを話せばいいかわからなかったから、お父さんからあずかった車のキーをクルクル回して遊んでいた。
「ごめんね。先生のお話をきいたら、お母さんちょっとだけビックリしたの」
お父さんたちがいなくなってしばらくたったころ、前の席から声がふってきた。
「ううん、べつに平気」
お母さんの泣き声を思い出すと、そう言うしかなかった。そりゃあたしかに、“顔みたいな何か”は、ちょっぴりこわい。あんまり好きじゃない。だけど、身長とか体型とか、話し方なんかで、家族みんなのことは案外ちゃんと分かる。お父さんとお母さんとお姉ちゃんさえ間違えなければ、ぼくは何とか生きていけると思った。
「それよりお母さん。トイレ行っとかなくて平気?」
「ええ大丈夫よ。ありがとね。ミノル」
そう言うとお母さんは、また鼻をすすり始めた。ぼくのせいで、お母さんが泣いている。病気のことなんかより、そっちの方がよっぽど悲しかった。お母さんの顔がわからなくてよかったと、初めて思った。
窓の外を見ると、ソフトクリームや焼きそば、牛串なんかを、いっぱいに抱えた二人のすがたが遠くにあった。
日曜日の道路はとても混んでいて、家についたのは夜八時をすぎていた。
「夕ごはん、どうしよっか」
「あんまお腹すいてない」
「だからあんた食べすぎなのよ」
ほれ見たことかと、お姉ちゃんがぼくの上着をめくり、中身がつまったお腹をぺちぺち叩く。
「なんだっけ。ソフトクリーム(ぺち)、ばくだん焼き(ぺち)、メロンパン(ぺち)、ええと後は……」
「フランクも」
「フランクも、じゃないわよ。バカ」
お姉ちゃんはちょっとだけ口が悪い。おまけに手も早い。よく男の子とケンカしては、泥だらけで帰ってきている。
「お母さんも疲れているだろうから、今日は残りものでいいよ」
お父さんは、昼間に買った料理をテーブルに並べた。車の中であれだけ食べたはずなのに、まだたくさん残っている。
「そんなに買ったんですか」
お母さんはあきれていた。涙もひっこんだみたいだ。
「サービスエリアなんてめったに行かないんだからさ。いつ買うのって話だよ」
「だからって限度があるでしょうに」
「じゃあぼく、レンジで温めてくるね」
「あんたまだ食べるの。お腹すいてないって言ったじゃん」
さっきまでの重くるしさがとけて、いつものみんなに戻った気がした。
それからぼくたちは、たっぷりと時間をかけて、テーブルに並んだ料理を食べた。黙々と口に運んだ。今日の出来事とか、これからの不安とか。よくわからない何かを丸ごとぜんぶ、料理といっしょに飲みこんだ。それは食事というよりも、神聖な儀式のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます