第9話 崩れゆく名誉

 草野の復讐計画は、いよいよ太田に向けて本格的に動き始めていた。担任だった太田は、草野がいじめられていたことを知りながら、それを見て見ぬふりをし、さらには「いじめられる方にも責任がある」と言い放った人物だ。教育者としての役割を放棄し、草野の心に深い傷を刻んだその男が、今や定年を間近に控え、穏やかな老後を夢見ていた。その計画を、草野は徹底的に崩壊させるつもりだった。


 草野は市の教育委員会に、匿名で太田の過去の草野の行動に関する告発文を送り、当時のいじめの実態を調査させることに成功した。全国で相次ぐいじめ問題が社会的に大きな関心を集める中、教育委員会はこの告発を軽視することができず、すぐに調査を開始した。そして、次第に太田がかつて担当していたクラスでのいじめの実態が明るみに出始めた。


 教育委員会は、当時のクラスメイトや保護者に対する聞き取り調査を行い、当時のいじめの事実が次々と証言されることとなった。他の生徒たちも、「太田は見て見ぬふりをしていた」「助けを求めても相手にしていなかった」と証言し、当時の太田の責任が次第に明確になっていった。

 太田は、教育委員会から呼び出しを受け、過去のいじめに対する責任を追及されることになった。この時までは、かつての自分の行動がこれほどまでに大きな問題として取り上げられるとは夢にも思っていなかった。だが、教育委員会での面談が始まると、次々と過去の証言が彼に突きつけられ、彼は言葉を失った。

「太田先生、あなたは当時、いじめがあったことを知っていながら、なぜ何も行動を起こさなかったのですか?」

「草野さんだけでなく、他の生徒たちもあなたに助けを求めていたという証言があります。これについて、どう説明するつもりですか?」


 教育委員会の担当者からの厳しい質問に、太田はただ俯くことしかできなかった。過去に、自分が軽く見ていた問題が、今ここに来て自分の人生を崩壊させようとしている。太田は何も言い返すことができなかった。自分の行動を振り返り、ようやくその責任の大きさを痛感したのだ。

「私は…その時は大した問題ではないと思っていたのです。テストの採点や部活動の顧問などの仕事を多数抱えている時に、単なる生徒同士の小競り合いに過ぎないと思っていたんです。ですが結果的に、生徒が助けを求めているということに気づいてあげられなかったのです…」

 それは、太田がようやく口にした後悔の言葉だった。しかし、それに気づくのはあまりにも遅かった。


 教育委員会の調査書が公開されると、太田が当時のいじめの問題を無視し、被害者を見捨てていたという事実が世間に広まった。ニュースやSNSでもこの問題が取り上げられ、瞬く間に話題となった。動画サイトでは「いじめを放置した教師」として太田の名前と住所が晒され、彼の名誉は一気に崩壊していった。退職目前という事実に着目する動画が拡散され、「太田のような人物に退職金を払うべきではない」という論調が強まっていった。

「いじめを放置した教師に退職金なんてありえない」「教育者としての資格がない」といった声が次々に上がり、太田の日常は完全に失われていった。彼がかつて夢見た安穏とした定年後の生活は、もはや夢物語に過ぎなかった。


 退職を間近に控えているとはいえ、現役の教師として教壇に立ち続けていた太田だったが、この調査書の公開を受けて、太田は自宅待機を命じられた。さらに、教育委員会の調査結果を受けて、太田が受け取るはずだった退職金の行方がいよいよ検討される可能性も出てきた。太田は、経済的にも精神的にも追い詰められていった。老後の生活を安定したものにしようと考えていた計画はすべて崩れ去り、彼は明日の生活すら安穏としていられない状況に追い込まれた。


 太田は、自分が行った行動を振り返り、深く反省するようになった。草野が自分に助けを求めていたこと、他の生徒たちが苦しんでいたこと、そしてそれを無視し続けた自分の無責任さ――それが、今になって自分の人生を破壊しようとしているのだ。

「なんで…なんであの時、ちゃんと向き合わなかったんだ…」

 太田は何度も自問したが、答えは見つからなかった。過去を変えることはできない。そして、今となってはその反省も無意味だった。


 世間は彼を許さず、家族や友人たちも彼に背を向け始めていた。

 やがて太田は、教育委員会から呼び出しを受けた。そこで退職金の減額を言い渡された後、太田は静かに自宅に戻った。しかし、そこには待っていた家族もいなかった。妻は、彼のスキャンダルが広まる前に実家に帰っていたのだ。太田はその事実を知った時、ようやく自分の人生はここで終わったということを理解した。


 草野は、太田の名誉が崩壊していく様子を、噂話やネットのニュース、そして公開された動画を通じて知った。太田が絶望的な表情で教育委員会に向かっている姿や、退職金を巡る世間の反応が次々と取り上げられるのを見て、草野は静かに微笑んだ。

「これで4人目だ…」


 草野の声は低く、冷たかった。彼の復讐計画は順調だった。タクヤが倒れ、ヒロシが社会的に破壊され、彩子を屈服させ、そして今、太田が自分の人生の終わりを迎えようとしている。


 やがて、草野が放った復讐の炎は社会を巻き込んでいく。

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