第7話 この女を屈服させる①

 草野は、次のターゲットである彩子への復讐を慎重に進めていた。彩子から金銭を要求され、親の財布から一万円札を抜き取らざるを得なかった草野。「この女は俺だけでなく俺の親も傷つけた。」草野の彩子に対する恨みはひときわ強い。


 あの同窓会の後も、彩子は「夢キララ」でこれまでと変わらず夜の仕事に従事していた。しかし、その心の奥底では自分の身に降りかかるかもしれない恐怖に怯えていた。


 草野は「夢キララ」に再び足を運んだ。この店で何度か草野と会話を交わした彩子は、あの同窓会の後も、もしかしたら自分はターゲットにされずに済むのではないかと、淡い期待を描いていた。同窓会以降、彩子は何度も過去の自分の行為を振り返った。タクヤ、ヒロシと続き、自分にも何かされるのか、されないのか。されるなら、いつどこで…

 過去に彩子がしたことが、いまになって彩子の頭に蘇り、心を蝕みはじめていた。


 草野が店に入って彩子と目が合った。その彩子の目は、金持ちの上客を迎えるこれまでの上目遣いではなく、恐怖に怯えた目だった。「また来てくれたのね、草野くん」と彩子は精一杯の笑顔を作って草野に声をかけたが、その声には以前のような親しみや張りはなく、どこか震えていた。


 草野はそんな彩子の様子をじっと観察しながら、冷たい笑みを浮かべた。彼女が怯えているのがはっきりと分かる。過去に自分がしたことが、いつか自分に返ってくるのではないか――彩子はその不安に支配されているのだ。そして、草野はいままさに、彩子を支配しているのだ。


「彩子、大丈夫か?少し疲れているように見えるけど」と、草野はあくまで穏やかに気遣う言葉を彩子にかけた。

「い、いや、大丈夫よ。ちょっと最近、いろいろあって…」「同窓会では、タクヤくんが急に倒れてびっくりしたね。いまは退院したって聞いたけど…」彩子は怯えながら、精一杯言葉を探しながら言葉をつないだ。


 草野は笑顔で、「初めに言っておくけど、彩子に対しては仕返ししてやろうなんていう気持ちはないよ。」と、彩子をなだめるように言った。

「どうして?」

「彩子はタクヤに使われてたんだろ?彩子がそんな人間じゃないってことは、俺はわかってるよ。あの頃はみんなどうかしてたんだ。タクヤとヒロシに仕返しができれば、俺は十分なんだ。」

 一瞬彩子の顔が明るくなったものの、彩子はまだまだ草野を警戒している。

「俺はタクヤとヒロシに散々痛めつけられたから、あの二人には何とでも仕返しをしてやりたい。実は、ヒロシにしたように、タクヤにも同じ動画を用意してたんだ。その動画を病院にいるヒロシに送って、警察に被害届を出したらお前も同じ目に遭うよ、って言ってやったよ。」

 草野の目には自信が溢れていた。

「そしたらタクヤは、金はいくらでも払うし何でも言うことを聞くから、それだけはやめてくれって、泣きながら電話をしてきたよ。中学の頃とは似ても似つかない、弱々しい姿だった。」


 草野の話を聞きながら、彩子の顔から少しずつ恐怖が消えていく様子が見てとれた。

「だから彩子には何もしないよ。」

 草野はそう言いながら、彩子の顔と全身に目をやった。胸元が大きく開いた派手なドレス、一目でキャバ嬢だと分かるパーマと濃い化粧。男の目を惹くように作り込まれた容姿に、草野は微かな興奮を覚えた。

「次はこいつだ…」

 まずは彩子の警戒を解くことに集中し、次なる復讐の地ならしをする。草野の言葉を信じて少しずつ警戒心を解いていく彩子と、その駆け引きに楽しみすら感じる草野。少しずつ次の一歩を踏み出していることに、草野は自信を深めていた。


「仕事が終わったら、二人で食事にでも行かない?安心してもらいたいし、たまには店の外でお酒を飲むのもいいだろう?」

「実はね、最近ビジネスがさらに大きくなってきて、君に協力してもらいたいと思ってるんだよ」

 草野からの思わぬ誘いに彩子はたじろいだ。

「え、本当に?私なんかでいいの?私、このお店以外で働いた経験なんてないのよ?」

 彩子は驚きながら言ったが、彩子は心の奥底では、同窓会で会った同級生のように夜の商売ではなく真っ当なホワイトカラーの仕事につきたいという思いを持つようになっていた。


 草野は彼女の戸惑いとホワイトカラーへの憧れを見透かしながら、追い打ちをかけるように微笑んだ。

「もちろんさ。昔のことはもう水に流して、これから一緒に成功を掴もうと思ってるんだ。むしろ、過去の俺を知っている彩子の方が、腹を割っていろいろ相談できると思うんだ」

 彩子は、自分の過去の免罪符を得たい気持ちと、新たな将来を切り拓きたいという気持ちから、草野の食事の誘いに応じた。だが、草野の狙いが「彩子を征服する」ことであることに、この時の彩子は気づくよしもなかった。


 彩子は勤務シフトを変更して早めに仕事を終えてロッカーで着替えて草野と店の前で合流し、近くの個室居酒屋に向かった。店の外を歩く彩子の服装はミニスカートとタンクトップで、露出度はキャバクラにいる時とさほど変わらない。

 二人が食事を終えるころ、彩子の警戒心はだいぶ溶けたようで、彩子は同窓会の前と変わらず、草野に話しかけるようになっていた。

「さすがに六連勤は辛いわね。何だか眠くなってきちゃった…」

 草野はその言葉に「よし、まずは一歩」とほくそ笑んでいた。彩子がトイレに立った際に、微量の睡眠薬をコーヒーに溶かしていたのだ。

「何だか無理させちゃったね。俺が送っていくよ。タクシー乗り場が近くにあって良かったよ。」

 草野が彩子の腕を取って店を出る頃には、彩子の意識はもう飛んでいた。そして夜の街の小道を一本、さらに奥に入っていった。


 その先にあるのはホテル街だ。地元で育った人であれば誰でも知っている一角だ。壮絶ないじめを受けて人付き合いをほとんど絶ってきた草野にとって、この一角は一生縁がないものだろうと思っていた。実際草野には女性経験がない。だが草野がタクヤたちを恨む時、いつも心のどこかで「お前らさえいなければ、俺だって普通の恋愛の一つや二つできたかもしれないんだ。お前らが俺の全てをぶち壊しにしたんだ」と思っていた。

 草野はいま、過去に一度もなかった恋愛という未知なる経験の捌け口を、彩子に向けようとしていた。

「お前が目を覚ました時、お前は俺の言いなりになる。」

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