半年後

【三月二日】


 卒業式というのは、どうしてかくも美しいのだろう。きっと、別れが儚いからだ。人が死ぬ物語で感動するのと同じロジックだと思う。

 冬の寒さも開け初めて、春の息吹がぽつりぽつりと感じられるようになってきた。学校の近くの梅はもう見頃だそうだ。

 春は別れの季節。三年生は、今日という日をもってこの学校を旅立つ。それは、文芸部の先輩も例外ではない。


 一年生は卒業式に出席する義務はない。学校はある日なのに、休み。なんとも不思議な日だ。しかし今日の僕に家に引き籠るという選択肢は無かった。卒業式が終わるまで暇だから部室でのんびりと本を読む。

 もう半刻もすれば卒業式は終わる。そうなれば、先輩達はこの学校の生徒ではなくなるのだ。厳密に言えば三月中は高校生かもしれないが、もう学校に来る事は無いのだろう。廊下ですれ違って会釈をする関係すら、終わってしまうのだ。


「そろそろ準備するよ!」


 しんみりとした静寂を切り裂いたのは、崎本先輩の後を継いだ部長の朝倉先輩だ。そう、我々文芸部には今から仕事がある。

 文芸部部誌『軌跡』卒業記念号。毎年卒業式のタイミングで刊行している部誌だ。もっとも、卒業生というよりも母親の皆さんからの人気が高いんだとか。校舎の出口付近に机を並べ、記念撮影の並び待ちの人々へ頒布するというのが習わしだそうだ。僕は一年生だから右も左も分からないわけだが。


「あと二十分もすれば怒涛の人波が押し寄せる。卒業生400名に加え、少なくともその両親で800名。祖父母なんかも加えると総勢1500名を超える大渋滞になるから、みんなの無事を祈るよ!」


 無事を祈るは大げさだが、確かに人が多いのは間違いない。気を引き締めなければ群衆に巻き込まれるのは確実だ。


「一組から出てくる。準備は良いね?」

「「「はい!」」」


 人の波が押し寄せて来た。確かに、かなりの人の量だ。

 しかしながら、朝倉先輩の的確なアドバイスもあり卒業生の波は上手く捌くことができた。200部ほどあった部誌も残りは50冊ほど。余れば一、二年にも頒布するから毎年多めに刷っている。

 あれだけ人でごった返していた校門付近も、徐々に人の密度が下がって来た。波がながらに泣き合っている人を見ると、本当に別れなんだと実感させられてくる。もう会えないかもしれないんだ。藤島先輩も、崎本先輩も。そう考えると胸の奥が熱い。文芸部という縦横の関わりが薄い部活でさえ、これだけ悲しいんだ。漫画で読んだ運動部の涙がよく分かる。


 まだ、藤島先輩と崎本先輩の姿を見ていない。このまま会えないんじゃないかって不安が胸に立ちこめる。恐れは暗雲となり、今にも心に大雨が降り出しそうだ。


「やってるね!」

「あっ、こんにちは」


 その声は――

 心に、光が差した。大空が、青く澄み切っていく。何よりも待ち望んだ、二人の声だった。


「先輩方、ご卒業おめでとうございます」

「ありがと。美幸、ちゃんと部長やれてる?」

「当たり前です!」

「そりゃよかった。それじゃ、二部もらってくね!」


 そう言って崎本先輩は、『軌跡』を二冊手に取る。そして制服の第二ボタンを無造作に引きちぎると、それを朝倉先輩に向かって放り投げた。


「やってること古くないっすか? 別に要らないんですけど」

「文芸部たるもの、ロマンチックにいかなくてどうするの。自己満だから受け取ってよ。こういうの憧れてたんだ~。それじゃあね!」

「はい、また今度!」


 笑顔でそう言った崎本先輩は、藤島先輩を肘でつつく。藤島先輩は気に食わなさそうな表情だ。


「菜奈はやらないの? これができるのは長い一生で今日だけなんだよ。嫌ってんなら無理強いはしないけどさ、後悔はないようにね」

「わ、私は……」

「えいっ!」


 崎本先輩は問答無用で藤島先輩の第二ボタンを引きちぎる。


「ほら。行きなよ」

「うう、崎本、こういうところよくないと思う」


 そう言って藤島先輩は歩みを進める。

 幽霊部員の藤島先輩が第二ボタンを渡したい相手は誰なのか。全部員が固唾をのんで見守る。その視線の行き先は――


「……自分ですか」

「はい」


 藤島先輩は、迷いのない目で僕を見て、そう言い切った。


「私は、人とあんまり関わってなかったんです。文芸部のみんなは優しくしてくれるけど、それは七星七海に対して。だから、藤島菜奈の後輩を強いて挙げるなら、山本さんだと思うんです。なのでその、迷惑じゃなければその、どうぞ、、、」

「ありがとうございます。嬉しいです。そして、ご卒業おめでとうございます」

「あっ、ありがとうございます」


 俯きながら、むずがゆそうにしている藤島先輩は、やっぱり藤島先輩だった。ちょっぴり人見知りで優しい、等身大の女子高生。天才作家七星七海の面影は無く、ただの藤島菜奈として立っている。そんな藤島先輩が妙に大きく見えた。


「文芸の方、自己満足できましたか?」

「はい。少なくとも自分は」

「それなら十分です。読ませていただきます」


 藤島先輩は優しく微笑む。


「私も、また書きます。どんな形になるかは分かりませんけど、お見せします。私の魂、前々から叫びたがってるので」

「待ってます。どれだけでも。ファンなので」

「嬉しいです。さて、ここらが潮時ですね」


 そう言って藤沢先輩は鞄を背中に担ぐ。


「私は、別れの言葉を好みません。一期一会なんて信じないので。縁があれば会えるし、縁がなければそれまでだと思うんです」

「いいですねそれ。ロマンチックで」

「ええ、私はロマンチストなんです。それでは、素敵な日々を」


 そう言って藤島先輩は軽く一礼すると、踵を返した。色んな感情を呑み込んで、一言だけを紡ぎ出す。


「ありがとうございます」


 遠ざかっていく藤島先輩の背中に深く礼をする。

 頭を上げると、先輩の姿は人波に飲まれて見えなくなっていた。


 柔らかい春風が、卒業生の背中を押すように玄関前を通り抜けた。机に置いたままの『軌跡』のページがパラパラと捲れる。開かれたのは、僕の小説だ。


 タイトルは――


『My Soul』

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