第2話 青い鱗のドラゴン

 失礼するよ、と声をかけて、彼の爪あたりに腰かける。

 変わらない、と答えるが、少しずつ弱っているように見えた。


「ねえ、そろそろ街の人と仲良くする気になったかい?」


 僕がここ最近毎日投げている問い。

 今日も彼は答えることなく、無言で目を閉じた。


 これは、否定。

 口数はそう多くなく、身振りが大きいわけでもないが……彼が何を考えているかは、ある程度わかった。


「大丈夫だよ。君は優しいし人を食べたりしない。大きくて、少し姿が違うだけじゃないか」


 だから、大丈夫だろう。

 ドラゴンだが、悪いドラゴンではない。

 そう、僕が皆に説明してやるというのに。


『そう思っているのは、こちらだけだ』


 彼はいつもこうして、諦めたように言うんだ。

 確かに人間という種は、少々排他的な面がある。

 同じを好み、異端を嫌う傾向があるらしい。


「そうかもしれないけどさ。僕が言ったら、皆わかってくれるよ」


 だけど僕には、そんな人達だとは思えなかった。


 彼は何も答えない。相変わらずクールな奴だ。


「……友人の話には、相槌を打つものだと思うな」


 わざと困ったような顔をして言う。


『……そうか』


 彼は暫くの間の後、ぽつりと言った。


「今、面倒だなって思っただろう? お見通しだよ」


『我は汝のことなど、全くわからぬがな』


「そう? わかりやすいってよく言われるんだけど」


 素っ気ない言葉に少し驚いた。

 魔女さん、今楽しいのー? あら、お疲れ? なんて、よく顔を見ただけで気分を言い当てられる。

 街の人曰く、僕は顔に出るからわかりやすいらしい。


『喜怒哀楽はな。考えがわからんのだ。汝は何故“仲良く”に拘る?』


「え?」


 感情の起伏はやはりわかりやすいらしい。

 少し納得いかないが、それより意外な質問が引っかかった。


『初めてここへ来た時もそうだっただろう』


 大きな緑色の瞳が、ゆっくりと開いた。

 じっと、探るように僕を見てくる。



 彼は去年の冬、寒い雪の日にこの山に降りてきた。

 どうしてかは僕も知らない。聞いても教えてくれないから。

 ドラゴンは人が相手をできる種ではないから、なんとかしてくれないか。

 そう頼まれて、僕はここで彼と出会った。


 危険だと言われたのに、彼は今と同じようにただ丸まっているだけ。

 怪我を負っていたし、あまり強そうには見えなかった。


 こんなところで何してるの、なんて声をかけて。

 少し話してみると、僕の思った通り彼は悪い奴じゃないとわかった。

 街に危害を与える危険があるため対処しに来たが……そうでないなら、どうにかする必要もないだろう。


 ――なら、話し相手になってよ。


 暫く滞在するという彼に、もうすっかり友人になったつもりで僕はそう言ったんだったか。 



『汝は群れで暮らす種でもないだろう』


「ああ、確かに。そうだね」


 少し前のことを思いだしていると、彼が更に問いかけてきた。

 彼から積極的に話すのはかなり珍しい。


「確かに本来は1人で生きるよ。だからこそ……拘っちゃうのかな」


『何故だ』


 抑揚の乏しい淡々とした声の中に、確かに僕への関心を感じた。

 嬉しくなって、つい笑ってしまう。

 少しくらい自分語りしてもいいかな、なんて思えた。


「……僕はずっと、人間が羨ましかったんだ」


 もう数えきれない程昔の話だが。

 この街に来る前――僕は少しだけ、彼らが羨ましかった。


『羨ましい?』


 “人間”という種は、不思議なやつらだった。

 僕達亜人とよく似た外見をしているが、中の作りがまるで違うのだろうか。

 体格も、恐らく知的能力も僕達とあまり変わらない癖に……驚くほど弱いのだ。


 魔力を視認することすらできず、魔法が使えない。

 かといって体力が抜群にあるわけでもなく、100年もしないうちに老いて死ぬ。


 その弱さを補うためか、人間は群れをつくる生き物であるらしい。

 何人もの人が寄り集まり、同じ場所に家を建て、協力しながら暮らす。


「うん。僕は数えきれないくらいずっと、独りぼっちだったから」


 僕達は人間とは逆で、群れを作らない生き物だ。

 同じ種であるからといって、行動を共にしたりはしない。


「この杖は魔法を使うために必須で、身体の一部みたいなものだって言っただろう?」


 僕の種族では、子は生まれた時に親から杖を贈られる。一生に1つの、自分だけの杖。

 数年で体内の魔力器官と同期し、杖を媒介とすることで、魔法が使えるようになるのだ。

 杖が定着するまでの間に、一般常識やら魔法の使い方やらを教わって……魔法が使えるようになった時には一人前。


「両親は僕がこの杖を扱えるようになった翌日、どこかに行ってしまったんだ。それからずーっと会ってない」


 育児放棄なんかじゃなくて、そういうものなんだけど。

 当然、受け入れるもののはずなんだけど。


「それが、すごく寂しかったんだ」


 僕はどこかがおかしいらしい。

 寂しくて寂しくて、仕方がなかった。


「でも人間は、街を作って皆一緒に暮らしてるだろう?」


 人間のことも、親から教わった。

 群れで暮らす弱い生き物だと。排他的で異端を嫌うから、近づいてはならないと。


 学んだ通りちゃんと近づかないようにしていた。

 けれど時々、人間の街が見える場所を通ることがあって――。


「遠くから見るだけでも、温かいってわかって……本当に、羨ましかったんだ」


『それで、仲間に入れろと頼んだわけか』


「ううん。そんなことできるわけないじゃないか」


 魔力を扱え何百年も生きられることは、彼らにとって“恐怖”の対象であるだろう。

 僕もわかっていたから、どれだけ輝いて見えても、決して近づかなかった。


『ならばどうして今、人間の群れと暮らしている?』


「ここに住む前は、適当に旅をしていたんだけど……道に迷って、街のすぐ傍まで行ってしまったことがあって」


 怖がらせているかもしれない、何を言われるかわからない。

 早く遠くへ行かないと。

 ……そう、思っていたけど。


「そしたら人間の子供に見つかって、『お姉さん迷子なの?』なんて聞かれちゃって」


 その子の親が来て、他の人も集まってきて……。


「あれよあれよという間に、街の中へ……」


『逃げないということは、満更でもなかったのか』


「そこには触れないでくれ」


 何も言わずに、走って逃げればよかったかもしれない。

 なのに僕はそうできなくて、ついていってしまった。


「『僕、君達が魔女って言ってる種族なんですけど……』って、説明したんだけどね」


 これで魔法が使えるんだ。と杖を見せたり。

 人間と変わらないように見えるけど、耳が尖ってるんだ。と髪をかき分けて見せたり。

 すると人間達はきょとんとしたように目を瞬いて……大きな声で笑ったんだ。


「皆、優しかったよ。僕が異種族とか全然気にしなかった。住むとこがないならここに住めばいいよ! なんて言い出してさー」


『それから今まで、ずっとここにいるわけか』


 うん、という短い返事が弾んだ。

 こういう所もわかりやすいと言われる一因なのだろうか。


「皆すぐ死んじゃうから、顔ぶれはかなり変わったけど……世代が変わっても変わらず、僕と仲良くしてくれるんだよ」


『よかったな』


「うん、嬉しい!」


 自然と笑顔になる僕を見て、彼は大きな目を細めた。

 なんとなく、今も僕に父親がいたらこんな感じかな。と思った。


「僕の話なんて聞いても、おもしろくなかっただろう?」


『どうだろうな』


「はっきりしないなぁ」


 ぐっと身体を伸ばして、彼に身を預けるように寝転がる。

 分厚い鱗の奥に、微かな温かさを感じた。

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