魔女とドラゴン

天井 萌花

第1話 青い目の魔女

 キィ……と音を立てて、古びた木製のドアを開ける。

 室内に入って来た夏の匂いと入れ違いに、僕は小さな家を出た。


 もうすっかり夏だな、なんて思いながら、風の吹く街を見下ろす。

 こんな小さな丘からでも見渡せてしまうくらい小さな、温もりに溢れた場所。

 ついこの間、白かったそこに彩が見え始めたと思ったら、もう青く染まり始めていた。

 時の流れは僕の歩調に反して早く、また何度目かの一番好きな季節がやってきたらしい。


 大きな帽子を抑えて、杖を片手にてくてくと丘を下る。

 今日の薫風は強く、抑えていないと帽子がさらわれてしまいそうだった。


 丘を下ったら、今度は街の中心の大通りを歩いて行く。

 上がり始めた気温に負けず、大人達が店を開き子供達が楽しそうに駆けまわっていた。


 賑わう様子を見ているだけで、自然と笑みが浮かんでしまう。

 今日も僕の大好きな人達は、いつも通り元気なようだ。


 ――ふわり。


 風に乗って、夏色のスカーフが飛んできた。

 かなり薄手で遥か遠くまでいってしまいそうだ。


 僕は大きな杖を持ち直して、スカーフの方へ向ける。


「よっ……と……!」


 狙いを定めてさっと杖を振ると、先からスカーフまで――魔力の糸が繋がった。

 キラキラとした金色の粒子の流れが、スカーフに絡みつく。

 軽く杖を揺らすと、糸が巻き上がるように短くなり、スカーフが僕の手に収まった。


「あ、魔女さん! ごめんなさいー!」


 持ち主を探すまでもなく、夏色のワンピースの少女が駆けてくる。

 家出を計画していたスカーフは、どうやらあの子のものらしい。


 目の前までやって来た少女に屈んで目線を合わせた。

 それから小さな手を取って、しっかりとスカーフを握らせる。


「はい。今日は風が強いから、気をつけるといいよ」


「ありがとう!」


 ぎゅっと両手でスカーフを握って、少女はにこりと笑う。

 三つ編みに結った柔らかい栗色の髪を、そっと撫でてやった。

 笑顔がますます嬉しそうに綻んで、心の温度が気温に引っ張られた気がした。


「魔女さん、今日もお山に行くの?」


 嬉しそうにはにかんでいた少女が、今度は心配そうな顔になって聞いてくる。

 優しい少女を安心させるべく、なるべく柔らかい声で答える。


「ああ。それが仕事だから」


 僕はほぼ毎日、とある仕事で山を登っている。

 それを少女も知っていて、危険な事だと思っているから、こんな顔をするらしい。

 ――実態は危険でもなんでもないのだが。


「……そっか、頑張ってね!」


 僕に否定してほしかったのか、少女の顔は曇っている。

 僕を困らせないために、無理矢理明るい調子で言っているのだろう。


「優しいね、ありがと。」


 ひらひらと手を振って健気で強い少女と別れる。

 少女が駆けて行くのを見守ってから、止まった足を動かした。


 僕は長いことこの街に住んでいるけど、皆のように決まった仕事はしていない。

 さっきの通り街で唯一魔法が使えるから、魔法が必要なこと、皆にはできないことを手伝っている。


 毎日違ったことができて、意外と楽しかったりする。

 ここ半年はずっと同じことをしているが。


「魔女ちゃんー、今日も頼んだよ!」


 八百屋の前を通ると、店主が声をかけてきた。

 はきはきとした大きな声は、遠くからでも良く聞こえそうだ。


「おはよ。帰り寄るから、いい野菜用意しておいてね」


 歩を止めないまま手を振って、そのまま真っ直ぐに進んでいく。

「任せて!」という声に背中を押されて、少し足取りが軽くなった。


「魔女さーん、気をつけてね?」


「魔女さん、いってらっしゃい!」


「今日も頑張ってね! 魔女ちゃん」


 誰かとすれ違う度、こうして激励を受ける。

 特別なことをするわけでもないのに、いつも決まって僕を応援してくれる。

 毎日毎日、皆大袈裟だ。


 でもその大袈裟さは優しさの塊だと、ちゃんとわかっている。

 この街の人は昔から、皆優しさの塊を持っていて――惜しむこともなく、誰かにあげられる人ばかりだった。


「あ、魔女殿! 奴のところに行かれるのですか?」


「ああ。頼んできたのは君達だろう?」


 街を出て、さあ山を登ろうかというタイミングで、数人の騎士が話しかけてきた。


 こんな小さな街でも、騎士団はある。

 山や森からやってくる魔獣などから街を守っているのだ。


 この街の周辺は安全だが、稀に遠くから魔獣が移動してくることがある。

 それらを追い払う、または討伐するのが彼らの役目なのだが――。


「いつも申し訳ない。我々の仕事だというのに……」


 この山に住み着いた者は、彼らの手には負えないらしかった。


「いいよ。僕、この街好きなんだ」


 この小さくて、住人みんなが温かい街が、僕は大好きだ。

 もう何十年と住まわせて貰っていて、顔ぶれもかなり変わっている。

 それでも、ぽかぽかとした街の空気は変わらなかった。

 この心地よい温もりを守りたいと思うのは、当然のことだろう。


「だから僕にできることがあれば、どんどん頼ってほしい」


 僕がそう言うと、騎士は感動したように目を丸くする。


「ありがとうございます、心優しき魔女殿!」


「やめてくれ。彼はそんなに強くないし、弱ってる。大変な仕事じゃないから」


 何度目かの話なのに、騎士はいつもこうして大袈裟な反応を取る。


 じゃあ、行ってきます、と言って、騎士に別れを告げる。

 ひらひらと手を振ってから、山に足を踏み入れた。


 皆が言うように、僕は“魔女”。小さな街の見下ろせる、小さな丘に住んでいる。

 街の人からは、昔から“心優しき魔女”なんて言われている――限りなく人に近い、人でない者。


 人間と比べればかなり長く生きられるし、生まれた時に授かった杖さえあれば、魔法が使える。


 それが僕。


 今はその力を生かして、騎士の手に負えなかった『とある問題』を肩代わりしている。

 彼らにはどうにもできない、けれどどうにかしなければいけない問題。

 だから、僕が助けてやっているのだ。


 ――まあ、それは彼らの認識の話で。

 本当はちょっと、違うのだけれど。




 山のてっぺん近くまで登ると、草むらの間から――ざらざらとした固い夏色が見えた。

 更に進むと、それはほんの先だけの姿で、夏色の物体は建物のように大きな生物だとわかる。

 顔に当たる部分の前で口を開く。


「……や。元気してたかい?」


 片手を上げて声をかけると、すぐ傍で深い緑色の大きな目が開いた。


『変わらぬ』


 緑色に浮かぶ瞳孔は縦に大きく開いていて、威圧的。

 大きすぎる体を青い鱗でおおった、翼を畳んで寝ている生物。


 彼は“とある問題”の正体であり、僕の友達。

 僕と同じく、人でない者――ドラゴンだ。

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