第6話 未知との再開
「——ッァ‼︎ 」
思わず絶叫をあげた、と思った。ところが引き絞ったはずの喉の筋肉は、硬直したように動かなかった。
あうあうと声の出ない口を金魚のように動かす。
「声でねェだろ? 体だって動かねェはずだぜ」
「——⁉︎ ——!——! 」
「まぁ待て。落ち着けや。何もこのままてめェを食おうって訳じゃねェ。てめェが叫ぶのをやめよーとしたらまた喋れるようにしてやる。分かったな、くそガキ。ほら深呼吸だ。いっちに、いっちに」
役に立たない喉に代わってやろうとばかりに首元の口がべらべらと喋る。体こそ動かないが、喉にかなりの大きさの穴が空いてるはずだというのに痛くもない。違和感もなかった。
今まで偶然服に隠れてた? いや位置的に考えにくい。
それに野生的な勘のいいヒバリさんがさっき話している時に気づかなかったというのも妙な話だ。今の今までこんな口は無かった。
「落ち着いたみてェだな」
「—— ふぅー。! 声が…… 」
叫ぶのをやめようと思った瞬間、喉の硬直が解けた。まるで心でも読まれたみたいだ。
「……お前は俺の妄想なのか? 」
もしそうなら我ながら妙な状況だ。でもそうじゃないのはなんとなく察していた。
「いんやぁ。てめェの妄想好きはよぉく知ってるが、俺様はそうじゃない。紛れもない
「なら……お前は猪狩なのか? 」
現状一番可能性の高い仮説。あの映像で猪狩が人ならざる化け物なのは分かっている。人間の体に現れる口なんて超常現象はアイツ絡みとしか考えられない。
「それも違う。あれは俺の元の宿主。猪狩は死んだ。第一殺したのはてめェだろうが」
呆れたように口が喚く。宿主? いやそれ以前に、その言い方じゃまるであの夢が現実だったように——
「夢? てめェアレが夢だと思ってんのか⁉︎ 都合よく考えすぎだとは思わなかったのか? 現実だよ全部」
「ッ⁉︎ なんで」
「なんで考えてる事が分かったのか? ギャハハッ! いいぜ教えてやるよ。てめェは数時間前に猪狩に勝った後、失血死してる。その体を俺様が、俺様の細胞を使って復元してやったんだ。てめェの体も、思考も、もう俺様んもんなんだよ‼︎ 」
腕が痙攣しだす。次の瞬間、ばね仕掛けのおもちゃのように跳ね上がった拳は、俺自身の左頬を捉えた。
「ガハッ! 」
「どうだ? これで分かったろ。てめェの体は俺様のもんなんだ。意識を奪わなかっただけ感謝するんだな」
チカチカと視界で星が瞬く。俺の体の痛みやダメージはコイツに反映されないのか。本当にクソ仕様も良いところだ。猪狩もこうやって体を乗っ取られただけだったのか? だとしたら悲劇としか言いようがない。
「ゲホッ、ケホ」
この怪物……バブルが一体どんな生物で、どんな理屈で俺の体に入り込めたのか。猪狩のように俺の体もいずれ変異するのか。例え俺の体の欠けた血液をコイツの細胞で埋めたとして、じゃあサナが生きていたのはなぜなのか。
聞きたいことは山ほどある。だからこのままじゃダメだ。
「よぉく聞けよ辰波翠。明日からてめェは俺様のために動いてもらう。妙なことしやがったり、俺様に従わねェなら脳みそぶっ壊して廃人にして体だけ貰う。諦め」
「見え見えのハッタリ使うんだな」
「あぁ⁉︎ 」
「俺を廃人にして良いなら初めからやってるだろ。さっきの言い方的に俺の記憶も見られるみたいだしな」
バブルが他の生物に寄生する線虫みたいな生物だとして、単に宿主にするだけならさっさと自我なんて壊した方が楽だ。もしくは、こんな堂々と姿を表さずに俺を必要な時だけ操っておけば良い。
だがコイツはわざわざ俺に自我を残した上で、俺が1人になる状況になってから姿を現した。それに屋上での発言からして前の宿主の猪狩も自我を壊されてはいなかった。
「
頬を冷や汗が伝う。フリと言ったが、コイツの隠してるなんらかの事情を考慮しなければ、命を握られているのは事実だ。
思考が筒抜けの状態で舌戦での勝利も不可能だろう。だから俺の目的は、俺の本心を伝える事にある。
「どうした? 急に静かになったな」
「……てめェ、俺様と取引しようってのか」
来た!
「また心を読んだのか。プライバシーぐらい理解してほしいな」
「黙れ。もう少し脳内を整理しろ。読みにくい。……なるほどな。要するに生活に補填不可能な支障が生じない分には俺様の要求を飲む。代わりに俺様に、『家族に手を出さない事』『周囲の人間に手を出さない事』『辰波翠の自我を決して奪わない事』『身体を乗っ取る際には辰波翠との合意を必要とする』の5つを要求する、か」
俺が心の中に浮かべた、文字通り念書を要約してツラツラとバブルが唱える。
「却下だ」
「ガボッ⁉︎ 」
両腕が蛇のように鋭く動き、俺自身の首を爪がめり込むほど強く締め上げる。
「人間風情が。何が取引だ馬鹿らしい。確かに俺様としちゃァ都合上てめェを殺したかねェ。だがそれだけだ。面倒だが、代わりはいる。交渉決裂だ」
「……かはっ! ゲホッ。じょ、状況をよく見ろ馬鹿! お前はさっき俺にボコボコにされてる。その俺を瞬殺できる人間が、壁数枚挟んだ先にいるんだ」
「あのヒバリとかいう女か。ヒヒッ。言っとくが俺単体は
「生憎」
突然、バブルの口元が歪む。
「うちの親はマトモじゃない」
焼けた血の匂い。泣き叫ぶカナタの声。震える両手。渦を巻く恐怖。安堵。親愛。
他人からすると《《少しショッキングであろう思い出》で思考を満たす。言葉を介す必要がないからこそ記憶の衝撃を直接叩きつけられる。
「……クソッ。クソッ! 久々に強力な心象者を見つけと思えばこれかよ。なんなんだてめェらはァ‼︎ 」
不恰好な口が喚き散らす。指先の力が緩む。
この場に他に誰かいたら、勝手に苛立ったり悩んだりを繰り返すバブルに、何が起きているのか分からず困惑するだろう。当事者の俺ですら、コイツが何をどこまで読み取ってどう考えているのかは分からない。
だが、少なくとも分かっただろう。ヒバリさんに自分が決して勝ちえ無いことだけは。
「っあ⁉︎ 」
電気が走るような衝撃を合図に左腕が窓を開き、無理矢理体を外へと引き摺り出そうとする。辛うじて感覚の残った右足を伸ばしてベットの枠に引っかける。
足を操るためにか右足の筋肉に根が張るように網状の痛みが広がっていく。
だが右足から感覚が抜けると同時に、窓枠を持っていた左腕に感覚が戻った。
壁を突き放し、部屋の中へと転がる。
「チィッ」
「全部……が! 全部! お前の細胞になった訳じゃ無いみたいだな! 抵抗できる! 」
さっきからコイツが俺を無理矢理動かす度に、最低でも四肢の一つは自由になってる。
これがコイツの限界か。さっきの全身金縛りから考えるに、動かさず筋肉を硬直させるだけなら全身でも出来るってところみたいだな。
「もう分かるだろ。逃走もできない。お前の目的が何か知らないが、今の状況で俺の契約を飲まないのはお前にとってリスクでしか無いって事ぐらい」
しばし張り詰めた静寂が部屋を圧迫する。
「お前が逃げようとしたり、俺を殺そうとしたら俺は直ぐに叫んでヒバリさんを呼ぶ」
「てめェの脳みそスムージーにしてやんよ。叫ぶ間も与えねェ」
「試してみるのもいいかもな。でも万が一俺の声が間に合ったらお前はきっと殺される。そのリスクを背負ってまで、俺との協力は拒むものなのか? 俺は、さっきの約束さえ守ってもらえればお前の要求を飲むって言ってるんだぞ? 」
どく、どく、と心臓が送り出す。俺と怪物の血を全身に。
2つの生物は完全な1つになっている。もう分かりきってる。いくらナイフを突きつけあっても、共存以外の道はない。
「頼む。俺と、お前の利益のためだ。
「……クソッ。こんな屈辱を受ける目になるとはなァ」
奪われていた自由が体に帰ってくる。
「いーぜ。てめェの提案。寛大で冷静で理知的な俺様は受け入れてやる。ただし、ある程度じゃダメだ。『俺様の要求は決して断るな』。その代わり、俺様の目的が達成出来たらてめェの体から離れてやる。それまでてめェは俺様の下僕だ。分かったな」
「……分かった。ただ、俺からも。お前が万が一にも裏切らないように」
「あーもう脳は見た。いいぜそれぐらいは認めてやる。んな事しなくても、もう俺様は裏切る気なんざァねェがな」
もう随分と冷静になったのかバブルは至極上機嫌そうに言う。結果的にコイツは好きなだけ協力する体が手に入った上に、不都合だった俺の破壊を避けられたことになる。
この一連すら怪物の掌の上の可能性が頭をよぎるが、杞憂であることを祈って見ないふりをした。
「痛っ」
一瞬、首元に小骨の刺さったような刺激を感じる。見ると、バブルの口が俺の体の中へとめり込みはじめていた。
間も無く、そこには初めから何もなかったのかのように喉元の口はその姿を消した。
部屋を出てヒバリさんの部屋に向かう。ノックすると白いイヤホンを付けたヒバリさんが出てきた。
体からはほんのりと科学的な甘い香りがする。ヒバリさんの好きな銘柄のタバコの匂いだ。
「どうしたスイ。悪夢でも見ちまったか? 」
「ヒバリさん。突然で意味が分からないと思うけど、理由を聞かずに頼みを引き受けて欲しい」
眠たげだったヒバリさんの瞳に鋭い光が差す。何かただならぬ事態な事は察したようだ。
その場で適当なメールアドレスを作り、ヒバリさんのスマホにアドレスを転送する。
「今日から俺がこのアドレスから何かをヒバリさんに送る事があったら……多分その時俺はピンチなんだ。だから」
「その時は助けてくれって事か。なにが起きた? 」
「それは…… 」
「あー分かった。もういい。よく分からないが、詳しい理由は言えないんだな? 」
ヒバリさんがガリガリと頭を掻く。
「……あぁ」
「この短時間で何があったら……。いや、いい。お前は勉強以外には妙に頭がキレる。から、私はお前の行動が一体何を意味してるのかとか、何があったのかとかは聞かない。きっとその方が良いんだろ」
ふと夕食の後のヒバリさんの言葉を思い出す。こんな短時間でヒバリさんの言いつけを破るなんて。俺は本当親不孝者も良いところだろう。
「その代わりに、お前が恐れてるそのナニカが起こったら、躊躇わず私に連絡しろ。絶対に余計なことは考えるな。血の繋がりはなくても、私たちはいつだって家族だ」
「分かった。ありがとう」
俺の返事を聞いたヒバリさんは満足そうに微笑むと、さっきよりももっと優しく頭を撫でてくれた。
「じゃあおやすみ」
「ああ。忘れるなよ、スイ。私はいつだって全力でお前に味方する」
ヒバリさんは扉を静かに閉めた。
部屋に戻り再びベットに横たわる。作ったばかりのアドレスからのワンタッチコールをスマホで設定する。
緊張の系に繰られていた体から力が抜けていく。
最善には持ち込んだ。これで万が一のバブルの裏切りにも対応できるようになった。
バブルの要求に万が一応えられなかったとしても、バブルが暴走して俺の周囲に危害が加えられる事はない。
「だからって手ェ抜くんじゃねェぞ? 俺様が満足しなきゃ、てめェが死ぬのは確実なんだからなァ」
バブルの口が、今度は右手の甲を開いて現れる。
「それに、あの女が来るまでの時間暴れるぐらいは出来る。何にせよ逆らわないのが吉だぜ」
「口の位置動かせるのか。便利だな。それと当然だが手抜きなんてしないさ。お前の言う通り俺だって死にたくない」
「なら文句はねェ。いや、無くはねェな。てめェ、俺様の名前をバブルだと思ってやがんだろ」
「自分で言ったろ」
「達ッつッたろ。バブルは種名。個体名は別にあんだよ」
内心で戦慄する。生き物な以上当たり前のことではあるが、バブルのような怪物は他にもいるのか。
「だからバブルじゃねェッてんだろッ! 」
「……独り言ぐらい良いだろが」
つくづく面倒な体になったな。
「俺様の名前はアルゴだ」
「そっか。それじゃ、今日からよろしくなアルゴ」
おざなりな返事を返して目を瞑る。もう疲れた。
ともかく今は眠りたい。
「オイッ。なんだァ俺様の名前に感想はねェのかァ。カッコいいだろ。羨ましいだろ。誰にも負けねェ世界最強の…… 」
アルゴの声が砕けて部屋中に散らばっていく。
邪魔くさい。産毛を撫でられ続けているような不快感が、眠り落ちようとする頭を混沌に絡める。
違うアルゴの声じゃない。違和感の種は死角から芽吹いていた。別に何かある。あぁ、分かった。
そういえば、帰ってきてから随分と妄想が静かだ。
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