第5話 ハングリーデイズ

「俺一応握力とか200kgぐらいあるはずなんだがなぁ」

「がらららら……ぺっ。ヒバリさんに敵わないなんて今に始まったことじゃ無いでしょ? 」


 洗面台で手を洗う俺の横で、歯磨きを終えたカナタが口を濯いだ。


「そうだけどよ。あの人流石に化け物がすぎないか? 」


 手の中で膨らむ泡のように愚痴がぷくぷくと口をついてでてくる。カナタは宥めるように笑顔を浮かべた。

 蛇口を思いっきりひねり、不満もろとも泡を洗い流す。

 勢いよく飛び出した水が洗面台の上を暴れる。慌てて蛇口を締めるが、水飛沫の一部がカナタの恐竜全身パジャマに跳ねてしまった。


「あ、わ、悪いカナタ」

「まったく。気をつけてよね兄さん。まぁ、今日のはスピノサウルスだから良いけど」


 そう言ってカナタは寧ろ返って上機嫌に胸元の生地をさすった。長年かけてカナタに刷り込まれてきた恐竜雑学が反応する。


「水中に住んでた恐竜だったっけか? 魚とか食べてたっていう」

「そう! 背中には巨大な帆が付いてて、その理由はまだハッキリとしてないんだけど、僕そこが凄くカッコいいと思うんだ! 見てよこの背中の刺繍! これはその帆をイメージしてて」

「ごーーはーーんーだぞー! 」


 がんらがんらとヒバリさんの声が廊下を駆ける。


「やべ、行かないと。じゃあおやすみ」

「うん。おやすみ兄さん」

 

 カナタの日課との関係もあるので足早にリビングへ向かう。リビングのテーブルには、湯気を立てるシチューと数切れのフランスパン。ベビーリーフにパプリカが彩りを与えるサラダが並べられていた。

 向かって右奥の席には、ビール缶片手に晩酌を楽しむヒバリさんの姿がある。その手元には小さな盛り塩の乗った小皿が置かれていた。

 

「肴が塩って缶ビールでもあるんだな。清酒のイメージがあったけど」

「私も歳だからな。この美貌の維持には節制が必要なんだ」


 そう嘯くと、ヒバリさんは少し缶ビールを煽った。確かにヒバリさんの見た目は若い。

 間も無く40代に差し掛かろうというのに、その肌ツヤは20代と言っても疑われなそうだ。


 それ以前に顔立ちが整っていることや、可愛い、というよりクールやダウナーといった言葉の似合う系統の美形である事が年齢相応の雰囲気と相まってその外見を際立たせている。

 だがその美貌を作っているのが決してバランスの取れた食事や規則正しいライフスタイルなどで無いことはよーく知ってる。


「とても先週ラージサイズチーズピザで酒盛りしてた人の発言とは思えない」

「だから節制なんだよ」

「じゃあ先にその糖質の塊ビール飲むのやめた方がいいと思うけどな」

「アハハハ。鎮痛剤モルヒネ無しで戦える程現代社会は甘く無いぞ若者よ」


 笑いながらヒバリさんがビール缶をあける。空になった缶は既に5、6個ヒバリさんの隣に並べられている。

 ともかくこの人は食っても太らない、歳をとっても衰えない。人間離した身体能力をもつ俺だって組み伏せてくる。鉄人というに相応しい人なわけである。

 実はヒバリさんは悠久を生きる吸血鬼で……まずいまずい。また妄想が。


「いただきます」


 疲れた体に温かいシチューが染み渡る。

 今日は火曜日だからカナタに感謝だな。


「それで、結局今日は何やってきたんだ? 」


 ヒバリさんがニヤニヤしながら言う。どうやら塩だけでは足らなかった分の肴に俺の話を使うつもりらしい。

 

「それは」

「待った! やっぱり私が当てよう。そうだなぁ……話の発端はサナちゃんだろ? 」


 遅くなった原因はサナだけど、学校をサボろうって言い出したのは俺だから微妙なラインだな。


「違くは無いけど合ってもない」

「おっ、珍しい。それじゃあ……行き先は屋内か? 」

「いや」

「屋外か」

「ああ」

「秘密基地を作ってきたとか」

「俺幾つだと思ってるんだよ」

「サナちゃんならやりそうだろ? 」


 考えるヒバリさんの目がぼんやりとしてくる。どうやら酔いが回ってきて昼間の疲れが出始めているようだ。

 ヒバリさんが唐突に机に突っ伏す。


「だーめだ分からない。降参だ。正解を教えてくれ。今日はどこに行って何をしてきたんだ? 」

「……ま、町外れでツチノコ探し」

「は? 」

「じゃ、じゃあ俺もう寝るから。ごちそうさま! 」


 ほろ酔い状態になったヒバリさんなら誤魔化せると踏んで、嘘では無いが正確では無い情報でその場を切り上げる。だが警察官プロを誤魔化すのは無理があったようだ。


「スイ。何を私に隠してるんだ? 」


 食器を戻して部屋に戻ろうとすると目の前にヒバリさんが立ち塞がった。


「法律に触れたか? 」

「触れては……無いと思う」

「グレーゾーンってことか。まぁ華の高校生なんだし、お前は強い。法の境界線歩くぐらいなら私は別に咎めない」


 だが、と前置いてヒバリさんが俺の頭の上に優しく手を乗せる。


警察こっち側に深入りするような事には関わるなよ。日本は素晴らしき法治国家なんだ。お前たちは整備された平穏な日常に居るべきだ。そのために警官わたしたちが居るわけだしな」

「……分かった」

「うん、素直でよろしい」


 ヒバリさんがわしゃわしゃと髪を掻き乱す。高校生にもなって、とは思うが、悪い気分ではなかった。

 リビングを出て自室に戻ろうとすると俺の部屋の隣。カナタの部屋から話し声が聞こえてきた。


「相変わらず仲が良いんだな」


 カナタは中学に入り携帯を買い与えられてから、毎日このぐらいの時間によく誰かと話している。

 本人曰く相手は中学校の友達らしいが、いつもドア越しにうっすらと聞こえてくるのは同じ女性の声だ。

 もしかしたら、と思わなくもないが変にズケズケと聞くのも悪いだろうし俺とヒバリさんは今の所静観するに止めている。


「ふぅ。疲れたな」


 部屋に入りベットに体を思いっきり預ける。柔らかなシーツがふんわりと体を抱きしめる。

気分はまるで一冒険終えた後だ。それでいて実際はただ学校を早退して街をほっつき歩いて昼寝して帰ってきただけというのがなんとも切ない。


 それもこれもあの変な夢のせいだ。

 未だにあの怪物の生々しい存在感とサナの血の匂いが脳裏に張り付いて離れない。

 そしてなにより。


「あーやばい妄想が押さえきれねぇ」


 ひび割れてしまったスマホを取り出して小説投稿アプリを開く。少し開いていなかった間に随分と通知が溜まっていた。運営からの通達と作品の評価通知、何件かの感想が届いている。


『イスさんの作品はどれも不気味な雰囲気が凄く好きなんですけど、この作品は特に群を抜いて好きです! 凄く気持ち悪い(いい意味で)! いつも投稿ありがとうございます! 』

『箸人形というアイデアの斬新さに惹かれました。イスさんの世界観は本当に唯一無二かつ斬新なものが多く、読むと新しい臓器か感覚器官でも手に入れたかのような気分になれます。これから執筆頑張ってください。』


 満更でもない気分で感想にゆっくりと目を通す。


「『6/13』結構伸びてるな」


 届いた感想をスクロールしながら、自分の妄想を読んで喜んでくれる人間が世の中にこれだけいる事に不思議な感慨を覚える。


 小説投稿アプリ『ミルカク』を始めたのは半年ほど前のことだった。高校入学直前の変化が刺激となりそれまで以上に妄想が止まらなくなった時期があった。

 あまりに一日のうちに我を失う時間が多かったために、高校には最初のうち暫く登校すらできないでいた。

 そんな時カナタに勧められて始めたのが『ミルカク』だった。


 ここでは猫もしゃくじも小説家。俺も短編SF作家『イス』として不定期に作品の投稿を続けている。

 煌々と痛いほどの発光を放つ新規公開の画面を開く。

 そこに頭に浮かんでいく文字を、休む事なく叩き込む。マグマのように噴き出る高揚を、怒りを、恐怖を、喜びを、登場人物や風景に代弁させ頭の中から一つの世界を追い出す。

 妄想が溜まり過ぎたら吐き出して仕舞えばいい。


 指が動きを止める頃には、頭を内側から圧迫していたあの夢や猪狩の存在は、単なる情報として授業の風景やいつもの街並みと共に、2度と開かれることのない記憶の戸棚に押し込まれていた。


「いい加減日付じゃなくてちゃんと題名とかつけた方がいいのか……? 」


 怠惰の悪魔とやる気の天使の戦いは2秒足らずで決着がついた。味気のない『7/20』という題名をつけて、小説をネットの海に放り投げる。

 途端に瞼が重くなる。


 リモコンで部屋の電気を消す。そのまましばらくネットの海をふわふわと漂った。30分ほどしてからスマホの電源を落とそうとすると、直前で『ミルカク』に通知が届いた。

 それは、俺の小説を最初期の方から読んでくれている電電虫さんからの感想だった。


「もう読んでくれたのか」


『お久しぶりですイスさん。今回も凄く面白かったです! 街に巣食う怪物のSFサスペンスは幾つか読んできましたが、これが群を抜いてリアリティがありました。

 ところで、イスさんの作品はどれもすごく綺麗にまとまった短編ですよね。でも今回のはいい意味で不完全さがあると言うか、もっとこの世界の先を見たくなるような作品でした。差し出がましい提案かもしれませんが、この作品には連載の形態を取らせてみるのは如何でしょうか? まぁ本音を言ってしまえば私がこの作品の続きを読みたいだけなところも大きいのですが……w あくまで一つの方針として考えていただければ幸いですXD」


 いつもより少し長めな感想に目を通してから今度こそ電源を落としてスマホを枕元に置く。


「連載かぁ」


 考えたことがなかった訳じゃない。でも俺にとって小説は我慢できなくなった情報で作るものだったから、自発的にアイデアを考えて小説が書けるか不安だったので書いてはこなかった。

 

「でも一回ぐらい試してはみたいんだよなぁー」


 今回の短編に出した猪狩をモチーフにした怪物には名前をつけなかったが、流石に連載となるとあった方がいいよな。そういえば夢の中だと何か猪狩が言ってた気がする。確か……。


「バブル」


 突然、声が聞こえた。


 呼吸が早まる。視線が惑う。堪らずスマホに手を伸ばしあたりを照らそうとする。

 電源ボタンに指をかける。押し込む直前、暗順応し始めた目は、黒い画面の中の俺の首元に、反り返った鋭い牙の並んだ凶暴な口を認めた。


「泡。肥大する者。消えて無くなる者。俺様達は、バブルだ」


 首元の口が俺の肉を裂いて広がり、醜い笑みを浮かべた。

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