第4話 暫定悪夢

「チョウし、乗ルナよ、ガキがァア!!! 」


 猪狩の傷口がブルッと一度震えて、その中心から噴水が吹き上がる様にして大量の血飛沫と共に新たな触手が生える。更に、今度こそ見間違いではなく猪狩の体が内側から押し広げられる様に膨らんでいく。

 

「治るのか。わざわざ嬲りやすくしてくれるなんて、案外ソッチ系なんだな」

「死ねェエ‼︎ 」


 猪狩が膨れ上がった剛腕を再び振り下ろす。

 あまりに陳腐な攻撃方法に哀れみすら覚えた。


「折角変形できる体を持ってるのにする事が体を膨らませるだけ? 想像力とか無いのか? 」

「ナゼだ⁉︎」


 攻撃を避け、眼前まで肉薄した俺を信じられない様子で猪狩が見つめる。と、言っても目がどこにあるのかは分からないから実際は違うのかもしれないが。

 いや、今俺の頭上にこいつの触手がある所からして見えてはいるみたいだな。


「ナ、ナぜ当タラないィ‼︎ 」


 造作もなく触手を回避した俺を見て猪狩が絶叫をあげる。横薙ぎ、縦振り、両側からの挟み込み、フェイント。

 どれも一撃でも貰えば致命傷の攻撃だが、動きは眠くなるほど単純だった。

 それこそ、さっきのような酷く動揺したタイミングでの不意打ちでも無ければ掠る気すらしない。


「あがギャィあ‼︎ 」


 隙をついて猪狩の身体を引きちぎっていく。スポンジを毟るように触手の先端を、無数の口の中の歯や舌を、全身の皮膚を抉ると、その度に醜い鳴き声が夜空を汚した。

 耐えかねたのか猪狩が防御の構えを取る。隙を見つけるべく一度後ろに引く。

 瞬間、猪狩の全身の口が弧を描いた。


「死ねェッ‼︎ 」

「! 」


 足元の床が盛り上がる。一本の触手が姿を現した。

 体勢を崩し、流れる視界の端で猪狩の背後の触手の一本が、屋上の柵を乗り越え下へと伸びているのが見えた。

 完全なる視覚からの不意打ち。猪狩は初めからこれを狙っていたのか。

 

「想像力、あったんだな」


 空中で身を捻り、突き上げてくる触手を横から蹴り飛ばす。その勢いのまま油断した猪狩へ拳を叩き込む。


「アブアッ! 」


 苦痛に悶えた猪狩が大きすぎる隙を見せる。そこに次の拳をねじ込む。猪狩が戦意を喪失しかけているのは明白だ。

 触手と胴体の付け根に指先を突き刺す。そして全力を込めて触手を引き剥がす。元はタコのようだった猪狩を肉団子のようになるまで千切り続ける。

 全身についた口は、何も言うことなくパクパクと開閉を繰り返すのみになっていた。


「だからって勝てると思うなよ」


 殴る。抉る。千切る。殴る。殴る。殴る殴る殴る殴る

 俺は猪狩を殴った。猪狩に、俺自身を重ねて殴った。

 戦いが有利に進めば進むほど、油断していなければコイツ程度見逃さなかったことを痛感する。

 

 友達サナが死んだのは、お前のせいだ。


「ハアッ、ハァ、ハァ、ハァ…… 」


 物言わぬ肉塊と化した猪狩を見下ろす。達成感はなく、拳のジンジンとした鈍い痛みを煩わしく思うだけだった。

 

「サナ……連れ帰らないと」


 ぼんやりとした頭に喝を入れ、ビルの外壁に手足を掛ける。が。


「あがっ! 」


 いつものように伸ばしたはずの右腕はそこになく、背中から無様に地面に叩きつけられた。

 肺の中が空っぽになったように感じる。酸素を求め、ヒュウヒュウと掠れた音が口から漏れ出す。

 そういえば止血もまだしていなかった。


「連れて、帰らないと」


 靴から靴紐を抜き取り、右肩の断面をキツく縛りつける。もう大分血が出てしまったようで、夜の路地裏が抽象画のように不規則に歪み出す。

 サナの死体を崩れないように背負った時点で、足は完全に動かなくなった。


 せめてサナの死体だけはと思うが、サナはあの家に届けられて喜ぶのだろうか。苛立った顔のサナが頭に蘇る。

 何らかの確執は間違いなくあるはずだ。サナと家族の関係なんて俺にはまるで分からない。


『地球が丸いのは何故だと思う? 辰波翠』


「俺まだ、お前のこと何も知らないんだな」

 

 いつの間にかうつ伏せになっていた。意識が解けて、崩れて世界の混濁に紛れて消えていく。

 崩れていく世界を、いつもの取り止めもない妄想が埋め尽くしていく。


「空綺麗だな。今からあの星が急に近づいてきて「あそこから血が垂れてる。あの血が突然歩き出して「あの鳥はどう動くんだろう「鳥なんているか?「いないよ妄想さ「あの鳥は右に動くにきまってる「左に決まってるさ。鳥はいつだって左に動く「星の力が降り注いだ「猪狩はきっとまだ生きてるぞ「第二形態がくるんだ「サナも生き返るさ「そんなわけないだろ「「「


 眠る直前に似ていた。いつもこうだ。俺の世界には妄想が住んでる。戦ってる時もそうだった。猪狩の動きは無数に分かれて見えた。目を凝らして現実を見つけて、どうにか毎日を過ごしてる俺が出来ることを、何でみんな出来ないんだろう。

 あぁ違うこんなことじゃ無い。早くサナを


「帰さ…………と 」


 最後に見たのは、巨大な猫に食べられる幻覚だった。



   ◆◆◆



「……ろ。起きるんだ。辰波翠」


 暗闇の向こう側で、聞こえるはずのない声がする。

 何も見えないのは周囲の暗さゆえではなく瞼が閉じているからだと気づくのには、少し時間を要した。


「……寝てたのか。そうか」

「まるで死人でも見たような顔だね。辰波翠。僕を月下放置して眠るのは気持ちよかったかい? 」

「いや。クソみたいな気分だ」


 鉛のような上体を引き上げる。不可解そうに俺の顔を覗き込む美少女は、間違いなく生きている。

 コンクリートの枕が頭に伝えた絶妙な痛みは、確かに俺が生きていることを伝えている。

 

「見てなくて、悪かったな」

「妙に素直で気味が悪いが、君が悪いのは確かだ。許してあげるよ。さ、帰ろう。時間的にもうツチノコは出なそうだからね」

「そういえば、どうやってここまで登って来たんだ? 」

「どうやらとっくに死んだビルみたいだったからね」


 そう言ってサナは、強引にこじ開けられた屋上端の腐りかけの非常口を指差した。

 階段を降りると、確かに各階の中は随分と長い間使われている様子が無かった。あちこちの窓は割れ、壁にはそこら中にヒビが入っている。俺がついさっきまでいた屋上の床にもマンホール程の穴が空いていて、差し込む月光が屋内を緩く照らしていた。


「廃ビルだったんだな。ここ」


 登った時は窓ガラスといい、そんな傷ついてたようには見えなかったけど、暗くて分からなかったのか。

 帰路に着くと家で待つ家族のことが気になり始めた。

 

「あれ、ポケットに入れたよな」


 時間を確認しようとしてスマホが定位置にないことに気づく。学校を抜け出す時にカバンを教室に置いてきたから、その中に入れっぱなしだったのか?

 いやさっきヒバリさんにメールを……あそこから夢だったのか?


「どうかしたのかい? 」

「スマホ無くしたかもしれない」

「ああ。すまない渡し忘れていた。君が寝ている横に置いてあったぞ」


 サナがゴスロリの隙間から、再び魔法のようにスマホを取り出す。


「眠る前ぐらいは……なんだいその変な顔は」

「いや、何でもない。帰ろうぜ。お前に振り回されたせい疲労困憊だ」

「その機会を僕に与えてしまったのが君の運の尽きだよ」


 サナのパンプスが軽く背中を蹴る。

 疲労困憊。きっとそうに違いない。

 だからきっと俺は屋上で自分すら気づかないうちに寝落ちしてあんな夢を見たんだ。コレも、きっとその時に偶然落としてしまっただけだ。


 そう思いながら、俺はヒビの入ったスマホを手から追い払うようにポケットに仕舞った。


 




「午後8時42分か……」


 我が家のマンションの扉と睨み合う。サナと別れてから今日遅くなった理由につかう上手い言い訳を考え続けているが、まるで思いつかない。

 かと言って正直なことを言えるはずもない。でもこのままウダウダして入るのが遅くなった方が怒られるよな……。


「た、ただいまー」


 意を決していつも通り風に扉を開く。

 おかえりの代わりに俺を迎えたのは必殺の飛び蹴りだった。


「うぉあ‼︎ 」


 鼻先を掠めた裸足をかろうじて見切って躱す。顔を上げる。まだ着地していないヒバリさんは不適な笑みを浮かべていた。

 

「甘いわぁ‼︎ 」


 180cm近い体を空中で流れるように動かし、ヒバリさんが通路の天井を蹴る。ヒバリさんの右手が俺の背中をガッチリと捉える。そのまま俺は床に痛く無い程度に叩きつけられた。

 ヒバリさんの赤黒い長髪が背中にかかる。


「なぁんでこんなに遅くなったのか。私に教えてくれるかな。スイ」

「ぐ…げ……ヒバリさん。ギブ、ギブ」

「ヒバリさん。それぐらいにしてあげなよ。きっと兄さんにも理由があったんじゃない? 」


 家の中からお気に入りの恐竜のパジャマを着たカナタがヒョッコリと姿を現す。ミトンをつけたその手には鍋を持っている。


「おあ、カナタ。匂い的にそれシチュう痛ててててて! 」

「りーゆーうーをー言えー! 心配したんだ私はぁ! 」


 ヒバリさんが腕を捻り上げる。カナタは「程々にねー」とだけ言い残して家の中に戻って言ってしまった。


「さ、サナと出かけてたんだよ」

「おっ、なんだ! 遂に告白でもしたのか? 」

「するかぁ⁉︎ 」

「なんだ。つまんねぇな」


 そう言ってヒバリさんが背中と腕から手を離す。


「まぁ大体の想像は着いたよ。手ぇ洗いな。ご飯にしよう」


 そう言ってヒバリさんは、少し大きなTシャツを揺らして家に戻る。少し遅れて俺も本日散々な目にあってばかりの可哀想な背中をさすりながら帰宅を遂げた。

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