第3話 ゴスロリ少女と月下の怪物

「遅くなったね辰波翠。冒険の始まりだ」

「……予想の斜め上をいく服飾センス過ぎるだろ」


 重厚感あふれる門を開き姿を現した、コテコテのゴスロリ姿のサナを痛み始めた鯖の様な目で見つめる。

 純和風の邸宅の前に立つゴスロリ美少女は奇妙としか言いようがない。ここから始まりそうな物語を想像しかけるが、どうにかそれを堪える。


「フワフワだし黒いしスカートだし……今夏だぞ? 」

「まるで夏だから驚いたような言い口じゃないか。なら冬に着れば君は驚かなかったのかい? 」

「ゴスロリが変なのは自覚あるのな」

「勿論。君を驚かせる、及びに喜ばせるためにこんな服装をしたのだからね。以前君がこういった服の子が趣味と言っていただろう? 」

「人の情緒で遊ぶんじゃありません。別に喜ばないし」


 サナから目を逸らすために踵を返し、サナの反対方向にゆったりと歩き出す。


「そういう目で見てないし、見たくないんだよ。お前の事は」

「……そうかい。来たまえ。目星をつけたツチノコの出現場所はこっちだ」


 俺の足先とは逆の方向へとサナが歩き出す。2分の1すら当てられない自分にほとほと嫌気がさす。

 後ろから見たフリフリと揺れるスカートのフリルは、陽炎立つアスファルトに更に歪められ幻覚の様に感じた。

 本日の業務の4分の1を終えようとしてる太陽になんとなく足を急かされる。

 見知らぬ路地でサナが足を止めた頃には、俺の歩みは半ば小走りの様になっていた。


「恐らくツチノコが次に現れるのはここだ」

「随分と具体的なんだな」

「僕はお出かけの準備は前日の昼までに終わらせるタイプなんだ」


 サナが黒と白のフリルの隙間からスルリと一枚の写真をマジックの様に取り出してみせる。そこに写っていたのは 顔の彫りの深い、少し強面な男の顔だった。

 男の様子からして隠し撮りの様だ。


「猪狩大樹。年齢は35歳。柔道の有段者で身長は170cm後半。犯罪歴あり。現在はこの街の町工場で働いている」

「この人がツチノコって言いたいのか? 」


 少し強い口調で聞く。

 もし適当な理由で他人を巻き込みそうなら縄で括ってでもコイツを連れて帰るしかない。


「僕は普段から新聞で起こった事件の現場に積極的に出向く様にしていてね。一連の事件が同一犯によるものじゃないかと踏んでからは現場付近や、次の犯行に使われそうな路地でそれらしい人物を探していたんだ」

「それで現場近くでよく見かけたのがその人だった訳か。そんなの単なる妄想」

「いや、すでに犯行現場の確認も行った」

「は? 」


 教室で雑談を交わす時となんら変わりない口調でサナが言った。

 

「偶然だったんだ。いつもの如く事件の起こりそうな場所を張っていたらこの男が現れ、子供を襲って……恐らく殺害した」

「なんだよ……それ。そこまで調べがついてるなら、直ぐ警察に」

「普通の連続殺人犯シリアルキラーなら僕だってそうしたさ。でも、コイツは法の外側にいる存在だったものでね」


 サナがウサギ耳のカバーのついたスマホを取り出し、一つの動画の再生ボタンを押す。それはネット上に無数に転がる、どこかの街角の監視カメラの映像のようだった。


「僕が行く先々で、この男は特定の路地裏を何度も、色々な時間帯に訪れていた。恐らく下見をしていたんだ」


 グルグルと画面上の灰色の輪が無機的に回転する。


「この男の犯行現場を見た後に、僕はこの男の行動を街中のライブカメラを使って追い続けた。そして、見つけたのがこの映像だ」


 画面が一瞬暗転し、映像が流れ出す。一見誰もいない路地裏の映像だったが、よく見ると右上の方に2つの人影がある。大きい方が猪狩だろうか。

 猪狩が、小さな影に躙り寄る。小さな影が叫ぶ。音声のない映像だからその声は聞こえなかったが、髪の長さや体型を見るにどうやら小さい方はサナと同じ程度の年頃の少女の様だった。


 次の瞬間、猪狩は沸騰した様に内側から膨れ上がり人の形を失う。頭からその体は無数の触手に分かれ、少女に飛びかかった。虫の足をちぎるように少女が生きたまま解体されていく。


 それでも必死に少女は足掻くが、その抵抗も最後は触手の隙間へと消えていった。少女を飲み込んだソレは再び人の様な形をとる。満足した様に腹を少しさすると、ソレは道の奥へと消えていった。


「これが、僕の見たものだ」


 画面が暗転してからも画面から目が離せなかった。

 蝉の鳴き声が耳鳴りの様に頭の裏に張り付いて感じる。

 何かを引き剥がしたくてたまらなくて、頭をガリガリと爪で擦る。ふと足元に蝉の死骸が落ちているのに気がついた。


「その顔は、どっちなのかな? 」

「どっち……? 怖いんだよ。なんだよこいつ。こんな化け物……俺らが関わって良いわけないだろ⁉︎ 」

「気持ち悪いね君」

「はぁ⁉︎ 」

「顔と口が微塵も合ってない」


 指さされ、自分の顔を夜中に物を探すようにして触れて確かめる。指の感触が伝えたのは、俺の表情筋が満面の笑みを作っていると言う事実だった。


「興奮してるんだろ? 僕もさ。僕も案外厨二病なのかもしれない。今ならまだ君だけ帰ってもいいけど、どうする? 」

「……ははっ。マジか」


 久しぶりに頭がクリアだった。妄想の岐路に潜り込もうとする思考はない。だって目の前に求めていたものがあるんだから。

 妄想は、現実に成った。


「猪狩は下見をするって言ってたよな。ここを次の犯行現場って睨んだってことは、ここに来てたのか? 」

「そうだよ」


 サナがニタリと粘っこく笑う。その表情はまんまと人間に契約を結ばせた悪魔を連想させた。


「猪狩は犯行時刻も殆ど一定だ。夕暮れ時、市内の路地裏で全ての犯行は起こっている。今直ぐに来たっておかしくない」


 赤く染まり始めた太陽にサナが目を向ける。

 サナが一体どうやってそれほどの事件の詳細を知り得たのかは、まるで想像もつかなかった。


「君はこのビルの上から路地の入り口を見張るんだ。猪狩が現れて、本性を見せたら飛び降りて僕を回収して直ぐに逃げてくれ」

「平然と言うな」

「君には大して難しい事じゃないだろ? 」

「まぁな」


 軽く頷いてビルの壁面の適当な突起に指と足を掛ける。


「辰波翠、今回の目的はあの怪物を僕たちの目のレンズを通して網膜に焼き付ける事だ。僕たちは正義の味方どころか、単なる下世話な野次馬に過ぎない。捕まえようなんて思わない様にね」


 当たり前だ。

 声に出す必要すらないことを心の中で思って、3階建ての雑居ビルを這い上がった。




 何事も起きる事なく、日が天球から零れ落ちていく。

 空は燃える様に赤く染まった後に、虹色に彩られ、最後には端から腐っていく様に色を失っていった。

 時間が気になりスマホを覗くと、時刻は6時をまわっている。時刻表示の下では、ヒバリさんからのメッセージが咎める様に鎮座していた。

 

『今日は遅くなるの? ご飯の時間ずらした方がいい? 帰る予定の時間だけでも連絡下さい』


「相変わらず文面上だと怖いぐらい丁寧だな…… 」



 カカッ


『連絡し忘れてごめん。ご飯の時間までには帰る。だから8時過ぎまでに』


「……」


 カッ、カカカッ


『連絡し忘れてごめん。今から帰るからご飯の時間には間に合うはず。7時過ぎには帰る』


「送信っと」


 久しぶりに中腰の体勢から立ち上がる。

 夕暮れ時も過ぎたし、そろそろ潮時だろう。

 路地裏に立ち続けるサナを呼び戻すべく、ビルから身を乗り出して口を開く。


 指先からスマホが滑り落ち、乾いた音を立て足元へ転がった。


「なんで……」


 月はいつしか夜の帳を照らし始めていた。青白い月光に照らされて、まるでスポットライトを一身に浴びる主演女優の様にサナは赤黒く輝いていた。

 左肩から臍のあたりにかけて引き裂かれた体は、路地の外壁にもたれかかる様にして辛うじて人の形を保っている。普段は不穏な光を、時折陽光のような穏やかさを孕んだ瞳は、もう何も映していない。

 サナは死んでいた。


「あ……あぁ 」


 崩れ落ちるように腰を下ろして空を見上げる。普段は見えない星々の光が、今日だけは綺麗に、ひどく綺麗に目玉を刺した。


 来たんだ、猪狩が。ずっと見てたはずなのに。サナは、ついさっきまで生きてたはずなのに。

 猪狩は、どうにかして俺の目を掻い潜って、逃げることも声を出すことすら許さずサナを折り紙みたいに引きちぎったんだ。


「なんでだ? 」


 違和感が溢れ出しかけていた涙を押し留める。

 サナから見せられた映像で猪狩は被害者をじっくり追い詰める様にして殺していた。

 今回に限って、サナだけを隠密の下、時間帯をずらして油断を誘ってまでして殺したのはなぜだ。


「全部、バレてた—— 」


 一瞬、恐怖が怒りすら忘れさせ、俺の本能にこの場から去ることを最優先させる。その直後、俺は自分の右腕が自分で思っていた以上に重かった事を知った。


 赤い火花が俺の肩を舐めとる様にして通過し、俺の肩から下を切断したのだ。


 焼けるような痛みとともに滝の様に血が流れ出る。

 ビルの屋上に出来た血の水鏡に映り込む俺の顔は、さながら馬鹿な道化だった。


「ギリギリ」


 振り返り、その怪物と初めて正面から向かい合う。

 ソイツの見た目は、まるで炎で出来た蛸の様だった。だが吸盤はなく、代わりに全身に反り返った歯を持つ無数の口が開いている。


「ギリギリ」

   「ギチギチ」      「ギリギリ」

        「ギリギリ」

「ギチギチ」         「ギリギリ」

    「ギリギリ」   「ギチギチ」


 怪物の口々が好き勝手に歯軋りを繰り返す。悪夢の様な不協和音はビリビリと体を震わせる。

 

「ガキ、ガ」


 くぐもってはいるが、間違いなく人間の言葉を怪物が発する。猪狩が喋っているのか。


「アとを、追ってタロ? バカがばかガ。キヅイテんだよ

ォソレぐらい」


 ゆらゆらと揺れる体を波打たせ、怪物が近づいてくる。


「アノ、あの、あのおンナ。バカみテェナカッコして、ハッアハアハアハッ。カンタンにシンジマッたなァ。オトこもイイけど、やっぱ裂クならオンナだァ。から聞いテ、オメェにはハッ、ケイカいシテタのに、ソレモひつようナカッタミテェだなぁ‼︎ 」

「バブル……? 」

「しらねェノカ。ノ、くせに。バカだなァアガキってのハァ。ム、無知ハつミッて、習わなカッタカァアハハハ!! 」


 怪物の体がありえないほど急激に膨れ上がる。こんなことがあり得るのか。もしかしたら俺の視界が壊れたのかもしれない。どっちでもありえるし、どっちでも良い。今は。

 

「アガッァ⁉︎ 」

「無知は罪? 罪があるのはお前だけだろ」


 俺を轢き潰そうとした猪狩の触手を、左手で掴み取る。

 右腕の欠損による大量出血でタイムリミットを付けられたが、おかげで逃げようとなんてしたクソな自分はどこかに行った。痛みすらもう感じ無い。きっともう必要無くなったんだ。


 猪狩の胴に足をかけ、触手を力任せに引きちぎる。神秘性すらある外見とは裏腹に、その手触りは水とゴムの中間の様な、グニグニと気持ち悪く生々しいものだった。

 うずくまる猪狩を、怒り任せに蹴り飛ばす。

 得体の知れない液体を傷口から撒き散らかしながら、猪狩はゴム毬の様に屋上の端まで跳ね飛んだ。


「あバァッァ⁉︎  お、オまえ、オ前ェェえ‼︎ 」

「因果応報じゃ足りない」


 月が雲に隠れた。空気が炭を撒いたように黒く濁る。


「お前を、心臓から遠い場所から千切って心臓だけにしてから殺してやる。痛みの中でアイツに懺悔し続けろ」

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