第2話 ツチノコハイウェイ

「どうしたんだい? 飲食店はわざわざ外まで食事を持ってきてくれるものじゃ無いよ? 」

「溢れ出すおしゃれオーラで目が灼けた」


 学校から徒歩二十分。炎天下遥々たどり着いたスタバの前から踵を返す。

 サナの蹴りが背中に突き刺さった。


「いって! 」

「君は一体いくつ持病欄に病名を書き込めば気が済むんだい。コミュ障まで発症したのか」

「そもそも俺コーヒー好きじゃ無いし」

「やはり君にスタバは過ぎた言葉だったか。成長したと思った僕が浅慮だったよ」


 蹴りの代わりに悪態を背中に受けながら足を進める。

 別にスタバの新作のなんとかペチーノになんて興味はなかった。単にサボる理由が欲しかっただけだ。

 てっきりコイツもそれを察してついてきてくれたと思って感動していたんだが、現実は厳しいみたいだ。


「スタバに行かないならこれからどうする? 」

「家に帰る」

「実に月並みで平々凡々な答えだな。10点をあげよう」


 タップダンスを踊る様にローファーでリズミカルにタイルを鳴らし、サナが近くの石のモニュメントに飛び乗る。

 コイツに世の中はどう見えてるんだろうか。自分のたまに用意された舞台のセットの様にでも見えるのだろうか。

 でなければこんな事言えるはずがない。


「模範解答をあげよう。これから君は僕とツチノコ探しをするんだ、辰波翠」



   


 昼下がりの太陽が俺たちの影を長く引き延ばす。静かな住宅街は制服姿の俺たちを無言で威圧している様だ。


「お前んちってマンション? 」

「僕としてはそうだったら嬉しいが、僕の家族は地を這った家にしがみつくのが精一杯なものでね。着いたよ」


 サナが足を止めたのは厳しい木造の邸宅の前だった。住宅というより邸宅というのがしっくりくる。

 ここまでに並んでいた平均的な家3つを繋げたよりも更に横に長く、入り口は扉ではなく巨大な門で閉じられていた。溢れ出す長年積み重ねられてきた高貴が先程とは違う方向性で俺の足をすくませる。


「お入りよ。時間は有限だ」

「お前こんなすげぇ家で育ったのな。太々しさの根底を見た気がするよ」

「やめなよ」


 いつも通り軽く返したつもりだったが失敗だった。地雷は思わぬところに埋まってる。

 それは初めて見たサナの明確な苛立ちの表情だった。


「僕の全ては僕の行動によって構成されたものだ。こんな枯れかけの木屑なんか寝泊まりするだけの場所に過ぎない」

「……悪い」


 謝るとハッとした様にサナは目を丸くした。

 

「僕としたことがだ。よくない言い方だった。すまない。さ、早く中に入ろう」


 いつもの調子に戻ったサナに導かれ、俺は檜の香り漂う屋敷に足を踏み入れる。奥から流れてくる心地よい冷風は、家の匂いと相まり森にいるかの様な錯覚を起こさせた。

 立ち並んだ襖の迷路を、サナの背中を見失わない様おっかなびっくり進む。

 地主とか地元の名家の家なのか? いや、余計な詮索は悪いな。いつも通り、自然体で行こう。

 ……俺の靴下汚れてたりしないよな? 無理だ緊張する。


「ここが僕の部屋だ」

「扉に龍と鶴の水墨画が描かれた部屋ってツチノコと同レベルで珍しく無いか? 」

「見聞を広げなよ。それは単に君があまり友達の家を尋ねたことがないからさ」


 言われて行ったことのある家を頭で数えると、その数が片手で数えられてしまう事に気づく。

 いや、いつだって主人公はそういうものだ。交友関係は狭めで裏の顔を隠せる様に——


「これが僕の調べたツチノコの情報だ」

「はっ」


 気づけば俺はサナの部屋の真ん中に腰を下ろし、新聞の記事やらメモやらで装飾されたこの街の地図を見下ろしていた。


「また妄想ランドにいた様だね」

「おぉ、てかお前の部屋広っ」


 さらに、見回せば部屋の中の家具や装飾は気品漂う和……ではなくいかにも女子女子しい、可愛らしい雰囲気のものでまとめられている。

 初手のインパクトが忘れさせていた、俺が女子の部屋に入るのは殆ど初めてだという事実を思い出す。


「もう驚くタイミングは過ぎてしまったよ。今はツチノコの話さ。君も今年の頭からこの街で流れてるツチノコの噂は知ってるね? 」

「molがなんなのかと同じぐらいにはな」

「厨二病のストライクゾーンというのは思ったより狭い様だね」


 近くの棚からサナが新聞記事のスクラップをした本を取り出す。中程のページを開くと、その真ん中に貼り付けられた大きな記事を指差した。


沢木さわき霙溪えいけい市 路地裏に血溜まり』


「僕の知ってる限り、これがこの街で最初のツチノコ絡みの事件だ」

「なんか俺とお前のツチノコの解釈の間にはグランドキャニオンがありそうだな」

「順を追うからひとまず聞くといい」


 わざとらしく一度咳払いをしてサナが少し乱れたスカートを整える。


「これは今年の5月。とある路地裏で巨大な血溜まりが発見された事件だ。同日、その付近の交番の警察官一名が失踪している。そしてその警察官と血溜まりの血のDNAは一致していたそうだ」

「そんなエグい事件なんてあったか? 」

「君の生活圏内にテレビ一つあれば嫌でも知っているはずだよ。君も大概どんな暮らしをしてるんだか」


 サナが俺の生活環境を見透かそうとするように上目遣いで俺の目を覗き込む。

 テレビとかのメディアは見てるうちに想像に入るせいで今一つ何が真実なのか分からなくなるから好きじゃ無いんだよな。


「そして、これを皮切りに霙溪市では老若男女問わない不審死が相次ぎはじめている。警察は関連性を示唆してはいないが、今までこんなことはなかった」


 サナがページを捲る。


「同5月」


『成人男性の腕 路地裏で見つかる』

『沢木県霙溪市 失踪者前年度の3倍』

『沢木県霙溪市鳴沢滝インターにて女性の遺体』


「翌6月」


『霙溪市警察署 特別警戒体制に』

『沢木県霙溪市 身元不明の水死体発見』

『沢木県霙溪市 児童3名行方不明』

『霙溪アーケード内路地で人間の耳が見つかる』


「そして今月。7月」


 サナが興奮したように息を荒げながらページを素早くめくる。


『沢木県霙溪市 女性失踪』

『沢木県立高校 学生失踪』


「沢木県立高校って」

「そう。僕らが通う高校だ」


 我が意得たりといった様子でサナが大きく首肯する。途端に、ここまで紙の向こう側にあったはずの怪事件が突然自分の首元にまでその指先を伸ばしている様に感じ、背筋が粟立つ。


「冷房、強くないか? 」

「むしろ弱いと思うね」


 興奮したサナが答える。いつもの仮面の様な顔を放り捨て、紅潮した頬には確かに沸る様に血が巡っている。


「僕は今年の初めからずっとこの事件が気になっていた。ツチノコというのは僕がこの犯人につけた名だよ。この街の裏路地に潜む神出鬼没の怪物だ」

「コイツを見つけにいくのか? 暇つぶしに? いくらお前にしてもめちゃくちゃ過ぎるんじゃ」

「めちゃくちゃだから良いんだよ! 」


 激情を抑えられなくなったサナに飛びかかられ、なすすべもなく馬乗りにされる。顔の上に垂れるサナの髪の毛からはふわふわとした嗅ぎ慣れない匂いがした。

 奇妙なシチュエーションに脳が麻痺するのを感じる。


「君の厨二病はきっと本物を求めてるんだ。会いに行こうじゃないか。怪物に」


 いつぶりか……そう。それこそ初めて出会ったあの時ぶりにサナが本当の笑顔を浮かべる。

 シンメトリーに歪む三日月状のその笑顔は、ツチノコさながらに妖怪めいて見えた。


 コイツの事だ。どうせ止めても1人で調べに行くんだろうな。


「……しょうがねぇな。付き合うよ。お前に何かあっても嫌だしな」


 それにサナの言う通り事件の存在を知って恐怖以外に、心の奥の方で何かが熱を帯びたのは疑いない事実だった。サナを引き剥がしスクラップバックを自分でも軽くめくってみる。


「具体的に、見つけるアイデアはあるのか? 」

「あるさ。この怪事件はなぜか約1週間に一度の頻度で起こっている。そして、前の時間があったのは今から8日前の事だ。周辺の市含め、その間こういった事件は発生していない。きっと警察の警戒がキツくなったからだろう」

「ツチノコは餌を探してるってことか。……いくらなんでも囮はごめんだぞ? 」

「囮は僕だ」


 そう言うとサナは制服の上着に手をかけ、そのまま服を脱ぎ始めた。フリーズすること1秒。即座に目を手で覆って部屋を飛び出す。


「ちょっ、お前⁉︎ はっ⁉︎ 」

「見目が良い方が襲いたくなるってものだろ? こんな茶色の制服じゃ味気ない」

「着替えするなら先に言え! 外で待ってるからな! 」


 なぜ見た側の自分が恥ずかしがらなくてはいけないのかよく分からないが、ともかく居た堪れなくなった俺はそう吐き捨てて家の外に駆け出した。

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