第10話

「どうしたら、いいすか」

 涙の滲んだ目で隣を見ると、女はレンゲでピンク色になったスープをかき回していた。ざらついたニンニクと脂肪が入り混じって、なんだか生肉みたいだ。

「それも言ったっしょ。人生かけろって」

「そう……です、けど」

 なんかもう、俺のやっちゃったことはいい。どうやっても責任取れないし、それを人生かけて反省しろって言うなら仕方ないと思う。でも、遠野。今日の遠野のアレはどう考えてもおかしい。俺のバッグの中にはまだ包丁が入っている。襲った俺を刺すんじゃなくて、刃を自分に向けて殺して心臓を食べて?絶対薬のせいでおかしくなってる。

「あの、遠野が」

「うん?」

「あ、えっと、相手の子。遠野って言うんですけど。その、おかしくて」

「ふーん」

「絶対薬のせいだと思うんすけど。なんか、治せないですか」

「おかしいって、何が?」

 あんまり聞く気のなさそうな女に、昨日からの出来事を説明していく。時系列が滅茶苦茶で何度も同じ話が出てくるのを、女はつまらなそうに聞いていた。時々店に客が入ってくる度に、やけに威勢のいい声が響く。ラーメン屋で何の話してんだ、俺?

「んで?何がおかしいって?」

「いや、おかしいじゃないすか」

「その子が元々そうだったんじゃないのー?『私を食べて』なんて、男の子の言われたいセリフ上位なんじゃない?よかったね」

「いや、そんなわけないじゃないすか」

「そもそもさー、その子の何を知ってんのよ。前から誰かに体を食べてほしい子じゃなかったって、おまえに言い切れんの?」

「いや、だって……」

 そんなわけない、という思いと、遠野の気持ちなんてぜんぜん知らない、という思いが俺の中でごちゃごちゃになる。クラスが一緒なだけで、まともに話したこともない。一方的に俺が遠野を見てただけ。ただの片思いだ。遠野のことを分かったように語るなと言われたら、そうですねとしか言えない。

「それ、いいの?」

「え?」

「さっきからさー、ずっと鳴ってるよね」

 女が指差す先には、俺のバッグがあった。そういえばバッグにスマホを入れっぱなしだった。取り出して画面を開くと、メッセージがずらーっと並んでいた。

『ごめんね びっくりした?』

『今大丈夫?』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『ちょっとだけいい?』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『今どこにいるの?』

『ねえ』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

 ひいっとなってスマホを取り落としそうになり、そっとカウンターに置いた。おそるおそるLINEを開くと、『友だちじゃない人から着信あったけど、友だち登録する?』みたいなメッセージが出てきた。隣から女が覗き込んでくる。

「わーかわいそ。早く返事してあげなよ」

「見ないでもらえます?」

 指が少しためらい、『登録』をタップする。その瞬間遠野から着信があって声が出そうになった。おっかなびっくりスマホを耳に当てる。

『あ、坂上くん』

「あ、うん」

 通話で聞く遠野の声は、なんだか別人みたいだった。ノイズの混じった少し割れた声が、早口で続ける。

『ごめんね、今大丈夫?』

「あ、えっと、うん」

『さっき、ごめんね。びっくりしたよね』

「え、あ、うん」

『あのね、だからちゃんと話したいと思って』

「あ、うん」

「ィらっしゃいませッッ!3名様テーブル席へどうぞッ!」

 やたら威勢のいい店員の大声が響く。遠野が一瞬沈黙した。

『……ごめん、今何かしてた?』

「あ、いや。ちょっとラーメン屋寄ってて」

『……お腹、すいてたんだ?』

 ちょっと拗ねたような、非難するような声。包丁を手に握らせてきた遠野の表情が蘇る。

「あ、いや、そうじゃなくて。なんていうか、流れで?こうなったって言うか」

『ふーん……』

 そのまま遠野が黙ってしまい、嫌な汗が背中を濡らした。また口の中が酸っぱ苦くなってくる。

「あのさ、家着いたら連絡する」

『うん』

「…………」

『…………』

「…………」

『…………』

「お待たせしましたアッッ!!味玉こってりのお客様ァッ!」

『……分かった。またね』

「あ、うん。はい」

 無音になったスマホをしばらく耳に当て続けていたことに気付き、カウンターに放り出す。べったり汗で汚れたそれを紙ナプキンで拭いていると、隣の女は満面の笑みを浮かべた。

「いやあ、青春だねー」

「……ッス」

 もしかしたら、遠野は前からこうだったのかもしれない。俺は、すっかり延びたラーメンの残りを片付けにかかった。

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