第9話

「あ……」

 何か言おうとしたが、言葉が続かない。聞きたいことは山ほどある、はずだ。でもそれが全くまとまらない。口をぱくぱくさせている俺を見て女が首を傾げる。首を傾げたいのはこっちだ。

「とりあえずさ、飯食わね?」

 女がくいっと親指で表通りを指し示す。全くそんな気分ではないが、女は俺の返事を待たずにすたすた行ってしまった。慌てて後を追うと、女は家系ラーメンの店に入っていった。

「ィらっしゃいませッッ!」

 やたら威勢のいい黒Tシャツの店員がカウンターに2つグラスを置く。まだ日も沈まない中途半端な時間なので、店内は半分くらいしか埋まっていない。女は券売機の大盛りトッピング全部乗せボタンを押すと、俺に向き直った。

「奢るよー」

「いや、俺は」

「いーからいーから。好きなの選んで」

 ぐいっと腕を引かれて、渋々普通のラーメンを選ぶ。カウンターに座って食券を渡すと、女はスマホを取り出してぽちぽちいじりだした。

「あの」

「んー?」

「ちょっと、聞きたいことが」

「何ー?」

「えっと……」

 ラーメン屋に連れ込んだ時の勢いはどこへやら、女は俺への関心を失ったように気のない返事をしている。何なんだこいつ……。つーか、あれ?俺、初めて女の子と2人で食事してる?え?俺の初めてってこの女?

「おくすり使えた?」

「え?あ、そう、それっす。あれ、何なんすか」

「惚れ薬」

「いや、そうじゃなくて」

「お待たせしましたアッッ!!全部乗せのお客様ァッ!」

 やたら威勢のいい店員がラーメンをドンッと置く。ごってりギトギトの大盛りラーメンに、女はためらいなくニンニクの瓶をひっくり返してドバドバ乗せていく。続けて豆板醤を同じくドバドバかけると、どんぶりは赤と白以外何も見えなくなった。味するのか?それ。俺も威勢よく運ばれてきた普通のラーメンを受け取り、脂でギトギト光るスープをレンゲで一口すすった。

「渡した時にさ、説明したじゃん」

「いや、そうなんすけど」

 女は紅白の海から麺をすくい上げてズバズバすすり込んだ。なんかこう、食事というより捕食って感じの食べ方だ。

「あの、あれ、使ったんですけど。昨日」

「ふーん」

「で、それで何かおかしいっていうか」

「何がー?」

「何っていうか……おかしいんですけど」

 大盛りラーメンがもりもり減っていく。捕食の勢いに負けてうまく説明できない俺を、女が横目でちらっと見た。

「ちゃんとさ、説明通りに使った?」

「いや、それは……えっと、ちょっと失敗したっていうか」

「ふーん。じゃあダメだねー」

「ダメって」

「言ったでしょー、大変なことになるよーって」

「いや、でも、無理じゃないっすか。あんなのうまくできるわけ」

「どんな子?」

「はい?」

「相手。どんな子?」

 女がぐりんと俺に向き直った。あれだけあったラーメンがほぼ消えている。俺はまだ半分も手を付けていない。

「どんな子って、その、かわいい?」

「へー」

「えっと、なんていうか。どうでもいいじゃないすか」

「よくないでしょ。相手のこと知らなきゃ何も言えないよー」

 口調は相変わらずだが、さっきよりもこっちに関心を持っているように見える。どんな子って言われても。遠野は、えっと。

「まあ、同じクラスで」

「ほうほう」

「ちょっと気になってたっていうか」

「へー」

「なんかこう、背低くて。目立たないっていうか。でもなんか、がんばってる?っていうか」

「ふむふむ」

 なんだこれ。何の羞恥プレイだよ。ニヤニヤ笑う女から目をそらし、ラーメンを一口すする。

「まあ、そんな感じっす。はい」

「好きなんだ」

「はあ、まあ。はい」

 チャーシューを噛みながらもごもご答えている俺の腕に、女の指が突き立つ。

「そんな子に、あんなことしたんだ?」

 ざあっと目の前が暗くなった。最初は顔がかわいいな、くらいの軽い感じだった。背が低くてクラスじゃいつも前の方の席で。なんかトロくて。でもトロいなりにがんばってて。なんか、言い訳しないっていうか。友達が多いとかじゃないけど、大事にしてるんだなって見てて分かった。なんか、それで。

 好きだなって、思って。

 思って、俺、何をした?

 昨日の遠野の、俺を見る目。

「いや、俺──」

 口の中が苦くて酸っぱい。今食べたラーメンがせり上がってくる。吐きそうになるのをぎゅっと目を閉じて堪える。

「サイテーだよね、おまえ」

 半笑いの軽い口調で放り投げられた言葉が、頭の中でわんわん反響した。

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