第6話
「朝霧、朝霧!?」
朝霧の目はあまり焦点があっておらず、半開きの口からは熱い息が漏れていた。
半裸でその表情は煽情的で、僕は視線を斜めにずらしながら、朝霧の肩を軽くゆすった。
「さわ、るな」
朝霧が僕の手を払おうとした。ぺち、と手のひらが当たっただけで、ずるりと腕が下がる。
どうやら、朝霧に意識はあるようだ。まともな思考も残っている。
僕は朝霧の股間に目をやった。やはり、こういうことか。
「聞こえる?朝霧。
できれば理解して。今、朝霧は、僕の唾液か、吸血行為か、そのどちらかで副作用的なものを起こしてる。
たぶん、性的欲求とか、興奮とか、そのたぐいの」
「あたまに、…はいら、な、
わかりやすく」
「僕に血を吸われたせいで朝霧は気持ちよくなってます」
「………」
「………」
どうしよう。
気まずさと朝霧の色気と、苦しそうに熱い息遣いと、これは本当に現実かと問いたくなる状況とで、僕も頭が回っていない。
僕にもたれかかったままの朝霧が、椅子から落ちそうで危険だ。
朝霧を抱え上げると、びっくりするほど軽々とお姫様抱っこができた。
もともと、人間より筋力が発達していると理解していたけど、吸血後に能力が上がるとは。
きっと、人間からの吸血でないとこの現象は起こらないんだろう。
僕は近くにあったクッションを床に置き、朝霧を座らせた。これで転倒の危険は減った。
しかし根本的な解決はしていない。
必死で思い出そうとしたけれど、中学時代の自分の記憶は曖昧だし、おじいさんは、この状態からの解毒方法を僕に教えていなかったように思えてならない。
あの人は冗談が多い人だったけど、根は真面目だった。
命にかかわることなら絶対に教えてくれている。おじいさん本人も知らないことならどうしようもないけれど。
おじいさんは、相手がこうなることをよく知っていた。
なのに僕に対処法を教えなかったということは。
「朝霧、この状態をどうにかしようと思う。
気持ち悪いと思うし、嫌だと思うけど、今だけ我慢してほしい。
あとで、いくらでも罵倒していいから」
たぶん、ふつうに発散させればいいのだろう。
人体に害がなく、また吸血してほしいと人間側に思わせる、ヴァンパイアの吸血行為。
ヴァンパイアが生きるための、身体能力のひとつと考えるべきか。
人間が吸血を拒めば、ヴァンパイアは基本的に生きていけないのだから。
朝霧のズボンのファスナーを下ろす。
手を添える。
己の欲望は…、抑えろ…。
「きりゅ、…やめ」
「お願い、今だけ我慢して」
僕の声が泣きそうに懇願していると、自分でもわかった。
こんなふうにしたかった訳じゃない。
こんな状態で触れたかった訳じゃない。
できることなら、一生涯、友人として接していたかった。想いは隠し通したかった。
僕が君を想っていることは、僕だけの秘密にしたかった。
こんなふうになった朝霧を、腕に抱きたいなんて思わない、思いたくない!
朝霧の顔は真っ赤で、虚空を睨んでいる。
男に触れられるなんて、さぞ屈辱だろうな。
「何も考えないで。
何も考えず、今だけ流されて」
「はな、せ、…うッ…!」
抵抗する声とは裏腹に、朝霧は壁に背中を預けきった。
「朝霧、我慢してる?」
朝霧の顔を見る。唇を噛んでいた。
今は、我慢しないでって言ったのに。
僕が朝霧の胸を舐めると、朝霧は驚いて口を離した。
手の動きを強くする。
さほど時間もかからず、朝霧は達した。
僕は一瞬、我を忘れた。
朝霧の腹にこぼれたものを舐める。高級酒のような苦みと甘さがあった。
美味しい。香りもたまらない。飢えに吸い込まれるような享楽の味。
「きりゅう、桐生!やめろ!もういい!
収まっている、もうしなくていい!!」
朝霧の声に、僕ははじかれたように後ろに下がった。
僕を避けるような視線、慌てた手つきでファスナーを上げる仕草は、あの状態から抜けたとみていいだろう。
僕も朝霧を見ることができなかった。
地に落ちるような罪悪感がした。
「朝霧、……ごめん」
「いや。こんなことになると思わなかった。オレが悪い。
危機管理がなっていなかった」
「ごめん、気持ち悪かったでしょう」
「………」
無言のままの朝霧の顔を見ることができず、僕はドアのカギを開け、小走りで生物準備室を出た。
宿直室に行ったら朝霧と鉢合わせるかもしれないと思い、職員室の隅でブランケットにくるまって寝た。
連絡の行き違いで、宿直当番が二人になってしまった偶然は、最悪の結果になって。
僕と朝霧はそれから一か月、挨拶と必要事項以外の会話をしなかった。
つづく
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