第5話
僕の名前は小宮山 桐生(こみやま きりゅう)。
「私立アヤザワ高等学校」に勤める現国と古典の教師。
そして、僕は。
突然変異で生まれる稀有な存在、「ヴァンパイア体質」だ。
けれど僕は人間から生まれ、人間として育った。
今も人間として暮らしているし、これからもそうやって暮らしたいと願う。
僕は今年で34歳になる。
心のどこかで油断があった。ばれないだろう、大丈夫だろうと。
僕は誰より知られたくなかった相手に、決定的瞬間を見られてしまった。
朝霧令一先生。
ぶっきらぼうで冷たいく見られやすいけれど、実はお節介焼きで、人情にあふれていると僕は知っている。
厳しいときは厳しく、生徒との距離感は適度に。業務はいつも生真面目で完璧主義。
努力家でまっすぐで、ちょっと素直になれないところも好感が持てる、同い年の同僚。
そんな彼が今、腕まくりをして僕に迫っている。
なんでこうなったの…!?
「吸えと言っているだろう。
お前が吸血するところを直に体験したいんだ」
朝霧は好奇心が旺盛だ。
僕の体質について聞いてくれたのも、生物学的興味からだろう。
けど。さすがに。自分で人体実験はやりすぎじゃないかな!?
「朝霧…。
吸えません。無理です。
腕は血管がよく見えない。どこから吸っていいのかわからない。
正直に言ってます。だから勘弁して」
許して、なのかどうどう、なのか正気に戻って、なのか、僕自身混乱しながら両手を挙げ、拒否のジェスチャーをする。
朝霧は「ふむ」と一言唸り、
いきなりネクタイを外してシャツを脱いだ。
「なんでぬぐんですかあああ!?」
「お前の言い分はもっともだと思ってな。
テンプレート的ヴァンパイアは首を噛んで吸血するだろう?
頸動脈を噛まれるのは困るが、血管のわかりやすさ、肉の柔らかさ、噛みやすさからいって首が適している。
血が垂れて汚れたら困るから脱いだ」
「なんでそんなにれいせいなんですかあああ!?」
「オレは、お前が動揺している理由がわからん。
全面的に協力してるんだぞ。お前も人間から血を得る体験を試すといい」
この!
この、研究馬鹿!!好奇心馬鹿!!!
自分の体に危険があったらどうするの!?
僕が本当に怪物みたいな存在で、襲われる可能を微塵も考えてないその顔が、今はちょっと腹が立つ。
もっと自分を大切にして。こんな危険なことをやろうとしないで、朝霧の馬鹿!!!
「……わかった。やってみる」
僕は腹をくくった。
人間から血を吸えるチャンスは、これが最初で最後の可能性が高い。
朝霧は協力してくれるだけだ。僕の気も知らずに。好奇心だけで。
だから、やってみよう。
目の前にいるのは、誰でもない朝霧なのだから。
僕はとりあえず朝霧を椅子に座らせた。
少量といえ血を採るのだから、貧血でぐらついたら危険だ。
「ええと…。朝霧。
た、体調は安定していますか。
服薬はしていませんか。
発熱等はありませんか」
「確かに献血のイメージといったが、献血前の問診をしてどうする」
「不安だから…!一応答えて…!」
「発熱なし。服薬なし。
出血を伴う歯科治療なし。
ここ数ヶ月の予防接種なし。
一年以内の海外渡航なし。
心臓病・悪性腫瘍・けいれん性疾患・血液疾患・ぜんそく・脳卒中なし、だ。
ほかは?」
「あなたは妊娠または授乳中ですか」
「お前相当混乱してるな!?」
「もちろんだよ!?」
緊張と動悸で、何が何だかわからなくなってきた。
目の前には半裸の朝霧。
それだけで僕にはどれだけ刺激が強いか、何もわかっていない朝霧が憎い。
「それでは。
い…頂きます」
「どーぞ」
軽い返事の朝霧がさらに憎い。にやにやしてるのは、これからどうなるか楽しみで仕方がないからだろう。
ああ、なるようになれ!
僕は朝霧に覆いかぶさるようにして、首筋に唇を近づけた。
本能なのか、ヴァンパイア体質の感覚なのか、どこが吸血に適しているのか自然とわかる。
「桐生、お前、目が」
「?」
「瞳が、赤く変わってる」
一瞬しまったと思ったが、もう隠す必要はないから、朝霧に返事もしなかった。
僕の瞳は、たまに真紅に色を変える。
吸血衝動が高まったときや、強い怒り、興奮などがきっかけらしい。
感情が静まれば色は戻るから、僕は吸血衝動が来そうな時期には黒のカラコンをつけている。普段から、感情抑制も訓練している。
つまり僕は今、とても興奮しているらしい。
隠していた犬歯を伸ばし、朝霧の首に当てる。
朝霧が身を固くした。
「力を抜いて」
筋肉が固くなると痛みを感じるかもしれない。
僕は動物にやってきたように、今から噛む場所を舐めた。
朝霧の体が震えた気がする。くすぐったかったかな。
でも、これをしないと激痛になるから。
尖った犬歯を朝霧の首に立てて、ゆっくりと押し込む。
噛むというには優しすぎる行為。たとえ動物でも、傷つけたくない僕が考えた方法。
傷を最小限にするために、牙を入れすぎないように。すぐに解放できるように。
「ん……っ」
朝霧が小さく声をあげた。激痛から出た声ではなさそうだ。違和感がするのかな。
僕はわずかに牙を引き、丁寧に少しずつ、漏れてくる血液を味わった。
甘い…!!
熟れた果実のようにみずみずしい甘さ。
動物でこんな風に感じたことはない。こんな、とろけそうな味わいは初めてだった。
ごくん、と喉を通す。
染みわたる満足感。もっと飲みたいと欲望が心をよぎる。
僕はぎゅっと目を閉じ、自制した。
ひとくちで足りると、僕は理解できているだろう?
今僕は、朝霧を傷つけているんだ。
離れるんだ。朝霧を離すんだ。
刺す時よりもゆっくり、時間をかけて牙を抜く。
本来なら大怪我である傷を唾液で癒し、傷を塞ぎながら抜くためだ。
これで出血は最小限になり、傷跡もきれいに消えていく。
「終わったよ、朝霧。
…朝霧?」
朝霧が、力が抜けたように僕に倒れこんできた。
僕はとっさに抱き留めた。
朝霧の息が荒い。顔は紅潮し、苦しそうに見える。
「朝霧、どこか苦しいの!?」
「くるしくは…、……、ぅ…
はあ、…あ…っ、なんだ、これ、は、」
「体に異常が出たんだね!?
待って、すぐ救急車を呼」
「ちがう」
朝霧はろれつも怪しかった。
朝霧は僕のシャツを掴んで、たどたどしく訴えた。
「あつ、くて、…きもち、いい」
「………え」
「どうなって、…、あつ、い、……
あたまが、まわら、な……」
僕は思い出した。
僕にヴァンパイア体質がなんたるかを教えてくれた、おじいさんの言葉を。
どうして忘れていたかって。
中学生の僕には理解できない、遠回しな言い方だったから。
『いいかボウズ。
惚れた相手ができたら、とりあえず血を吸ってみろ。一発でオチる。
最初の一回は特別に効くからなあ』
『なに言ってんのさおじいさん。
そんなことしたら、ビンタされて警察に突き出されて終わりでしょ』
まさか、そんな。
一発でオチるって、効くって、
こういう意味…!!!
つづく
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