第3話


「すみません、すみません、なんでもないんです、ごめんなさい」


「こいつが転びかけて、暗くてびっくりしたのか、大声出しただけでして」




 駆けつけてきた守衛に、オレと桐生は二人がかりで苦しい言い訳をした。

 深夜に大声を出さないでください、と怒られたが、それ以上守衛に怪しまれることはなかった。

 あんな言い訳が通じてよかった…。




「はあああ………」




 オレと桐生が、ほとんど同時にため息をつく。

 成り行きと勢いで、オレは奇行の主を庇ってしまった。

 まあ…事実そのまま、『こいつがウサギを襲って血を吸っていました』と守衛に言ったところで、信じてくれるとは思えない。




 桐生が噛んだウサギは、何事もなく元気に小屋を跳ねていた。

 殺してはいなかったことに、心底安堵する。




 守衛が持ち場に戻っていくと、桐生は顔を両手で覆ってしゃがみこんでしまった。肩が震えている。

 なぜ、奇行の主がこんな反応をし、目撃した側がそれを見下ろしているのか。

 この場合、怯えて震えるのはオレ側じゃないのか?




「びっくり、した、よね」




 聞こえるか聞こえないかの小声で桐生が言って、オレは「アレを見て驚かない奴がいるのか」と淡々と返した。




「ごめん、……その、……僕、」


「その態度をやめろ。

 なぜかオレがお前を虐めているような気になるだろう。

 場所を移すぞ」




 オレは桐生の手を取って、無理やり立ち上がらせた。

 ウサギ小屋から出て、施錠する。オレはそのまま、ずんずん給湯室まで歩いた。

 勝手知ったる同僚の好み。桐生にブラックコーヒーのマグカップを押し付け、オレは甘めのココアをスプーンでかきまぜた。



「狭い部屋のほうがいいな。生物準備室に行くぞ。

 それでも飲みながら、洗いざらい話せ。

 オレが理解できるまでだ」




 桐生はぽかんとしていたが、少し涙ぐんで、マグカップを大事そうに持った。

 半ば連行するようにオレの巣…もとい、生物準備室に引っ張りこみ、鍵をかけて、桐生のためにパイプ椅子を出してやった。



 飲み頃になったココアをすすると、どうやらオレも緊張していたことを自覚した。甘味が、こわばっていた体をほぐしてくれる。




「で、お前は何をやっていたんだ。桐生」



 互いに長い付き合い。プライベートでは先生呼びも敬語も抜ける。

 桐生はどう答えていいかためらっていたが、オレの眼光に負けたのか、尋問に答える気になったようだ。




「ウサギさんたちには、申し訳ないと思ってる…」



「それはお前の感情であって、行動とは無関係だ。

 何をやっていたかと聞いている」



「ええと、ちょっとだけ…」



「ちょっとだけ?」



「血を、もらってました」




 観念したように自白する桐生だが、それは目視したからわかっている。

 オレが聞きたいのはそこではない。

 なぜ、深夜にウサギ小屋に忍び込んでウサギの血を啜っていたのか。

 どうしてそんな行動をしなければいけないのか。動機は。意味は。

 血を吸われたウサギが、痛そうな様子もなく元気そうだったことも、生物学を研究するものとしては知りたいところだ。




「朝霧は…、その。

 あんな僕を見て、気持ち悪くないの?」




 恐る恐る尋ねる桐生に、オレは鼻で笑った。




「一周回って好奇心が勝った。

 ゾンビみたいにオレにまで襲ってきたなら怖かったかもしれ、…いや、、ゴホン!

 お前は、理由なく小動物を虐待するような奴ではないしな」




 桐生はちょっと笑って、袖口で目をこすった。




「僕、ほんと、社会的に終わったと思った……」



「安心するのが早くないか?

 お前の動機如何では、通報するぞ」



「今更?

 守衛さんからも庇ってくれたのに」



「うっ、あの時は説明が、オレも説明ができる状態じゃなかったから仕方なくだ!」



「ありがとう、朝霧。

 見つかったのが朝霧でよかった。

 ちゃんと話すよ。

 聞いてくれる?」




 穏やかで優しげで、無駄にイケメンな国語教師。

 生徒の人気はいつもトップクラス、授業もわかりやすいと評判がいい、同い年の男。

 生徒の板書スピードを無視して黒板を消すので有名なオレとは対局な、理想の教師。

 六年も同じ職場で働いてきたんだ。

 信じたいと、理由を聞きたいと思って当然だろう、と、そこまで思って。

 B級ホラーまがいの光景を思い出し、よくこいつを信じようと思ったな、と自分に苦笑した。




「僕は、ヴァンパイアなんだ」




 ……………。




 オレの頭の中に、オールバックで貴族服にマントの男やら、満月をバックにした洋風の城やら、棺桶やら、十字架やら、そういうものが高速で走りすぎていった。




「………桐生。

 冗談なら殴るぞ、三発くらい」



「朝霧、具体的な回数が怖い!

 正確に言えば、ヴァンパイアっぽい体質を持った人間です。

 劣性遺伝の突然変異なんだって。

 ベースは人間で、ちゃんと僕は人間です。

 社会に抹殺されそうな体質が多々あるだけで、映画や小説のように人を襲ったりしません」



「そんな体質は聞いたことないぞ」



「公表されてたら、大々的に医学界で発表されてるんじゃないかな。

 僕がそうであるように、みんな身を潜めて生きているんだと思う。易々とカミングアウトできるものじゃないからね。

 僕と同種の人には、過去、一人だけ会ったことがあって。

 僕が何者なのかは、その人に教えてもらったんだ」



「その人とは?医者かなにかか」



「よく知らないおじいさん」



「お前……騙されてるぞ」



「証拠がたくさんあるから!そんな憐みの目で見ないで!

 まず…、ウサギさんから血を吸っても、ウサギさん平気だったでしょ。

 ヴァンパイアの唾液には、びっくりするほどすごい新陳代謝促進効果があるんだ。

 小さい傷は数秒で癒せる。

 鎮痛作用もある。部分麻酔みたいなものかな。感覚麻痺はないみたいだけど…僕は噛む側だからよくわからない。

 傷口は、飲んだ後ゆっくり舐めさせてもらえたらきれいに治せるよ。あとかたもなくなる。

 血はひとくち程度で十分だから、小動物でもほとんどダメージはないと思う」



「確かにな。元気に動いていたしな。

 あのウサギはヴァンパイアに感染しないのか?」



「しません!うつりません!体質であって病原菌じゃないから!

 これは僕の想像だけど、僕のような体質の人をモデルにして脚色したのが、物語の吸血鬼じゃないかと思うよ。

 この体質は先天的なものだから、うつったりしません」




 桐生の話によると、ヴァンパイア体質の人間は、生殖器が安定する第二次性徴あたりから吸血衝動が起こるようになるらしい。

 周期は月に一回ほど。感覚は激しい飢餓に近い。

 生命維持に必要という訳ではなく、一週間ほど堪えれば過ぎ去るらしいが、その一週間の間にもし理性を保てなくなったら、と思うと恐ろしいらしい。

 動物からわずかに血を分けてもらい、今までしのいできたそうだ。




つづく

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