第2話

 深夜の学校は真っ暗で静まり返っている。懐中電灯だけが頼りだ。

 学校の怪談が生まれるのは、こういう静寂の暗闇を、生物が本能的に恐れるからだろう。

 理系の教師をしているオレが、お化けやら妖怪を信じることはない。

 現状で一番怖いのは泥棒だ。人間が一番怖い。襲い掛かってきたら殺されるじゃないか。




 こつ、こつ、こつ。

 自分の足音が廊下に響く。

 教室をひとつひとつ覗いては懐中電灯で照らす。

 そんなに細かには見ない。人の足音とライトだけで十分に威嚇になる。

 毎日こうしていれば、泥棒が来にくくなるという予防の意味もある。




 職員室まで到着し、オレはしばし、自分の席で休憩した。

 一晩で校内全部を回るのではなく、割り当てられた当番の箇所だけでいい。

 校舎からグラウンドから体育館から講堂から、全部回れと言われたら夜が明ける。精神も肉体も死ぬ、無理。

 転勤がなく定年もあいまいな私立高アヤザワは、70歳近い教師もいる。物理的に死んでしまうかもしれない。




 ……さく、さく、……




 オレは硬直した。

 今、外を、グラウンドの土を踏む音がしたような。

 窓を見る。明かりはない。守衛は必ずライトを持っているから、守衛ではない。




 泥棒…!?




 守衛に連絡するか迷った。

 だが、足音っぽいものがしただけだ。空耳かもしれないし、動物かもしれない。

 オレは机を見まわし、武器になりそうなものを探した。職員室の教師の机に武器があってたまるか。ちくしょう。

 教師用のでかい三角定規を持ってみる。重いし、持ち運びに不便すぎる。振るうのも風の抵抗がやたらあって使いにくい。

 結局、ごく一般的なプラスチックの30cm定規をベルトに差していくことにした。ないよりまし程度だ。




 もう一度窓から外を見る。今度は窓に近づいて、ライトで照らしてみた。

 不審者の姿も動物の影もない。

 一階のあのあたりは見回った。施錠の確認もした。窓を破ろうものならセキュリティが発動して警報が鳴る。

 窓を破らず不審者が中に入るとしたら、あの方向は体育館、それから、




 ウサギ小屋。




『知ってる?アヤザワ七不思議のひとつ。

 いじめられて自殺した子が、ウサギの飼育小屋に閉じ込められたことがあってね。

 悔しさのあまり、いじめっ子を呪いながら、ウサギを一羽、また一羽、噛み殺して…。

 殺されたウサギが怨霊になって、いろんな生徒の家に呪いに行くんだって。

 いじめられた子はウサギ小屋から出られないから…ウサギを使ってね……』




 ぞくうっ……

 冷汗が背中を伝って、オレは大きく首を振った。

 馬鹿げた生徒の話を今思い出すな!霊など存在するものか!

 なんだか悔しくなってきた。ありもしない幽霊話で怯えるとか自分が許せん。

 こうなったら、不審者をこの手で捕まえ…、るのは無理だから発見して警報を鳴らしてやる!!!




 オレは、職員室を早足で飛び出した。

 ライトは広範囲を照らさない。だから気づかなかった。

 連絡の手違いで、オレ以外にもう一人、宿直の札がかかっている教師の名前があったこと。




『 小宮山 桐生 』




 オレはいったん校舎を出て、怨霊なる非科学的な噂のあるウサギ小屋に向かうことにした。

 専門の顧問がいない、ゆるゆるの生物部が飼育しているウサギがいる場所だ。

 かつて小さな体育倉庫だった場所を再利用し、風通しよくリフォーム、地面は土にし、定期的に土を交換して衛生管理も怠っていない。

 オスとメスを分けて飼育しているはずが、毎年もさもさと増える。ウサギの雌雄判別は、生後半年までは間違いやすいから、生徒を責めることはできない。

 仕方なく、増えるたびに様々なところへ里子に出している。

 生物部が自分たちの癒しのために飼育しているという、わかりやすい理由の飼育小屋。

 もふもふが溢れるのは魅力的だが、生徒とかち合うと気まずいので、なかなかこれなかった場所だ。




 扉が開いていた。




「………!!」




 ウサギ小屋の扉はいつも施錠されている。

 鍵を持っているのは顧問の俺と部員。職員室にスペアが三つ。それだけだ。

 ピッキングで入った?何故?

 見るからに金目のものがなさそうなおんぼろ小屋に?

 怨霊…はいない!存在しない!!怨霊だったら扉は開けずにすり抜けるはず、ああ違う怨霊じゃないと言ってるだろう!!




 オレは額の汗をぬぐいもせず、息を殺して近づき、扉の隙間から小屋を覗いた。

 人影があった。金網の中、ウサギがいる場所に立っている。

 体格は男。…怨霊じゃなかった。

 いや、ほっとするな!生命の危機は怨霊より不審者のほうが上だ!




 男はしゃがんで、ウサギを一羽、抱きかかえた。

 男が持ち込んでいたらしいペンライトが、一瞬顔を照らす。




 小宮山桐生だった。




「はあ…、はー、はぁ…っ」




 桐生は苦しそうな荒い息遣いを飲み込みながら、優しくウサギを撫でた。

 飼育小屋のウサギは人慣れしていて、怯えない。

 そんなウサギに桐生は口を近づけ……




 噛んだ。




 ずちゅ…、とかすかな水音。

 なぜかウサギは抵抗しない。死んだのか?

 ごくん、と桐生の喉が嚥下する。




「ごめんね、ウサギさん。ありがとう。

 これで今月もしのげるよ」




 桐生は口元をぬぐい、大きくため息をついた。



 脳が視界情報を拒否し、オレはよろめいた。

 扉に体が当たり、がたんと大きな音がした。

 桐生がはっと振り返る。

 オレと桐生の目が合った。






「うわああああーーーーーー!!!」






 闇をつんざく悲鳴をあげたのは、桐生のほうだった。




 つづく

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