【BL】同僚がヴァンパイア体質だった件について

優夢

プロローグ 始まりは逆転ホラー

第1話 見てはいけなかった

 見てはいけなかった。

 そこに踏み込んではいけなかった。



 オレは額の汗をぬぐいもせず、息を殺して扉の隙間から覗いた。

 人影があった。男だった。



「はあ……、はー……、はぁ」



 苦しげな荒い息。

 男はそれに口を近づけ、



 噛んだ。



 かすかな水音。ごくん、と嚥下するのが見えた。

 男の唇に、ほんの一瞬赤い痕が残り、ライトの灯りでかすかに光った。



 オレと男の目が合った。



「うわああああーーーー!!」






 他校と比べ、制服がおしゃれでセンスがいいと評判の『私立アヤザワ高等学校』。

 前理事長の苗字は『彪澤(あやざわ)』。読みやすさを考慮してカタカナになったらしい。



 オレは校門前であくびを噛み殺し、軽く肩を回した。

 時間は午7時30分。朝の生活指導、開始時刻だ。



「おはようございます、朝霧先生。

 今日も一日頑張ろうね」



 笑顔で挨拶してくるこいつは、オレと同じく今週の生活指導当番、国語教師の小宮山こみやま 桐生きりゅう

 長身でイケメンの優男。穏やかな態度と口調。前向きで頑張り屋で生徒の心に添う、教師の鑑だ。

 唯一残念なのは髪型だ。伸びっぱなしの髪を強引にセンター分けにし、後頭部はスズメのしっぽのようにヘアゴムで束ねている。散髪代の節約らしい。



「テープの用意は頼むぞ。桐生先生」


「大丈夫、ちゃんと持ってきてますよ」



 繰り返すが、こいつの名前は小宮山こみやま 桐生きりゅう

 小宮山こみやまが苗字で、桐生きりゅうが名前だ。

 こいつが赴任した日、理事長が桐生、桐生と読んでいたからてっきり苗字だと思った。「桐生先生」と呼びかけたら先生方がざわついた。

 朝のミーティングで「小宮山桐生です」とこいつが自己紹介した時の、オレの立場のなさといったら……。



 間違って呼んだのではない、緊張をほぐすため、フレンドリーなほうがいいかと、年齢も同い年だし、……などなど。

 オレは先生たちに言い訳をしまくって後戻りできなくなった。あれから六年。

 オレが桐生を桐生と呼ぶのは、今や普通のことだ。

 あの時「間違いました、すみません」と頭を下げれば済んだことなのに!



「おはようございます、朝霧先生」



 生徒が軽く会釈してオレの横を通り過ぎていく。オレも「おはよう」と返す。

 オレと生徒の関係はこんなものだ。

 それに比べて。



「きりゅたん、おっはよー! 今日のしっぽ攻撃、そーれぇ!」


「うわあ! しっぽ引っ張らないで! 痛いし腰に負担くるからやめてえぇ」


「その歳で腰とか、あははは! きりゅたん、おっさーん」


「みんなに比べたら正しくおっさんだから、いいんです!」



 束ねた後ろ髪を女生徒に引っ張られながら、きゃいきゃいと戯れる桐生。

 生徒からは親しみを込めて『きりゅたん』と呼ばれている。

 見くびられているようにしか思えないが……。



「おっと、そろそろかな」



 桐生が学校の大時計を見上げると、ちょうど予鈴、7時50分のチャイムが鳴った。

 アヤザワは、8時までに校門をくぐればセーフ。

 本来は8時までに教室で着席しておくこと、という校則だったはずだが、ずるずるになっている。



 予鈴を聞いて、校門前の生徒が早足になる。

 校門前は走ってはいけないという校則のため、遅刻寸前でも、生徒は競歩のように気合で歩く。

 生徒が転倒し怪我をした過去があるので、この校則は厳しい。走ったのを見られた時点で遅刻扱いだ。



「桐生先生、そっちのテープをそろそろ」


「うん。しっかり持ってね」



 桐生とオレが紙テープの準備をし始める。生徒たちがざわつく。競歩の足が速度を増す。

 アヤザワ高校名物、『決して切ってはいけないゴールテープ』。

 実際はそんな名前ではない。遅刻を示す線引きだ。

 8時ちょうどに、教員二人が校門前で紙テープを持つ。それ以降に校門をくぐった生徒は遅刻になる。

 ギリギリに飛び込まれても紙テープがちぎれるだけ、生徒の安全を優先した措置だ。



「はーい、残念でした、これ以降は遅刻ー!」



 桐生が紙テープをぴんと張ると、生徒から落胆の声が上がった。

 オレと桐生は手分けして遅刻者の名簿を作り、ひととおり注意を促した。

 一回目は注意のみ。二回目は放課後の補習。三回目以降は補習に加えて、学校を一回欠席扱いとなる。

 一か月でリセットされるので、生徒は、一か月に二回までセーフとかのたまっている。



「今日は六人か。少なかったね。

 お疲れさま、朝霧先生」


「七人だ」



 オレは、校門の壁際に張り付いて隠れている生徒を捕まえた。

 8時を大きく過ぎて登校した場合、午前中の病欠扱いとなる。

 丸一日欠席になるより半日の欠席のほうがマシだと、こういうセコい手を使う奴がいる。



「朝霧せんせえ、み、見逃してえ……!」


「月に三回も遅刻する奴を見逃せると思うか。

 社会人だったらクビも覚悟だぞ。

 学生だから許されると思って、甘んじて罰を受けろ馬鹿者が」


「きりゅたん! たすけて……!」


「ごめんね、助けられません。補習で反省しよっか?」


「ふええええん」



 朝の生活指導を終え、職員室へ移動する。

 教師は忙しい。生徒がうらやましくなるほどに。

 まずは教師全員のミーティング。伝達事項、本日の予定。欠席している教師がいたら、穴埋めを誰がするかも決める。

 続いて教科ごとのミーティング。オレは生物、物理、化学などを担当しているので理系の先生方で集まる。

 学年単位での授業の進行具合や調整を簡単に話し合う。



 それが終わればホームルーム。

 三年の担任だった先生がぎっくり腰になり、副担任のオレが急遽ピンチヒッターとなった。最悪だ。



 それから授業。授業の合間にプリント作りや小テストの添削や授業方針計画書……。

 たまにオレが生物準備室に引きこもっても、誰も文句を言わない。毎日が激務だ。



「やることが、やることが多い……!!」


「朝霧先生、お疲れ様。

 コーヒー飲む? 朝霧先生はココアのほうがいいかな」



 机に突っ伏すオレの隣で、プリントを作っていた桐生が心配そうな顔をする。

 こいつとオレとの大きな違いは、心から教師の仕事を楽しんでいることだろう。



 オレは大学生の頃、院生として残るか就職するか迷っていた。

 泥沼だった教授戦を勝ち抜けると思えなかったし、自分の能力を発揮したくもあって、就職を選んだ。

 研究施設がある企業を端から端まで受けて、見事に全滅した。

 あわや就職浪人というところを、アヤザワの現理事長、大山おおやま 萬太郎まんたろうが拾ってくれた。

 オレの父親と仲がいいんだそうだ。つまりは縁故採用。単位のついでの教員免許が役に立つとは思わなかった。



 仕方なく教鞭をとったオレだが、悪いことばかりではなかった。

 ここは私立高。給料がものすごくいい。

 部活の顧問をしなくていい。これは最高だ。公立の学校ではありえない。私立万歳。

 一応、名前だけは教師も顧問記載があるが、実際は理事長がスカウトしたセミプロやら引退した専門家やら、臨時教員が行っている。

 専門家が部活を指導するという魅力を前面に出し、生徒数を増やす、つまり広告。

 制服が生徒受けするデザインなのも、人寄せのため。

 もと大企業の社長である理事長は、教育の知識は皆無だが、経営術には長けているようだ。



 公立学校にはない仕事もある。

 宿直当番である。

 理事長が好き勝手するアヤザワ高校には、やたら価値ある美術品や資料が多いらしい。

 授業で使うことはない。理事長の趣味だ。

 24時間体制で守衛がいるが、それだけでは不安だと(理事長のわがままで)、夜は教師が交代で宿直をすることになった。

 月に一回か二回の我慢だ。夜勤手当も出る。

 宿直室は二段ベッド、女性用と男性用に分かれている。用務員がこまめに布団を干していて、寝心地はわりといい。

 シャワールームに、消音機能付きドラム式洗濯機。仕事が終わらない教師がたまに利用している。教職員は自由に利用できる設備だ。



「暗いな……」



 深夜の学校は真っ暗で、しんと静まり返っている。懐中電灯だけが頼りだ。

 学校の怪談が生まれるのは、こういう静寂の暗闇を、生物が本能的に恐れるからだろう。

 理系の教師をしているオレが、お化けや妖怪を信じることはない。……ないぞ?



 こつ、こつ、こつ。

 自分の足音が廊下に響く。

 教室をひとつひとつ覗いては懐中電灯で照らす。

 そんなに細かには見ない。人の足音とライトだけで十分に威嚇になる。毎日こうしていれば、泥棒や不審者避けとして及第点だろう。



 職員室に到着し、オレはしばし自分の席で休憩した。

 一晩で校内全部を回るのではなく、割り当てられた箇所だけでいい。全部回れと言われたら夜が明ける!



 ……さく、さく、……



 ……今。

 外を、グラウンドの土を踏む音がしたような。

 窓を見る。明かりはない。守衛は必ずライトを持っているから、守衛ではない。



 泥棒……!?



 守衛に連絡するか迷った。

 だが、足音らしき物音がしただけだ。空耳かもしれない、動物かもしれない。

 オレは机を見回し、武器になりそうなものを探した。職員室の教師の机に武器があってたまるか。ちくしょう。

 教師用のでかい三角定規を持ってみる。重いし、持ち運びに不便すぎる。振るうのも風の抵抗があって使いにくい。

 結局、ごく一般的なプラスチックの30cm定規をベルトに差していくことにした。ないよりましだ。



 もう一度窓から外を見る。窓に近づいて、ライトで照らしてみた。

 不審者の姿も動物の影もない。

 一階のあのあたりは見回った。施錠の確認もした。窓を破ろうものならセキュリティが発動して警報が鳴る。

 窓を破らず不審者が中に入るとしたら、あの方向は体育館、それから、



 ウサギ小屋。



『知ってる? アヤザワ七不思議のひとつ。

 いじめられて自殺した子が、ウサギの飼育小屋に閉じ込められたことがあってね。

 悔しさのあまり、ウサギを一羽、また一羽、噛み殺して……。

 殺されたウサギは怨霊になって、いろんな生徒の家に呪いに行くんだって。

 いじめられた子はウサギ小屋から出られないから……ウサギを使ってね……』



 冷汗が背中を伝う。オレは大きく首を振った。

 馬鹿げた話だ。霊など存在するものか!

 なんだか悔しくなってきた。ありもしない幽霊話で怯えるとか自分が許せん。

 こうなったら、不審者をこの手で捕まえ……、るのは無理だから発見して警報を鳴らしてやる!!



 オレは職員室を早足で飛び出した。

 ライトは広範囲を照らさない。だから気づかなかった。

 連絡の手違いで、オレ以外にもう一人、宿直の札がかかっている教師の名前があったことを。



『 小宮山 桐生 』



 オレはいったん校舎を出て、怨霊なる非科学的な噂のあるウサギ小屋に向かうことにした。

 専門家の顧問がいない、ゆるゆるの生物部がウサギを飼育している。ちなみに顧問はオレだ。

 かつて小さな体育倉庫だった場所を風通しよく、衛生管理に気を遣ってリフォームした。

 生物部が己の癒しのために飼育しているという、わかりやすい理由。

 もふもふが溢れるのは魅力的だ。もふもふは正義だ。だからオレは、わざわざ生物部の顧問を選んだのだ。



 扉が開いていた。



「………!!」



 小屋の扉は施錠されている。ウサギの逃亡防止のためだ。

 鍵を持っているのは顧問のオレと部員。職員室にスペアが三つ。それだけだ。

 こんなところに何故。見るからに金目のものがなさそうなおんぼろ小屋に。

 怨霊……は、いない! 存在しない!! 怨霊だったら扉をすり抜けるはず、ああ違う怨霊じゃないと言ってるだろう!!



 オレは額の汗をぬぐいもせず、息を殺して近づき、扉の隙間から小屋を覗いた。

 人影があった。金網の中、ウサギがいる場所に誰か立っている。

 体格は男。怨霊じゃなかった。

 ほっとするな! 生命の危機は怨霊より不審者のほうが上だ!



 男はしゃがんで、ウサギを一羽、抱きかかえた。

 男が持ち込んでいたペンライトが、一瞬顔を照らす。



 小宮山桐生だった。



「はあ……、はー、はぁ……っ」



 桐生は荒い息遣いを飲み込みながら、優しくウサギを撫でた。

 飼育小屋のウサギは人慣れしていて、怯えない。

 そんなウサギに桐生は口を近づけ、



 噛んだ。



 ずちゅ……、と、かすかな水音。

 なぜかウサギは抵抗しない。死んだのか?

 ごくん、と桐生の喉が嚥下するのが見えた。

 桐生の唇に、ほんの一瞬赤い痕が残り、ライトの灯りでかすかに光った。



「ごめんね、ウサギさん。ありがとう。

 これで今月もしのげるよ」



 桐生は口元をぬぐい、大きく息をついた。



 脳が視界情報を拒否し、オレはよろめいた。

 扉に体が当たり、がたんと音がした。

 桐生がはっと振り返る。

 オレと桐生の目が合った。



「うわああああーーーー!!」



 闇をつんざく悲鳴をあげたのは、尻もちをついた桐生のほうだった。



小宮山 桐生 ヴィジュアルイメージ

https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093085253467466


朝霧 令一 ヴィジュアルイメージ

https://kakuyomu.jp/users/yurayurahituji/news/16818093085308872217



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