第2話 相剋

「若!取り巻きの狒狒は我らにお任せを!若は敵首魁をお頼みいたします!」


夜叉の部下の中でも唯一の紅一点、ヒノエが取り巻きの狒狒に対峙しながら夜叉に

声を掛けると夜叉は白狒狒から目線を外さすに短く「おう」とだけ応えた。

白狒狒も夜叉を睨(ね)め付ながら、すぐに襲ったりせず隙を伺っている


夜叉はその間白狒狒を正面に捉え続けるようにじっくりと観察する。

体中に傷があり筋骨隆々、しかし背中に傷は一切ない老いた狒狒。

まさに古強者(ふるつわもの)といった所だろう。


一目見てその威風堂々たる風格は、熟練の冒険者や侍でも対峙すれば

たじろぐ程なのだが、夜叉はまるで臆することなくそれどころかニヤリと

不敵な笑みを浮かべると、自慢の愛刀の背でポンポンと肩を叩きながら

そのまま深く腰を落とした。

相対する狒狒は仁王立ちしながらゴキゴキと首を鳴らし、紫色の光る眼光を

夜叉に向け、威嚇なのかカカカカっと歯を鳴らしてみせる。


そうして狒狒は前足を下ろすと夜叉を中心にゆっくりと円を描くように

周回しはじめる。その姿はまるでアウトボクサーがリング上をけん制

しながらステップを踏むかのように、徐々に速度を上げて行く。


夜叉の頭上の木の水滴がポタリと彼の鼻の先に落ちた瞬間、フっと白狒狒が

夜叉の視界から完全に消えた。

右回りにゆっくり周っておいてから急に逆方向に素早く飛ぶことで、

その速度の緩急で視界から消えたように見せる。

知能の高い老獪な狒狒らしい高度な戦術だった。

飛んだ先の樹に体を横にして着地すると、そのままの勢いで樹を蹴るとまるで

暴れるロケットの様に木々を次々移動して夜叉の背後を取り、腕を振りかぶった。


この攻撃で倒れなかった相手は今までいなかった。当然今回も相手は吹き飛び

絶命するのだろうと白狒狒は脳内でリアルにイメージした。

『仕留めた』彼はこの瞬間(とき)そう確信していたが、その太い二の腕から

繰り出される凶悪な攻撃は虚しく空を切っていた。


その代わりに彼の右目はザックリと深い刀傷をつけられ血が噴き出ていた。

完全に捉えていた相手は忽然と消えており、自分が深手を負わされている事に

驚愕するが、ぞわりとした視線を感じ狒狒は即座に飛びのいた。


白狒狒は右眼から噴き出る黒い血を手で押さえながら、夜叉の姿を探す。

いくら探しても血の噴き出る緩慢な視界では相手が見つからず狒狒は

無意識に残った左目で逃げ道を探す。

眼に深手を追い、本能的に撤退するか判断に迷っていると今度は左肩に

違和感を覚える。肩が燃える様に熱いのだ。


白狒狒はとっさに自分の左肩を見て目の玉が飛び出るほど驚愕する。

そこには狼が噛みついていたのだ。その鋭い犬歯がメリメリと食い込んでいく。

今の今まで全く気配すら感じなかったのにいつのまにかその狼はいた。

白狒狒は何故か先程の勇ましい姿からは想像もできぬ程取り乱していた。


「白狒狒よ、残念だったな。俺の相棒はお前を逃がすつもりは無いようだ。

確か狒狒族の天敵だったよな?しかもよりによってそいつは血の気の多い

フェンリル種だ。」


声だけするが姿の見えない夜叉にキョロキョロと辺りを見回す白狒狒は

無意識に考えていた。「こんなはずではなかった、どうしてこうなった」

いつもの簡単で退屈な狩りのはずだったのに。

ほんの数秒で致命的なまでに追い込まれている事に後悔さえしていた。


弱いはずの生物『人間』

白狒狒とっては人間なぞ取るにならない存在だと思っていた。

彼にとっては人間は只の食料の一つとしてしか見ていなかった。

それがどうだ。ほんの一瞬の油断でその人間に右目を潰され

しかも唯一苦手としている狼に肩を現在進行形で噛みつかれている。


この世界には種族間同志において天敵、どうあっても抗えない相剋(そうこく)と

呼ばれる非常に相性の悪い敵がいる。所謂(いわゆる)天敵という存在だ。


この世界では狼を天敵とする魔獣は少なくない。


狒狒もその内の一頭で、白狒狒は幼い頃に両親を狼に喰い殺されていた。

普段は樹上で生活している狒狒は、夜行性で真夜中に食料確保の為樹から

降りる事もある。

その時に運悪く狼の群れが茂みに隠れており、あっという間に囲まれた親は

お腹を空かせた狼たちに、生きながらにして内臓を食いちぎられる様を

木の上で震えながらまざまざと見てしまった彼は、樹上では王として

振舞っていても、狼だけには適わないと刷り込まれてしまったのだ。

だから殊更に恐れていた狼が狒狒は恐ろしくて仕方がなかった。


しかも狼でも神話の時代から続くこのフェンリル種に至っては【神殺し】という

この世で唯一無二のS級天恵(ギフト)を持っている。


これは自分より体格の大きい物、もしくは自分よりも強い者に対して無敵という

でたらめな能力をもっていて、遥か昔の神話時代には神さえ討ったとされている。


夜叉が相棒と呼んでいる『雪風』は原生の狼種としては大柄に見えるが

フェンリル種としてはまだまだ幼体だ。

だがその幼体であっても顎の力は普通の狼の成体と比べてもなお何倍も強く

易々と狒狒の大きな肩を食いちぎった。

焦った狒狒は雪風めがけて拳を上からブンと振り下ろすも、難なく交わされ

あろうことか雪風はその腕を駆け上がり喉笛に嚙みつくと、ぶら下がりながら

メリメリと鋭い犬歯が深く刺さっていく。


その激痛に耐え兼ね狒狒は片膝をズシンとつき雪風を引きはがそうとその手を

伸ばすが、雪風は軽やかに身を躱し、少し離れた場所に着地した。

その時いつの間に背後に回ったのか夜叉がそのまま愛刀を視えないほどの速さで

横薙ぎに薙ぐと白狒狒の首をスパンと綺麗に跳ねられ空中を舞った。


その首がゴトリと地面に転がったタイミングで、大将首をあっさり討ち取った

夜叉に気づいた部下が声を掛ける。


「若!!・・・・・ご無事で?」


「ああ、俺が戦うまでもなかったようだがな。全く・・・・フフ。

流石の天白狒狒といえど雪風にとってはただの獲物のひとつにすぎなかったようだ。

これで幼体とは全く末恐ろしいな」


白狒狒が倒れたと見るや、不利だと察したのか他の武士たちと交戦していた

下っ端の狒狒達は一斉に大声を上げると、樹に駆け上がり逃げ去っていく。


狒狒達が去っていくのを確認した鳶丸が夜叉に駆け寄り、一緒に雪風を見る。

夜叉の視線に気づいた雪風は、少し自慢げに尻尾を振りながら近寄ると

自分の頭を彼の手に潜り込ませ、撫でろと催促する。

夜叉は少し笑みを浮かべながら、雪風の頭を優しく撫でてやるとブンブンと

より一層尻尾を振る。こうしてみればまだ幼体なのだなと2人は笑う。


「夜叉、待たせたわね。降りるわよ」


依子に声を掛けられて2人が振り返ると、彼女はそのまま目も合わさずに高台から

降りていきすぐに姿が見えなくなってしまった。

「おい!瘴気は?」と夜叉が慌てて声を掛けるが、返事はない。


2人は顔を見合わせてから、部下たちを引き連れて依子が降りて行った方に

駆け寄り高台から下を覗くと、あれだけ濃かった魔素と瘴気がすっかり晴れていた。

夜叉は一瞬怪訝な顔をすると、一人でズンズンと街の中心部へと歩いて行く

依子を見つけ、夜叉達も雪風を伴って急いで崖を滑り降りていく。


「ちっあの女。勝手に先に行きやがって。よしお前ら行くぞ。油断するなよ」


一人先を進む依子を追って夜叉達も街へ降り立つと、人の気配のしない静まり返った

街の様子に言葉に出来ない妙な既視感のようなものを感じた。


「なんなんだこの街・・・・何か嫌な予感がしやがるぜ」

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