依子と夜叉

野々宮のの

第1話 大奥山の白髭

「これは・・・・・・思ってた以上に過酷な状況ね。たった三か月でこれほどまで・・・・」


依子はそう呟くと眉間に皺を寄せながら思わず口元を手で覆った。

高台の安全な場所に居てなお咽返るような濃度の瘴気は、まさにこの世の終わりを

見ているかのようだった。

見知った街の様変わりしてしまった様子に、誰もが声を上げる事も出来ずにいた。


『ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!』


皆の声を代弁するかのように先程から魔素濃度を測る測定器が悲鳴を上げている。

濃度の濃い魔素が充満する土地は『魔素溜まり』と呼ばれ魔獣共を呼び寄せ

大地は腐り大気は穢れ、最期には人体に有害な瘴気へと変質する。

そうなってしまえばクレリックの浄化魔法程度では、元の清浄な状態に

戻すのに少なくとも10年以上の歳月を要するとさえ言われている。


依子の横で仁王立ちしていた夜叉は忌々しそうに鳴り響く”それを”偵察兵から

乱暴に奪い取ると、たちまち片手でぐしゃりと握りつぶしてしまった。


「おい。護衛を引き受けはしたが、わざわざでかい音を出して魔物を引き寄せるような

馬鹿な真似は止めろ。別料金を貰うぞ?」

「ちょっと!壊さないでよ!高いのよ?それ。まあうるさいのには同意だけど、

一応正確な数値を見るには便利なんだから。」


依子は呆れたように片眉を上げながら夜叉を見上げると、彼は「ちっ」っとわざと

聞こえる様に舌打ちをして吐き捨てる様に言った。


「俺達はプロだ。どんな魔物だろうがぶっ倒せる自信はあるが、護衛対象にその

自覚が無ければ守れるものも守り切れん。それとこのくそったれな瘴気だ。

いくら俺達が優秀だと言ってもこんな環境では進むこともままならん。

あんたお得意の召喚術とやらで、とっとと何とかしてくれ。」


「簡単に言ってくれるわね。召喚術だって万能じゃないのよ?。この魔素の発生源を

特定できない事には一時凌ぎにもならないわ。

今バードキャッチャーを出すから、周囲を警戒して。この子を召喚している間私は

無防備になる、いざというときは頼むわよ?」


「ああその辺は専門だ任せておけ。良しお前ら、対象の周りを囲むように周囲を

哨戒するんだ。この辺は魔素濃度が濃い。何が起こるかわからんから気を抜くなよ。」


「「承知!」」


夜叉がそう指示を出すと、一緒に茂みに隠れていた黒い甲冑の武士達が気配を殺しながら

依子を中心に周囲に散開していく。


夜叉が率いるこの部隊は海千山千の猛者たちだが、これほどの濃度の瘴気の中では

ただの小鬼族(ゴブリン)であっても変質し脅威になりえる。

ただの哨戒行動であるとはいえ、気を抜けば思わぬ大けがを負う事もあるので

いつもは軽口を叩きあう彼らも今日は押し黙り、辺りを警戒している。


「・・・・・・・・召喚、バードキャッチャー」


依子は茂みの中でしゃがんだまま地面に手をつくと、青白く光る召喚陣が浮かび

上がり、依子の背後から無数の小鳥たちが突風の如く一斉にバサバサと羽音を

響かせながら大空へ飛んでいった。

その様子をさっきの突風で靡く髪を抑えながら見送ると、彼女の眼前の空間に

次々に四角くて淡い光を出すPCのモニター映像のようなものが出てくる。


精霊バードキャッチャー。


光の精霊の一種でその姿はまるで小鳥のキビタキのような外観だ。

鮮烈なオレンジ色のお腹の体毛が特徴で、翼は全体的に黒いが白の差し色があり、

とても美しい見た目をしている為、召喚獣としての人気が高い。

この精霊の能力は自分の視覚情報を仲間同士で共有する事ができ、それは召喚士で

あっても同様だ。また優れた魔力感知能力を有しており、なんと魔素を視覚化して

見る事ができる唯一無二の存在だ。


「やっぱり酷い汚染具合ね・・・・あまりの濃度に魔獣どころか生物自体住めない穢れた

土地になってしまっている。一体何をすればこんな事に・・・・」


依子は10体の精霊から送られてくる視覚情報を、目の前に展開された複数の

モニター映像で確認していく。

そこかしこが濃い紫色の霧のような瘴気に覆われていて、街の様子がぼんやりと

した輪郭程度しかわからない程だ。

彼女はその一つ一つを注意深く観察し、発生源を探っていく。


彼女はこの行動を苦も無く自然にやってのけているが普通はいくら小型の召喚獣

とは言え制御するには細かな伝達信号を送らなくてはならないので2体操れれば

上出来だ。それを彼女は10体同時にコントロールしている。

大きくて強い召喚獣を召喚した者が称賛されがちな昨今、彼女の様な熟達の技は現代では失われかけている。これこそが召喚士としての到達点だというのに。


それからどれほどの時間が経過しただろう。彼女の額にじんわりと汗が滲んできた頃にひとつのモニターを見て少し表情を変える


「む?これは・・・・恐らく街の中心地、地図で見た教会のある広場の辺りかしら?

まるで湧き水の様に魔素があふれ出ている地点がある・・・・・これは・・・・まさか・・・・」


他のバードキャッチャー達もその地点に集合させ、詳しい解析をしようと彼女が

命令を出そうとした瞬間、突如ゴォン!!と背後から轟音が響くと近くの木に

止まっていたであろう野鳥たちが一斉に羽ばたいていった。


何事かと振り返ると、夜叉の部下である一人が2メートルはあろうかという巨大な

白い毛並みの狒狒の魔獣に襲われ辛うじて刀で防いでいるのが見えた。

狒狒は爛々と獰猛そうな瞳を輝かせ、屈強そうな武士と力比べをしている。

やがてそれにもすぐに飽いたのか、狒狒は2足歩行をしていた足で前蹴りすると

武士はたまらず吹き飛んで依子の横の木に激しく激突した。


「おい鳶丸!無事か?む・・・?こいつは確か・・・大奥山の白髭『天白狒狒』か?

聞いてたよりでかいな!!」


「問題ありません、若。ちょっと撫でられただけです」


狒狒に吹き飛ばされた鳶丸と呼ばれた武士は、5メートルは吹き飛ばされたように

見えたが何事も無かったかのように、ムクリと立ち上がった。

夜叉は鳶丸が無事である事を確認すると、腰に差した大刀をおもむろにスラリと

引き抜くと上段柳の構えを取る。

鋭い殺気を放つ夜叉に、鳶丸に追撃をしようとしていた白い狒狒は思わずざっと

後ろに飛びのいて、威嚇なのか二足歩行で上体を起こし自分を大きく見せる。


『グオオオオオオオオオオオオオオォォォォンンンン!!!』


白狒狒は肺が膨れ上がるほど息を大きく吸い込んだかと思うと、大きな咆哮を

上げる。ビリビリと空気が振動したかと思うと、今までどこに潜んでいたのか

ザザザっと夜叉達の周囲の木々が揺れ、狒狒の仲間なのか黒っぽい狒狒達が

あっとい間に集まり数秒と経たぬうちにすっかり囲まれてしまった。


「ふん、この猿畜生は悪知恵だけは働きやがるな。いいだろう存分に相手してやる。

おい女、こっちは俺に任せてあんたは瘴気の方を何とかしてくれ」


「依子よ。それと言われなくても元よりそのつもりよ」「上等だ」

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