アレルとのデート ③
人工の巨大樹か、あるいは世界樹と呼ぶべき形状をしたラノーグ城は、枝葉めいて伸びた部分の一つ一つに、強化ガラスで覆われたドームを備えている。
それぞれがスタジアムシップ一つほどの大きさを備えるドーム内には、植物園や水族館など、民たちに憩いを与える施設が存在しており……。
現在、ユーリたちがいる動物園もまた、その一つであった。
そんな動物園内に存在するライオンが飼育されている檻……。
その前に立ったジョグは、しらけた様子で折り畳み式のコームを取り出すと、独特な形に固められた赤髪を整え始める。
そして、パチリという音と共にコームを畳むと、こう言ったのだ。
「なあ、オイ……動物園っていうのは、初めて来たし、ライオンを見るのも初めてなんだけどよ……。
ライオンってのは、百獣の王なんだろ?
オレの目には、だらしなく寝っ転がってるだけのでけえネコにしか見えねえんだがなあ……」
彼が言った通り……。
眼前の檻で飼育されているライオンたちの姿は、実にのんべんだらりとしたものであった。
地面へ寝っ転がったまま、ろくに動こうとすらしていないのだ。
檻の向こうにいる人間たちは見えているはずだが、敵意を向けてくることも、逆に忌避してくることもない。
――失われた野生。
この言葉が、実にしっくりとくる有り様なのである。
「動物園で飼育されている肉食獣なんていうのは、あんなものですよ?
餌の心配もなければ、外敵に怯える必要もない。
加えて、そう広くもない檻で毎日過ごしていれば、ああもなるでしょう」
「外敵の心配がないなんてのは、野生でも同じだろ?」
「そうでもないみたいですよ。
百獣の王といっても、勝てない獣は生息圏にいたし、餌の心配は常にあったみたいです」
エリナの解説を受けても、なおも食い下がるジョグに対し、ユーリは携帯端末で調べたライオンの生態を告げた。
正直な話……。
この光景にガッカリしているのは、ユーリとて同じである。
光から、酸素に至るまで……。
何もかもを自分たちで作り出さなければならず、かつ、同胞の絶対数が限られているハイヒューマンにとって、動植物というのは、デジタルギャラリーの中でのみ触れ合える存在であった。
そこから飛び出し、こちら側へ流れ着いた後も、戸籍すらないユーリに待っていたのは食うや食わずやの過酷な生活……。
とてもではないが、花々や動物を観賞する余裕など持てずにここまで来たため、エリナの提案で動物園を訪れることになった時は、少しばかり気分がアガっていたのだ。
が、現実はこうであり、世の中の厳しさというものを思い知ることになったのである。
「はあん? そういうものかよ。
なんだか、もったいねえなあ」
そう言われても、当のライオンからすれば、知ったことではないだろうが……。
最強とうたわれる肉食獣を見ながら、ジョグがぼやく。
「これなら、一緒に乗せてきた憲兵たちの方が、よっぽど迫力あるぜ」
「まあ、あちらは、最悪の場合、荒事になることも覚悟してきてるでしょうから」
ジョグの言葉に答えたエリナが、ちらりと視線を向ける。
そこで、動物を鑑賞することもなく、イヤホンに手を当てていた男たち……。
スーツ姿の彼らは、皇帝直属の憲兵であった。
今回、調査の対象となっているのは、ラノーグ家の行政及び軍事組織と、直営の企業群であり……。
ラノーグ城内に存在する動物園のような施設は、対象外となっている。
それでも、一応は抜かりなく、少数の人間が配置されているのだ。
「まあ、アレル様が暗殺を考えるとも思えませんから、その覚悟は取り越し苦労に――」
瞬間……。
うなじの辺りに、チリリとした感覚が走る。
ハイヒューマン特有の感覚が、向けられた攻撃的意識を察知したのだ。
それを放ったのは、今見た――憲兵。
視線をこちらに向けるようなヘマはない……。
だが、こちらに割かれた意識を、ユーリの感覚は鋭敏に感知していた。
「二人共、こっちへ」
「? どうしました?」
「便所か?」
そんなことなど露も知らないエリナとジョグに促し、歩き出す。
向かったのは、おみやげものを扱うショップである。
ただし、城が半ば封鎖された状態でも観光客で賑わう店内に入るのではなく、店の裏手を目指した。
「こんなとこ連れてきて、どーすんだあ?」
ジョグの問いかけと、不思議そうなエリナの視線には何も答えず……。
ただ、ユーリは爆発する。
素早く身を屈めて反転すると、こちらを追いかけてきた憲兵二人に飛びかかったのだ。
「――なっ!?」
動物園に配置されていた憲兵は――二人。
その内一人が、驚きの声を上げた。
だが、遅い。
跳躍したユーリの回し蹴りが、彼の頭をしたたかに打ち据える。
ただの子供が放った蹴りではない……。
通常の人類より遥かに優れた身体能力を誇るハイヒューマンが、渾身の一撃を見舞ったのだ。
これを喰らった憲兵は、綺麗に半回転し、地面へ頭を打ち付けた。
「――くっ!」
すぐさま懐へ手を入れたのは、訓練の賜物だろう。
だが、残る一人の動きも、ユーリからすれば実に緩慢なものである。
拳銃が抜かれるより早く背後に回り込み、相手の片腕をねじ上げた。
そのまま、筋力差にモノを言わせて地面に押し込む。
――ゴキリ。
……という嫌な感触と音が、押さえ付けた手から伝わってくる。
関節を極めると同時に、これを外したのだ。
「――静かに。
なぜ、こんなことをしたのか言わなければ、もう片方の腕にも同じことをします」
もはや、肉体的にも精神的にも、憲兵は完全制圧されており……。
観念した相手は、たやすく口を割った。
「……アレル公爵の抹殺指令が出た。
が、いるはずの庭園に彼の姿はない。
カミュ嬢もだ。
共謀して逃走した可能性があるため、君たちに話を聞こうとした」
――ガッ!
言い終えた憲兵の顔面を打ち付け、気絶させる。
「エリナさん。
お嬢様と連絡を」
「え、ええ……」
荒事を目にし、顔面蒼白となったエリナが携帯端末を取り出す。
そして、これを耳に当てたが……。
「……出ません。
電源を切っているようです」
「なあ、オイ。
一体、こいつは――」
「――お嬢様の身に、危険が迫っているということです。
ボクらは、艦に向かいましょう」
まだ状況が飲み込めていないジョグへ、ユーリは素早く告げたのであった。
--
――チリリ。
……という静電気めいた感覚がうなじに生じ、俺は顔を強張らせた。
「どうされました?」
隣を歩くアレルが、ジェラート片手に訪ねてくる。
かの有名な映画において、ヒロインは広場の階段でジェラートを食べたらしいが、今は景観を守るために禁じられており……。
目当てのジェラートを手に入れた俺たちは、広場内を散策しながら氷菓の味を堪能していたのだ。
「いえ、少し気になることが……」
表情を元に戻し、ジェラートの味わいで幸福に包まれる女子を演じてみせた。
やっててよかった、演技のレッスンということである。
もちろん、演じながらも素早く視線を巡らせた。
時折訪れる、この正体不明な感覚……。
幾度となく窮地を救ってくれたこの力を、俺はもはや微塵も疑っていない。
名付けて――カミュちゃんムズムズ。
他者の攻撃的意識を敏感に察知し、伝えてくれる便利なチート能力である。
惜しむらくは、最低でも一人――ヴァンガードというあの男だ――同種の能力者がおり、事によっては、他にも何人もいることだろう。
案外、気付いていないだけで身近にもいたりしてな。
ああ、『パーソナル・ラバーズ』作中で一切語られていないこの能力についても、マリアの件と同様に考えなければならないことだ。悩みの種が増えた。
が、今考えなければならないのは、俺に……いや、俺たちにか?
攻撃的な意識を向けてきた人間についてである。
四時の方向、か。
ちらり……と。
不自然にならないよう、そちらを見た。
そこにいた男……。
スーツ姿という浮いた格好で観光客に混ざっているのは、調査団の一員だったのである。
--
近況ノートで本エピソードのイラスト公開してるので、リンク張っておきます。
https://kakuyomu.jp/users/normalfreeter01/news/16818093090836416336
https://kakuyomu.jp/users/normalfreeter01/news/16818093090836454153
そして、お読み頂きありがとうございます。
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