手をつないで……

「ふっ……くっくっく……。

 これはまた、豪胆なお嬢さんだ」


 ――そんなことより、お腹が空いた。


 その言葉を受けて、ケンジに去来したのは、なんとも言えぬ愉快さであった。


「お嬢様、いくらなんでも、この状況でそれは……」


「いや、この状況だからこそ、だ」


 たしなめようとしたカミュ付きのメイドへ、そう答える。


「そう、確かにそんなことだ。

 己の分をわきまえなかった者が、無謀な反乱を起こした……。

 その程度の問題に過ぎない。

 ならば、我々が慌てる必要などあろうか」


 正直な話をすれば……。

 状況は、下水道で考えていたものよりも相当に不味い。

 おそらく、決起そのものは電撃的な決断によるものだろうか、そこはさすがカトーという他にない。

 主要施設を瞬く間に占拠した手際と前準備は、称賛に値した。

 だが、状況はしょせん状況……。

 慌てたところで、過去が変わるわけでもないのだ。

 なれば、ひとつ腹ごしらえでもして、どしりと構えるのが上に立つ者の器量であろう。


 時刻を考えれば、純粋に腹が減っているだけでもあろうが、カミュ・ロマーノフという少女の言葉には、そういった度量が備わっていると思える。


「まあ、確かに、ここへ閉じこもっていたところで、状況が好転するわけでもない、か」


 気配からして、アレルがやや呆れながら腰に手を当てたようだ。

 そんな彼から放たれている感情も、そう悪いものではないと思えた。


「そういうことだ。

 それに、下水道など歩いたのだから、お嬢様方には臭いも気になるだろう」


「う……確かに」


 エリナというメイドが、自分の袖を鼻に当てたようである。

 視覚を失った分、他の感覚が常人より優れているケンジであるので、自分たちに染み付いてしまった悪臭というものは、よく分かった。

 それは、ストレスの原因であるし、体が弱いご令嬢たちにとっては、病気の種ともなるのだ。


「この部屋を出た先は、ごく普通の一般家庭であるかのように偽装してある。

 当然、着替えもあるが……残念ながら男物だけだ。

 それも、成人した、な。

 どの道、今のままでは長期間の潜伏など不可能だな」


「どこか、行き先に心当たりがあるのですか?

 この端末で調べたところだと、外にはカトーとかいう人間の手下がうろうろしているようですが?」


 何故か女装しているという少年……ユーリが、デスクチェアに座ったまま尋ねてくる。


「無論、ある」


 これには、力強くうなずいた。


「しょせん、カトーは裏社会の者……。

 牛耳れている範囲には、限界というものがある。

 チューキョーには、奴の息がかかっておらず、それでいて、私と懇意にしている勢力がいくらでもあるのだよ」


「なら、動くのは早い方がいいな。

 お嬢さん方には悪いが、僕とケンジはここにある着替えで変装させてもらおう。

 ただ、問題になるのは……」


「私の視力だな」


 アレルの言葉に、うなずく。


「ここには、視力補助のゴーグルもあるが、あれは目立つ。

 かといって、これまで通り杖を突いていては、やはり、盲目であると伝えるのと同じだ。

 髪型や服を誤魔化したところで、そこがバレていては意味がない」


 クサナギへ乗り込む時などに用いるゴーグルは、いかにも機械的であり、かつ、大きい。

 あんな物を装着していては、目立ってしまって仕方がないだろう。


「あら、それなら簡単に解決できますよ」


 しかし、カミュはそう言って手を鳴らしたのである。




--




「さあ、お手をどうぞ。

 背筋も伸ばして、堂々となさって下さい」


「う、うむ……」


 セーフティルームがあるマンションから、一歩出て……。

 気配を頼りに、差し出された手へ自分の手を乗せた。

 手に伝わってくるのは、小さくやわらかな……それでいて、ひやりとした感触。

 この感触は、少しでも力を込めてしまったらたちどころに壊れてしまいそうなはかなさがあって、ケンジとしては、躊躇する他にない。


「さあ、もっと強く握ってください。

 今のあなたは、お父様なんですから」


 だが、手を差し出してくる当人ーーカミュは、そんなケンジの躊躇など知ったことではないとばかりに、強く力を込めてきた。


「人種が違う上に、まだ、そんな歳ではないのだがな……」


「なら、お兄様です。

 わたしは妹が、ああああああ」


 なんだろうか?

 バグを吐き出したコンピュータのように、カミュが「あ」を繰り返す。


「どうされた?」


「いえ、妹がほしいと思っていたし、兄もほしいと思っていたのです。

 ほほほ……」


 何やら口元を抑えているようだが、どうしたのだろうか?


「まあ、兄か妹かはともかく、これはいいアイデアだ。

 自然にケンジの視力を補えるし、傍目には、妹たちを連れた仲の良い友人グループとして映る」


「それだと、あたしの立ち位置はどうなるのですか?」


「お嬢様のお姉さんで、お嬢様はケンジ様に懐いている……。

 ボクは、アレル様の弟というところで設定を固めてはどうでしょう?」


「「「いやいや、妹でしょう(だろう)」」」


 ユーリの提案へ、一斉にツッコミが入った。


「……ボク、絶対に着替えは男物を着ますからね」


「まあ、ユーリちゃんの性別問題は置いておいて、設定を固めるのは良い案です。

 ここからは、呼び方にも気をつけましょう。

 ね? エリナお姉ちゃん?」


「エリナお姉……っ!

 そ、そうですね! カミュ!」


 何か、妙に嬉しそうというか、弾んだ声でエリナが応じる。


「名前に関しては、全員そう珍しい名前でもありませんし、かえってぎこちなくなるでしょうから、このままでいいでしょう。

 そういうわけで、行きましょうか。

 ――ケンジお兄ちゃん」


「う、うむ……」


 カミュに手を引かれ、チューキョーの街中を歩く。

 ケンジのような視覚を失った者にとって、実のところ、この状況はかなりのストレスだ。

 何しろ、自分の意思で自由に手を離すことができない。

 こういった場合というのは、相手の肩や肘などへ手を置かせてもらい、いざという時はすぐに離れられるようにするのが基本なのであった。


 何しろ、この目に映るものは――闇。

 怪しまれるため杖すら手放した今では、距離感を掴むこともおぼつかない。

 その気になれば補助具なしでも大立ち回りを演じられるケンジであるが、長時間の歩行ができるほどの境地ではないのだ。

 だからこれは、文字通り、生殺与奪を幼い少女へ預けているといえるだろう。


 ――謀反を起こされ。


 ――今は小娘に手を引いてもらわなければ、出歩くことすらできない、か。


「ふっ……」


「? どうしましたか?

 ケンジお兄ちゃん」


「いや、楽しいものだと思ってな」


 薄い笑みと共に、手を握った少女に答えた。


「案外、みんなあまり気にせず出歩いてますね。

 そこかしこに見かける黒服は、ヤクザというやつでしょうか?」


「こういった事態に対し、チューキョーの民は鈍いというか、豪胆というか、あまり気にしないことが多い。

 そこかしこで銃撃戦でも起きれば別だろうが、多くの人間にとって、政変というのは雲の上で繰り広げられる他人事なのだ」


 自分へ伝える意味もあるのだろうユーリの言葉に答えると、なぜだか、隣のカミュがうんうんとうなずいているのを感じる。


「日本人って、そういうところありますもんね」


「やけに詳しいな?

 ラーメンも知っていたし、昔から日本に興味が?」


「え、ええ、まあ……。

 おほほ……」


 ケンジにとってすら、遠い祖先の話に過ぎない島国の国民性をよく知っているかのように語った少女は、笑いながらごまかした。

 まあ、昔から日本通というのは少々アングラなところがあるので、あまり知られたいところでもないのだろう。


「タクシーも平時通りに動いているというのは、驚きだな。

 それで、どうする?

 どこへ行けばいい?」


 自分と同じくスーツ姿に着替え、少しいじった髪型とサングラスで変装したはずのアレルが、タクシーを止めながら問いかけてくる。


「……ネオアキバだ」


 そんな彼に、ケンジは短く目的地を伝えたのであった。




--



 うっかり公開設定にし忘れて、行進遅れて申し訳ありません。


 近況ノートで本エピソードのイラスト公開してるので、リンク張っておきます。

https://kakuyomu.jp/users/normalfreeter01/news/16818093086538271284


 そして、お読み頂きありがとうございます。

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